第34回 検察が控訴審で訴因変更を請求
メディア批評&事件検証訴因変更には二つの方法がある。最初の訴因自体をなくしてしまう交換的変更と、最初の訴因は維持しつつ、「もしそれがダメだったらこっちで」という予備的変更だ。今回の検察側が請求した変更は、後者で、予備的な訴因を追加するものだった。
しかし、中身を見てみると、一審で認められた勝又被告の遺棄現場での殺人が否定されるような驚くべきものだったのである。具体的には、殺害場所を茨城県常陸大宮市の林道から「栃木県内、茨城県又はそれらの周辺において」に。殺害の日時も「05年12月2日午前4時」を「12月1日午後2時38分から同月2日午前4時ごろまでの間に」にそれぞれ変更した。殺害の日時、場所が大幅に拡大した形だ。
この変更は、結果的に一審の宇都宮地裁が無視した本田元教授による女児の遺体の解剖所見を認めることになり、検察が法廷で証言させた法医学者らの意見も又否定された。弁護団は、検察の訴因変更請求について「殺害日時と殺害場所が自白と一致せず、自白調書には信用性がない」と批判したうえで「変更すれば犯行の日時、場所が著しく広がるために反証が不可能になる」などと記した意見書を提出した。
ただ、私はこの東京高検の訴因変更の文書を読んで不安に思ったことも事実だ。この訴因変更は、全く新しいものが出てきたといわざるを得ないような内容だったからだ。一方でそんなはずはないと、無罪を期待する思いがあったことも事実だ。
裁判所は同年3月29日の公判で検察の訴因変更を許可し、「原審(一審)の公判整理手続きでは犯人性のみが扱われ、犯行日時・場所についての議論の必要性が看過されていた」と指摘。反証不可能とした弁護側の主張に対しては「事実関係に大きな変更はなく、新たに立証必要なものではない」とした。
東京高裁の訴因変更をどう受け止めるか、いろいろと解釈はできるが、一審で有罪に認定した殺害日時、場所について疑いの目で見ていることは間違いないとこの時は感じた。もちろんその日時、場所を排除したからといって無罪になるかどうかはフタをあけてみないとわからない。
たとえば、殺害場所は林道ではないが、変更した栃木、茨城両県内のどこかで女児を殺害している可能性が高いと判断してストライクゾーンを広げたとみることもできるのだ。
ただ私は、この高裁の訴因変更の許可内容を見て、裁判員裁判である一審の審理した内容とは大きく違い、殺害場所や犯行時間帯は異なることに気づいた。いわば一審が全く審理してない内容であるから、無罪、そうでなければ当然、高裁は一審に差し戻しするのではとひそかに期待を膨らませたのである。
なぜならば、この訴因変更は大幅に殺害場所や時間が変更され、全く新しい証拠が出てきたと言っても過言ではない変更だ。そうなると無罪か、あるいは、最悪でも一審に差し戻すしか、選択肢はなくなる。そうでないと違法に他ならないし、裁判員制度の崩壊につながる。
裁判官は、提出された証拠だけで被告人を裁かなければならない。今回のように証拠が捏造されていては、正確な判断はできないということも言えなくはないが、今回で34回を数えるこの連載を振り返ってもらい、「絶望裁判」というタイトルの意味を考えて見てほしい。
私が指摘した勝又受刑者に対する捜査側の暴力容認や捜査側のシナリオに合わせた自白調書作り、DNA型鑑定の隠蔽と証拠能力の無力化、弁護側の防御権を侵害するかのような控訴審裁判の終盤時に、まるで犯行事実の認定を全てご破算にしてしまうような予備的素因の変更の許可、裁判員制度を無視するかのような控訴審の自判など、違法裁判の数々は目に余るものがある。極論すれば無実の人を有罪にしようとする裁判であるから、裁判の全てが誤ってくるのは当然である。
つまり誤った答えを出そうとするのだから、解き方がすべて誤ってしまうのは当然である。地裁、高裁の裁判所が公平な裁判をしたとは、到底思えない。まともな裁判には、ほど遠いものだった。この今市事件の裁判で、受刑者やその家族、そして初めて裁判員を体験した市民がどれほど傷ついて、悩んでいるのか。計り知れない。
裁判員制度は,裁定に市民感覚を反映させることが狙いだが、感覚はどこまで行っても感覚でしかない。自分の立ち位置や時間の経過でいくらでも変容する。法の素人がそんな尺度で罪を推し量ることが果たして妥当なのか、どうなのか未だ明快な回答もないまま制度だけは走り続ける。今市事件の絶望裁判は、裁判員にとって悲劇以外の何物でもないとともに、裁判員制度の奥に潜む病巣を見事にえぐり出しているようである。
連載「データの隠ぺい、映像に魂を奪われた法廷の人々」(毎週月曜、金曜日掲載)
https://isfweb.org/series/【連載】今市事件/
(梶山天)
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独立言論フォーラム(ISF)副編集長(国内問題担当)。1956年、長崎県五島市生まれ。1978年朝日新聞社入社。西部本社報道センター次長、鹿児島総局長、東京本社特別報道部長代理などを経て2021年に退職。鹿児島総局長時代の「鹿児島県警による03年県議選公職選挙法違反『でっちあげ事件』をめぐるスクープと一連のキャンペーン」で鹿児島総局が2007年11月に石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞などを受賞。著書に『「違法」捜査 志布志事件「でっちあげ」の真実』(角川学芸出版)などがある。