
ゼロからわかる ディープ・ステートとは何か? 広瀬隆 文責◉『紙の爆弾』編集部(下)
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※この記事は、『紙の爆弾』2025年7月号からの転載です。
ホドルコフスキー投獄事件
全世界のほとんどの人が気づいていませんが、このホドルコフスキー投獄事件が、現在のロシア・ウクライナを巡る戦争の全ての発端になっています。なぜならホドルコフスキーはロシアのオリガルヒ(オリガーク=独裁者)と呼ばれる超大富豪で、イギリス・ロスチャイルド家当主ジェイコブ・ロスチャイルドの手先であり、ロスチャイルド財閥の投機屋ジョージ・ソロスの手先でもあったからです。その詳細は拙著『一本の鎖地 球の運命を握る者たち』(ダイヤモンド社)で詳しく説明しています。
ウィキペディアなんか見たらデタラメを書いていますので、世紀の大事件の正確な経過を要約しましょう。
1990年に東西ドイツが統一された翌年の12月25日、ソ連が崩壊してロシア連邦となりました。ゴルバチョフに代わってボリス・エリツィンという酔っ払いの男が新生ロシアの大統領になります。しかし、1993年1月に、ロスチャイルド財閥の投機屋ジョージ・ソロスがエリツィンに1億ドル(当時の約100億円)を個人寄付し、オリガルヒと呼ばれた新興財閥の民営化泥棒を放任させたのです。この腐敗と乱脈政治の隙をついて、ロシア経済はめちゃくちゃにされてしまいました。
エリツィンは1999年末に突然、大統領を辞任。「俺の犯罪行為は一切暴露しないこと」と約束させて、首相だったプーチンを大統領代行に任命し、翌年3月の選挙でプーチンが正式な大統領となります。
すでにロシアは、広大な領土が未曾有の貧困に襲われて死んだように凍りついていました。それを再生させるには、エリツィン時代の盗人経済を制御しなければなりません。当選直後のプーチンは、オリガルヒの経営者をクレムリンに呼び集めると、「巨富を得た民営化問題は見逃す。その代わりに政界から退場して、まともに納税することを約束しろ」と命じました。オリガルヒたちは全員同意したものの、1000万人を貧困に追いやった男といわれるホドルコフスキーだけはせせら笑って、プーチンに言葉も返さなかったといいます。
しかしプーチンは、KGBの後を継いだFSB(ロシア連邦保安庁)の長官として、情報組織の全経済資料に目を通して大統領に就任した非常に頭の良い人物です。ホドルコフスキーを調べると、彼がロシア第2の石油会社「ユコス」をわずか3億ドルで買収して株のほぼ9割を握ると、さらに民営化をフルに利用して次々と石油会社を買収し、ロシア最大の国家財産である油田を独占しつつあったのです。
ロシア国民にとって理解できなかったのは、原油埋蔵量が当時アメリカの1.5倍を超え、天然ガス埋蔵量もアメリカの10倍近く、金の生産量も高い国家でありながら、ロシア国民1人あたりGDP(国内総生産)がアメリカ国民の10分の1だったことです。世界一の地下資源をオリガルヒが盗んだことは、動かしがたい事実だったのです。
ロシアは失業者が600万人、貧困家庭が3000万人を超えていました。平均月収は当時の日本円でわずか2万円足らず。オリガルヒのトップであるホドルコフスキー1人がその5000万倍、1兆円近い資産を持って、クレムリン宮殿近くの豪壮な邸宅と、別荘2つを所有していました。オリガルヒは、ロマン・アブラモヴィッチ、ボリス・ベレゾフスキー、ヴィクトル・ヴェクセンベルグ、ミハイル・フリードマン、ウラジーミル・グシンスキー、レオニード・ネヴズリンなどユダヤ人でした。彼らがロシア国家の財産を盗んでいたのです。
彼らは犯罪を追及されると、瞬時にイスラエルへ逃亡する特異な集団を結成し、ユコス創業者の1人であるネヴズリンは、「ロシア・ユダヤ人会議」の会長を務めました。
さらにホドルコフスキーはプーチンに対抗し、大統領選への出馬まで目論んでいました。プーチンとの対決が明白になった2001年には、ユコスの慈善事業を看板に、「オープン・ロシア・ファウンデーション(ロシア開放財団)」なるものを設立して、そこにネオコンを操るキッシンジャーとジェイコブ・ロスチャイルドを理事に迎え、世界最大財閥と手を結んだのです。
