
【櫻井ジャーナル】2025.07.25XML:次回の「櫻井ジャーナルトーク」は8月19日(火)です
国際政治次回の「櫻井ジャーナルトーク」は8月19日(火)午後7時から駒込の「東京琉球館」で開催します。テーマは「第2次世界大戦が終わって80年 – なぜナチスは負けなかったのか」を予定しています。予約受付は8月1日午前9時からですので、興味のある方は東京琉球館までEメールで連絡してください。
東京琉球館
https://dotouch.cocolog-nifty.com
住所:東京都豊島区駒込2-17-8
Eメール:makato@luna.zaq.jp
ウクライナを舞台とした戦争でロシアがNATO諸国に勝利するのは決定的です。形式上、ロシアが戦い、犠牲を強いられているのはウクライナですが、兵士を訓練し、兵器を供与し、衛星からの情報を提供しているのはNATOであり、NATOが敗北しつつあるということにほかなりません。
NATO諸国は自国の兵士や情報機関員を派遣していますが、傭兵も送り込んできました。特に重要な役割を果たしてきたのは、キエフのクーデター政権に食い込み、操ってきたネオ・ナチです。ネオ・ナチはなぜ消えないのでしょうか?
第2次世界大戦中からアメリカやイギリスの情報機関はナチスと連携していた勢力と連携していました。そうした勢力は大戦後の1946年4月に反ボルシェビキ戦線はABN(反ボルシェビキ国家連合)を形成、東アジアで創設されたAPACL(アジア人民反共連盟、後にアジア太平洋反共連盟に改名)とWACL(世界反共連盟。1991年にWLFD/世界自由民主主義連盟へ名称変更)の母体になります。
ウクライナからもこの組織に参加したグループが存在しました。その母体になったのはステパン・バンデラを中心とするOUN(ウクライナ民族主義者機構)-Bで、このグループを大戦中からイギリスの対外情報機関MI6のフィンランド支局長を務めていたハリー・カーが雇いますが、その一方でナチスとも手を組んでいました。
ドイツの敗北が決定的になっていた1943年春、OUN-BはUPA(ウクライナ反乱軍)として活動し始め、その年の11月には「反ボルシェビキ戦線」を設立しました。そのメンバーの半数近くがウクライナの地方警察やナチスの親衛隊、あるいはドイツを後ろ盾とする機関に雇われていたと考えられています。(Grzegorz Rossolinski-Liebe, “Stepan Bandera,” ibidem-Verlag, 2014)
バンデラの主要な側近だったミコラ・レベジとヤロスラフ・ステツコのうち、レベジはクラクフにあったゲシュタポ(国家秘密警察)の訓練学校へ入って破壊活動を実行、ステツコは大戦後、ABNを率いることになり、この組織はAPACLと合体してWACLになったわけです。
その後、ステツコはMI6を後ろ盾とするKUN(ウクライナ・ナショナリスト会議)を指揮、1986年に彼が死亡すると妻のスラバ・ステツコが引き継ぎ、2003年に死ぬまで率いました。彼女がミュンヘンからウクライナへ戻ったのは1991年12月にソ連が消滅した後です。
KUNの指導者グループに所属していたひとりにワシル・イワニシンなるドロボビチ教育大学の教授がいましたが、その教え子のひとりがウクライナでネオ・ナチを率いてきたドミトロ・ヤロシュにほかなりません。イワニシンが2007年に死亡するとヤロシュが後継者になりました。このタイミングでヤロシュはNATOの秘密部隊ネットワークに参加したと言われています。
アメリカの情報機関は大戦の終盤、フランクリン・ルーズベルト大統領に無断でナチス人脈と接触、前後策を練しました。サンライズ作戦です。この工作はルーズベルトの政策と矛盾していましたが、1945年4月に大統領が急死したことで解消されます。
CIAを含むアメリカの政府機関は大戦後、ナチスの残党や協力者を逃亡させ、保護し、雇うことになります。ラットラインとも呼ばれる逃走ルートの運営はローマ教皇庁も支援、国務省は1948年頃、ナチスの残党やソ連の勢力下に入った地域から亡命してきた反コミュニスト勢力を助け、雇い始めました。ブラッドストーン作戦です。
また、1945年から59年にかけてアメリカ政府はドイツの科学者や技術者1600名以上をアメリカへ運び、軍事研究に従事させました。ペーパー・クリップ作戦ですが、その中にはマインド・コントロールに関する研究者も含まれていました。ナチスの幹部だったハインリッヒ・ヒムラーの占星術師だったウィリヘルム・ウルフによると、死を顧みずに突撃する日本への心理をコピーする研究もドイツでは行われていたと言います。(Daniel Estulin, “Tavistock Institute,” Trine Day, 2015)
このようにアメリカやイギリスの情報機関はナチスやその後継者と連携してきたのですが、そもそもナチスの台頭を米英の金融機関が支援していたとも言われています。スイスを拠点とするBIS(国際決済銀行)やイングランド銀行のほか、アメリカのブラウン・ブラザーズ・ハリマンやユニオン・バンキングを経由して資金が西側からナチスへ投げていたとされています。米英金融資本がナチスを使っていたからこそ、大戦後にアメリカ政府はナチスを助け、利用してきたわけで、ソ連消滅後にネオ・ナチと呼ばれる人びとが旧ソ連圏へ「帰還」したのは必然なのでしょう。
第2次世界大戦が終わって80年目に当たる今年、そうしたことについて考えてみたいと思います。
櫻井 春彦
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