
【書評】「登校拒否新聞」主筆・藤井良彦さんの新著『治安維持法下のマルクス主義』 ―左派思想が現実の力となっていた100年前の時代を振り返って 嶋崎史崇
映画・書籍の紹介・批評中学登校拒否から、文学博士号を取得した思想史家の藤井良彦さん。ISFでは、自らの経験も生かした「登校拒否新聞」を連載中で、既に第20号まで公開されています。
大学院修了後も、無所属で旺盛な執筆活動を続け、教育と哲学の分野で10冊以上の著書があります。
藤井さんの業績一覧をまとめたリサーチマップ:
https://researchmap.jp/mendelssohn
その藤井さんの新著が、今年6月に、同時代社から刊行されました。
https://www.doujidaisya.co.jp/book/b10135305.html
今年は1925年の治安維持法施行からちょうど100年になります。同じ年に施行された(男子)普通選挙法と抱き合わせでした。国体(天皇制)の変革や、私有財産制度の否定を目的とする運動を取り締まっており、当初は事実上、日本共産党を標的にしていました。そもそもその国体とは天皇制のことだ、と喝破したのが他ならぬ共産党だったと当時の党員らが認識していたことは、とても重要です(12頁)。
理論編と実践編の2部に分かれている本書は、次のような構成になっています。
プロローグ――貧乏の思想
理論編
Ⅰ 変革の主体
1 主体完成論/2 経済学批判の方法論/3 思想の唯物論的基礎
Ⅱ 生産的であろうとする限り、哲学は
1 人間学のマルクス的形態/2 プロレタリア科学研究所
Ⅲ 新カント派からマルクス主義者に
1 イデオロギーの論理学/2 唯物論研究会
実践編
Ⅰ 国体の変革
1 学連事件/2 京都学生共産党事件/3 福本イズム
Ⅱ 観念工場
1 プロレタリア教育/2 小学校教員赤化事件
Ⅲ 生活綴方運動
1 北方性教育/2 教育科学
エンドロール――運のわるい男
恐慌・不作・米価高騰・身売り・肺病などの特色に着眼し、藤井さんが「暗い時代」と呼ぶ日本の1930年代ですが、こうした時代状況が現在もパパ活・コロナ・令和の米騒動といった形で繰り返されている、という指摘も興味深いものです(6頁)。
本書は1133の注釈を備え、マルクス主義側の資料だけでなく、『特高月報』のような体制側の資料も公平に吟味し、当時の運動の実像に複眼的に迫っているのが特色の一つです。
本書を繙くと、河上肇、三木清や戸坂潤といった当代一流の知識人から、学生、女性、教員、そして小学校卒の労働者も、真摯にマルクスとロシアを含むマルクス主義に学び、戦時体制に抗う思想的原動力としていたことが理解できます。マルクスの「フォイエルバッハ・テーゼ」の「哲学者たちは世界を様々な仕方で解釈してきたが、重要なのは世界を変革することである」という有名な一節が、文字通り実行されていた時代でもありました。本格的な左派運動がほぼ没落した現在の日本とは隔世の感がありますが、当時は職場追放や投獄といった弾圧に遭うことも承知で、抵抗する精神的な拠り所として、マルクス主義が現実的な力を発揮した時代だったのです。
三木清と戸坂潤のように、「マルクス主義者であったとしても共産主義者ではない」(16頁)人物まで、巻き添えになる形で処罰の対象になったことを忘れてはなりません。他方で、「弾圧されたのは党活動である。思想は弾圧されていない」「思想を弾圧することはできないという事実をこそ思想史は説かねばならぬ」(20頁)という藤井さんの思想史家としての認識も重要です。近衛文麿の「昭和研究会」に加わっていたという全く別の側面も持つ三木の場合、「治安維持法は彼の思想を裁いたのではない。共産党への資金提供の容疑と地下潜入している共産党員を匿った容疑で彼は裁かれた」(322頁)ということです。抑圧を免れるため、純粋な学術団体として立ち上げられたはずの唯物論研究会にも、その会員が共産党を支援するなど、当局に抑圧の口実を与える隙があったことは認めざるを得ません。
コミンテルン日本支部として1922年に発足した日本共産党は、戦前・戦中はコミンテルンから資金提供され、幹部はソ連の学校で教育を受け、指導目的の人員まで送り込まれていました。こういった事実を前にして私が複雑な気持ちにならざるを得ないのは、米国のネオコン勢力が、ウクライナを含む旧ソ連圏や北アフリカで実行してきた事実上の政権転覆工作である「カラー革命」と明確な類似性があると認めざるを得ないからです。
遠藤誉・筑波大学名誉教授の次の指摘が参考になります。
「アメリカは他国に『アメリカ流の民主主義』を押し付け、『民主を実行させるために戦争という手段を用いる』。これが、バイデン政権を支えるネオコン(ネオ・コンサーバティヴ=新保守主義)のやり方で、この手段はその昔のスターリンのコミンテルンのやり方に似ていて『革命を輸出する』の代わりに『民主主義を輸出する』のだが、『平和的手段で民主主義を輸出する』のなら大いに歓迎するが、常に『戦争ビジネス』と連携しながら実行している。アメリカの武器商人が儲かるような構造でアメリカは動いている」
