
青山透子氏インタビュー「日航123便墜落」真相究明に政治の言論封殺(紙の爆弾2025年7月号掲載)(上)
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#青山透子 #日本航空123便 #自衛隊 #佐藤正久 #吉備素子 #日航123便墜落事件 40年の真実
1985年8月12日に起きた「日本航空123便墜落」の再検証を求める世論が、ここ数年、あらためて盛り上がりを見せている。一方で4月10日、真相究明をリードしてきた元日航国際線客室乗務員の青山透子氏の著作に対し、自民党の佐藤正久参院議員が国会で「フェイク情報」であり「全国学校図書館協議会の推薦図書に選ばれているのはおかしい」などと発言。即座に青山氏と遺族の吉備素子さんが言論弾圧であるとして抗議声明を発表するも、その内容を伝えるメディアはほとんどない。そこで今回、7月に『日航123便墜落事件 40年の真実』(河出書房新社)を上梓する青山氏にインタビューした。(聞き手・文責『紙の爆弾』編集部)
現場が物語る「真実」
――佐藤氏は参院外交委員会の質疑で、自衛隊が123便墜落に関与した可能性について、「防衛省・自衛隊の名誉」を問題にしていますが、青山さんは著書の中で、「(当初)私自身も自衛隊の誤射やミサイルという言葉すら不愉快で違和感を覚えていた」と書かれています。調査を始めた経緯について、まず教えてください。
青山 1985年の年末までに、当時の客室乗務員有志が作成し、関係者だけに配布した追悼文集(『悼歌』タイトル部写真)があります。ここに追悼文を掲載された客室乗務員12名、そして非番で乗り合わせた2名は、私がともにフライトをしてきた同僚たちです。
私も先輩たちへの思いを込め、墜落から25年が経った2010年に出版したのが、最初の『日航123便 あの日の記憶 天空の星たちへ』(マガジンランド)でした。
この本を書くにあたって新聞報道をくまなく読み込みました。すると、当時は単なる元客室乗務員だった私にとっても疑問に思うことが山ほど出てきて、それを時系列でまとめました。
奇しくもこの本を出した10年に、日航が倒産。日航はずさんな管理体制の下で、軽微なものを含め様々な事故を起こしてきました。その中で最悪のケースが123便墜落であり、単独機で世界最大となる、乗員の殉職を含めて520名の死者を出しました。学校が1つなくなるほどの方々が亡くなられたのです。その精算をしないまま国内3位のJASと合併したら、今後も同じことを繰り返すことになる。あらためて123便をリマインドし、航空会社にいる人間として、その無責任な体制に警鐘を鳴らすべきだと思って、『天空の星たちへ』を書いたのです。
同書では、第二次世界大戦中は零戦のパイロットであり、墜落時を含めて現場となった群馬県上野村村長を2005年まで40年つとめられた黒沢丈夫さんに取材し、帯文も書いていただきました。黒沢さんは墜落当日の夜、すぐに現場は上野村だとわかり、村民に情報提供を呼びかけ、県や政府関係者、NHKにも電話で連絡したにもかかわらずテレビでは「不明」で、隣の長野県など偽の情報が流され続けたと怒っておられました。その事実を書く人がいないとおっしゃったので、私の本にインタビューを加えたんです。
また、上野村消防団や、猟友会の地元の皆さんも、真夜中から翌朝まで一晩中捜索しています。生存者である当時12歳の川上慶子さんらを発見したのは、報道されているような自衛隊員ではなく、地元の人たちです。しかし、担架を作り生存者を山頂へ運ぶも、最初に自衛隊のヘリが来てから2時間以上も真夏の山頂に放置状態にされたといいます。そうした方々に取材すると、彼らからも疑問をぶつけられたのです。
私の問題意識は、こうして事実を集める中で生まれたものです。なにより、私にアナウンスを教えてくれた先輩の対馬祐三子さんが、アナウンスのメモを遺書として残して亡くなられました。そこに込められた同僚たちの意思を尊重するためにも、絶対に真相を突き止めなければなりません。