後ろ盾となったジェイコブ・ロスチャイルドは、ロンドン・ロスチャイルド銀行の重役で、ロスチャイルド投資信託(RIT)会長としてジョージ・ソロスと組んで、金価格1オンス400ドル突破という暴騰を演出しました。金は、ドルやユーロやポンドが危なくなった時の保険になるものであり、それを握っているということです。イスラエルに設立したロスチャイルド財閥会長でもあります。実を言うと、イスラエルの国会と最高裁は、実質的にジェイコブ・ロスチャイルドの財団の資金によって運営されてきました。それほどの大物です。
その庇護の下、ホドルコフスキーは2003年1月、石油輸出パイプラインを建設する利権を巡ってプーチンに公然と立てつき始めました。そして10月3日には、ユコスは原油埋蔵量が194億バレル、生産量がロシア全体の3割に相当する年間8億バレルを超え、米シェヴロンテキサコを抜いて世界第4位の石油会社になろうとしていました。その日に世界一のエクソンモービル会長リー・レイモンドがモスクワ入りし、ユコスに出資して40%を買収しようと動き始めます。
このレイモンドはロックフェラー財閥の系列で、ユダヤ人ではありません。にもかかわらず、ネオコンのシンクタンク「アメリカン・エンタープライズ研究所」の理事に就いています。つまり、レイモンドはロスチャイルド財閥とロックフェラー財閥の両方を握るとんでもない大物。そこにプーチンが襲いかかったのです。
かつては小さな石油会社だったユコスは、ついに全世界のメジャーになろうとしている。そのユコスがロスチャイルド財閥のエクソンモービルと取引するということで、ホドルコフスキーは有頂天になっていました。
ところが、わずか2週間後の10月15日、彼は奈落の底に突き落とされます。ホドルコフスキーがついに逮捕され、投獄されたのです。文字通り「7つの大罪」で懲役10年をくらい、ユコスの株をはじめ80億ドルの個人資産の大半を没収されることになりました。
プーチンに犯罪の証拠を握られたソロス
収監されたホドルコフスキーは、弁護士を通じてユコスの社長辞任を表明し、巨大な財産を守ろうとしました。さらに、逮捕前になんとジェイコブ・ロスチャイルドにユコスの石油資産を引き継いでもらっていたのです。なんと用意のいい悪党でしょう。
ホドルコフスキーが社長を辞任した翌日の11月4日、この事件にもう1人の大物が登場します。モスクワの週刊誌のインタビューで、投機屋ソロスが驚くべき発言をしたのです。いわく、「ホドルコフスキーは泥棒資本主義から法に従った資本主義への移行を主導してきた男だ。彼を潰すことは、その進行を妨げることにほかならない」。言わなければいいことを言ったもので、ソロスこそがホドルコフスキーを操っていたことが、すっかりバレてしまいました。
さらに、実はソロスも、オリガルヒと同じタックスヘイブンを用いてロシアで泥棒をやっていた証拠が、続々と出てきました。先ほど、ホドルコフスキーが2001年に「オープン・ロシア財団」を設立したと紹介しました。これが、ベルリンの壁が崩壊した1989年に、ソロスがロシアとウクライナに設立した「オープン・ソサエティ・ファウンデーション(開かれた社会財団)」の実質的な下部組織だという関係までバレてしまいました。ソロスは「オープン」が好きなようで、「公開しろ」と迫っては泥棒していくやり口を続けています。それをホドルコフスキーが真似たわけです。
ソロスのインタビューが公開された2日後の11月6日には、オープン・ソサエティ財団にロシア警察当局から武装団40人が送り込まれて100人のスタッフを全部追い出し、コンピュータや文書が押収されました。かくして検察側にはホドルコフスキーとジョージ・ソロスの犯罪に関する圧倒的な証拠資料が揃って、証拠を握られたソロスは現在まで裁判所で一言も自分の犯罪について反論していません。
そもそも、ソロスのオープン・ソサエティ財団とは、いかなる組織なのでしょう。財団幹部のアリエフ・ナイエールとガラ・ラマルシュの2人は、人権を看板に掲げる「ヒューマン・ライツ・ウォッチ」の生みの親であり、理事を務めています。つまり、皆さんが信頼しているヒューマン・ライツ・ウォッチが発信する言葉は、全部ソロスたちが作り上げたものだったのです。