「安倍元総理の経済ブレインで米ノーベル賞学者が『アメリカは新冷戦に負ける』」、『ヤフーニュース』、2022年6月24日。
https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/cda1b1d6c86a30dea47daa0b06a299c4d311ba6c
「第2CIA」とも呼ばれる「全米民主基金」(NED)による政権転覆活動の実態については、遠藤誉『習近平が狙う「米一極から多極化へ」台湾有事を創り出すのはCIAだ』(ビジネス社、2023年)も参照してください。
その一方で日本共産党は、戦後はソ連や中国の共産党と対立するようになり、独自路線を歩むようになったことも忘れてはなりません。
公平な態度を取る藤井さんが、「どこの国でも、政府を転覆して革命政権を樹立しようという革命運動を放置しておく国はない」(18頁)という特高の言い分に一定の正当性を認めているように、大多数の一般国民からすれば、日本の共産主義運動が外国の代理勢力のように見えても仕方がない側面もあったのだと思います。しかし、多様な階層の人々が、命を脅かされても革命運動を遂行する覚悟を持ちえた事実に鑑み、単に外国勢力に彼らが“洗脳”され操られていた、とも決して言えないことが、事態を複雑なものにしています。天皇制反対も当時の常識からすれば“非国民”そのものですが、天皇制が日本のファシズムと侵略戦争の中核にあった、という「天皇制ファシズム」論に鑑みれば、明確な論理性を備えたものになっているといえます。
「熱烈な尊王家」として知られた検事が、逮捕された共産党員の資本主義批判に共感し、「日本の共産党なら、支持することを吝(おし)まない」と述べた(226頁、強調の点は原文通り)という逸話は、既に述べた「外国の代理勢力」という見方とは対照的で、興味深いものです。当時の日本が現在に比べて露骨な格差・階級社会だった、という背景も考慮せねばなりません。
このように、かつては左派思想が抵抗運動の精神的拠り所となっていた時代を振り返ると、思い浮かぶのは次のようなことです。即ち、現在ISFが重視しているウクライナ問題、コロナ、「ザイム真理教」、トランプ政権といった諸問題について、左派やリベラル勢力は、WHO等の国際機関、大手学術雑誌、大手メディアのような権威に対してあまりに従順ではないか、また真実探求について、一部の勇敢な右派・保守の人々に対して負けていないか、ということです。
今日の日本人にとってなじみ深い主題を扱った本ではないかもしれませんが、治安維持法についての最大の問題点は、それがまだ終わっていないという事実にあります。安倍政権の金田勝年法相は、2017年の国会答弁で、「治安維持法は当時、適法に制定されたもの。同法違反の罪にかかる拘留、拘禁は適法だ」という認識を示しました。つまり日本の権力者らは、治安維持法の犠牲になった小林多喜二、三木清、戸坂潤、そして多くの無名の人々の側ではなく、弾圧した人々の側に立ち続けている、ということです。しかもこういった形式的にみて適法という考え方が、共謀罪の問題にまでつながっている側面を考えると、より深刻です。大日本帝国の亡霊は今も、大多数の人々の無関心も糧として事実上生き残り、この国の骨格をなし続けているともいえます。
IWJ:【国会ハイライト】「治安維持法は適法に制定された。拘留、拘禁は適法だ」〜共謀罪法案の議論で金田法相が衝撃の答弁!共産・畑野議員は「拷問は当時も違憲・違法だった」と指摘!2017.6.6
https://iwj.co.jp/wj/open/archives/382125
このように、現代とも密接な関連がある深刻な事情から、多くの人に手に取っていただきたい一冊です。
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1984年生まれ。東京大学文学部卒、同大学院人文社会系修士課程修了(哲学専門分野)。著書に『ウクライナ・コロナワクチン報道にみるメディア危機』(2023年、本の泉社)。主な論文は『思想としてのコロナワクチン危機―医産複合体論、ハイデガーの技術論、アーレントの全体主義論を手掛かりに』(名古屋哲学研究会編『哲学と現代』2024年)。 論文は以下で読めます。https://researchmap.jp/fshimazaki ISFでは、書評とインタビューに力を入れています。 記事内容は全て私個人の見解です。 記事に対するご意見は、次のメールアドレスにお願いします。 elpis_eleutheria@yahoo.co.jp Xアカウント:https://x.com/FumiShimazaki