――墜落をめぐる「謎」の代表的なものとして、「遺体の完全炭化およびガソリンとタールの臭い」「航空自衛隊ファントム2機の数々の目撃情報」「墜落直前の機体周辺にみられたオレンジや赤の物体」が挙げられます。ほかにも疑問点は数え切れず、読者にもそれぞれの詳細を7冊の著書で読んでいただきたいですが、調査を進めた結果として、自衛隊や米軍の関与の可能性を指摘されました。
青山 慶子さんを発見した上野村消防団の話を聞くと、現場はガソリンとタールの臭いで充満していたといいます。ガソリンは危険物で飛行機には搭載できませんから、ジェット燃料はガソリンでもなければタールでもありません。それより引火点が高いケロシンという灯油の一種を使用します。引火点が常温より高いので、常温では引火せず、しかも、飛行時間にして2時間分の量しかないにもかかわらず、翌朝まで燃えていたというのです。
ほかにも、隣県・長野の信濃毎日新聞が8月12日付の号外で「上野村」だと報道しています。黒沢村長も現場の人も正しかったのに、中央メディアが無視したということです。
検死に携わった群馬県警察医の大國勉先生から、亡くなられた一人ひとりの鑑定書をはじめ、山ほどの資料を託されました。それら資料を紐解いていくと、遺体が異常なまでに炭化していることがわかります。こういった検死の先生方からも、私はお話を伺いました。
群馬大学の古川研教授は、「通常家屋火災現場の焼死体をもう一度焼損したように見えた」と語っています。遺体安置所の看護師さんからも、疑問を呈する証言が出ています。
検死遺体状況一覧表(群馬県警察医作成)では、座席を1階の前方からA~E、および2階に分け、どの遺体が墜落現場のどこで発見されたかを5箇所に大別し分析しています。たとえば歌手の坂本九さんは2階席におり、「歯型とネックレス」としか書かれていません。一方、後部座席のEコンパートメントは、墜落地点からスゲノ沢というところに滑落し、生存者がいたように、遺体も比較的揃った状態で発見されています。
炭化については、前部座席のAとともに、山頂で見つかったCコンパートメントにも重度にみられました。そこは燃料タンクを持つ翼部分の落下地点からも離れた場所で、しかも現地では前日に大雨が降り、湿度は75%を超えていました。にもかかわらず、遺体は濡れた地面に面した側まで完全に焼かれていた。検死された先生方が、私にまで「ジェット燃料ってすごいの?」と疑問を口にされたほどです。
山頂に近いCコンパートメントは上から見やすいため、そこで集中的に何かが行なわれた可能性が否定できません。また前述のように、遺体が朝まで燃えていたことは、燃料が継ぎ足されなければありえません。私の本はいずれも、単なる疑問や仮説を並べたのではなく、複数の観点からの事実を重ね合わせて調査を進めた結果です。
――ほかに着目すべきポイントは。
青山 機体についても、不自然なことばかりです。エンジンがぶつかって木っ端みじんになった「1本から松」という木が事故調査報告書には出てきます。樹齢数百年といわれますが、これがその現物です(下写真)。4つのエンジンのうち第4エンジンが、これに当たって粉々になったというのです。ほかにも、散乱した機体の金属片の塊を成分分析した結果、ジェット燃料のケロシンに含まれていないはずのベンゼン等が大量に検出されています。
また、機内から機外を撮った写真に写った黒点を、早稲田大学の画像研究機関で分析すると、オレンジ色の円錐もしくは円筒形で、後ろに熱波が見られました。この123便に向かう物体が何かというのは誰でも思う疑問で、新聞にも採り上げられています。つまり事故調が知ってはいるが調査対象としなかった事実があるのです。
青山透子氏インタビュー「日航123便墜落」真相究明に政治の言論封殺(紙の爆弾2025年7月号掲載)(下)に続く
本記事は、「紙の爆弾2025年7月号」の転載原稿になります。
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元日本航空国際線客室乗務員、東京大学大学院博士課程修了。主な著書に『日航123便 墜落の新事実 目撃証言から真相に迫る』(2017年)、『日航123便墜落事件 JAL裁判』(2022年)、『日航123便墜落事件 隠された遺体』(2024年)など(いずれも河出書房新社)。