この世界的な人権団体は、2002年3月~4月のイスラエル軍によるパレスチナ難民虐殺事件を調査した時、50人以上の死体を確認しながら「現状から大虐殺の証拠はない」と驚くべき報告をしました。その理由がすっかり明らかになったわけです。
ホドルコフスキーが逮捕されるまでに、ユコスの資産価値はかつての100倍規模、実に280億ドルに膨れ上がっていました。しかし、2003年12月23日にモスクワ地方裁判所がホドルコフスキーの拘束機関を延長するように命じ、同30日にはロシア国税庁が脱税した980億ルーブルと追徴金を納めるよう、ユコスに通告。この支払いによってユコスの経営は、利益が全額吹っ飛ぶという危機に追い込まれました。
すると、何が起きたでしょう。国際的なユダヤ人社会が一斉に、「ホドルコフスキーの逮捕はロシアにはびこる反ユダヤ主義を示す」と言って批判を始めたのです。つまりユダヤ人の犯罪は犯罪ではないと、吹き出すような論調を展開しました。
ウィキペディアのホドルコフスキーの項目は、この論調一色です。ホドルコフスキーの犯罪や、それに対してロシア側が何をしたかは何も書かれていないのです。
そしてアメリカでは、ネオコンの元国防次官補で、イラク攻撃を主導したリチャード・パールが、「ロシアをG8から追放すべき」と激しくプーチンを非難しました。ホドルコフスキーを弁護した人間たちが次々と現れ、それらは全員が犯罪者だったわけです。
〝改革派〞の犯罪性
プーチンはホドルコフスキー投獄後、ユコスの国有化に向けた準備を進めました。それを知ったホドルコフスキーは、国有化を阻止するために自分の株主投票権を、イスラエルに逃亡したネヴズリンに渡して安心していました。
ここで、この時期に世界で何が起きていたかを確認すると、2004年5月1日にEUが15カ国から25カ国に拡大。NATOも1999年にポーランド・ハンガリー・チェコが加盟、さらにエストニア・ラトビア・リトアニアのバルト三国、スロバキア・スロベニア・ブルガリア・ルーマニアなどの東側諸国が、この2004年に加わりました。
つまり「1インチも東方拡大しない」という、ゴルバチョフへの約束を次々と破ったのがこの時期です。それに対するプーチンの反撃が、ホドルコフスキー投獄だったという見方ができます。
ソロスたち大富豪によってロシアの政治がお金で買われ、「人権と民主主義の拡大」を売り物にする通称“改革派”の報道機関が、オリガルヒの尻を叩いて腐敗をエスカレートさせてきたことが、この事件ですっかり明るみに出て、ロシア国民にも知られるようになったのです。全世界で「人権」の看板が、犯罪の湧き出る水源となっていたことが明らかになったのです。
さらに、ロシア全土を跳梁したホドルコフスキーのグループは、ネオコンやイスラエルのファシズム政党リクード党と組んでいるのですから、これをコントロールしなければ、いずれ大変な国家非常事態を招くとプーチンが考えたのは当然でした。
そして、彼は過去の全世界の政治家の誰1人も怖くてできなかったことを、やりとげたのです。すなわち、ロスチャイルド財閥の一番の手先であり、ロシア最大の富豪であるホドルコフスキーを牢獄にぶち込み、10年の間にロシアからオリガルヒを一掃したのです。
ロシアに横行していた改革派と称する報道機関もプーチンは次々に追い詰めました。日本の新聞は、とにかくプーチンは独裁者だというデタラメを書きましたが、ロシア国内の世論調査では、ホドルコフスキーを牢獄から出すなという意見が圧倒的でした。そしてプーチン大統領の支持率は実に73%を記録。高水準が保たれました。貧困の淵に投げ込まれたロシア国民の、苦しい生活を何とかしてくれという叫び声が、プーチン大統領への圧倒的な支持を生み出したのです。
さあ、ホドルコフスキー投獄から10年後、いったい何が起きたでしょうか。続きはユーチューブ「【第2部】ウクライナ戦争」をご覧ください。
※本記事は『広瀬隆の地球千1夜物語チャンネル』「ディープ・ステートの正体【第1部】CO2温暖化カルト教ヨーロッパ・アメリカ篇」(https://youtu.be/gs-g2i04iC8)を編集部がまとめました。広瀬隆(ひろせたかし)作家。早稲田大学理工学部卒業。メーカーの技術者を経て、執筆活動を開始。『地球温暖化説はSF小説だった』(八月書館)など著書多数。
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