
☆寺島メソッド翻訳NEWS(2025年8月15日):社会がナチス化され、子どもを含めたイスラエル国民の脳がイカレ始めた。
国際※元岐阜大学教授寺島隆吉先生による記号づけ英語教育法に則って開発された翻訳技術。大手メディアに載らない海外記事を翻訳し、紹介します。
アシュケナージ系イスラエル人(アーリア人の特徴を持つヨーロッパ系ユダヤ人)は、パレスチナ人に対してナチス風の人種差別的嘲笑をおこない、1930年代のドイツを彷彿とさせるような雰囲気の中、パレスチナ人のセム民族的な外見を笑いの対象にしている。
問題は、ロシアと中国を含む国際社会が、この大量虐殺の完遂を阻止するために行動を起こすのか、それとも、ある民族全体が抹殺され、その犠牲者たちに対して祝杯を挙げるのを傍観するのか、ということだ。歴史は、加害者だけでなく、それを阻止する力を持ちながら沈黙を選んだすべての人々を裁くことになるだろう。
その統計結果は、明白であるだけではなく寒気のするものだ。イスラエルのユダヤ人国民の5人のうち4人が、ガザでの人道的大惨事に何の懸念も示していない、というのだ。イスラエルがパレスチナの人々に対する爆撃を始めた10月7日直後、 イスラエルのこの先についての楽観主義が、イスラエル国民の中で急激に高まった。 こんな反応は、自分たちが生き残れないことを心から恐れる人々の反応ではない。この反応は、国民が自分たちの持つ最も邪悪な衝動を遂に表出できる許しをもらえたことへの幸福感を表すものだった。
今のイスラエルで私たちが目撃していることは、 ひとつの過程の終着点なのだ。それは、ドイツ出身の米国の政治哲学者である故ハンナ・アーレント女史が何十年も前に私たちに警告していたものだ。つまり、ごく普通の人々が、全体主義国家のもつ枠組みを通して、寄って集(たか)って残虐な行為に意図的に参加する、という過程だ。 こんなことは、社会が完全に「ナチス化」された時におこるものだ。「米国の例外主義」というポッドキャストの司会をつとめるアーロン・グッド氏の厳しいが的を射た表現を借りると、「大量虐殺が受け入れられるだけでは済まず、祝福の対象にされている」という状況なのだ。
こういっても誇張ではない。イスラエル国民が、芝生用の椅子を用意して、ガザの爆撃の模様を見ようとしているところが映像に撮られているからだ。 子どもたちは、アラブの女性たちが瓦礫の下で動けなくなっていることを嘲笑う音楽動画を作っている。「アマレク」の死を祝福する歌が、音楽チャートの最上位を走っているが、このアマレクとは旧約聖書で全破壊の対象となるユダヤ人の敵の民族を意味することばだ。これらの動きを見せているのは、少数の過激派ではない。イスラエル社会の主流派の動きを表すものだ。 そしてその社会は、「パレスチナの人々の命には価値がない」と見るように組織的に条件付けされてきたのだ。
神に与えられた強姦する権利
ナチス化の過程は一夜にして成し遂げられたわけではない。それには数年、もとい数十年という年月と注意深い涵養を要した。始まりは対象となる人々の非人間化だった。パレスチナの人々は、年齢や状況に関わらず、「人獣」や「テロリスト」と決め付けられた。それに付け加えられたのは、永遠の被害者意識という神話だった。その神話を理由に、すべての残虐行為は「自衛」という名のもとに正当化された。この神話があまりにも深くイスラエル国民の中に浸透させられたため、パレスチナ人の囚人を強姦する権利がある、とまで主張し、さらには餓死するパレスチナの子どもたちを見ても、達成感しか感じられなくなってしまっている。
イスラエル国民に起こったこの心理面での変化のおかげで、ある明確な政治上の目的が前進している。漏洩した内閣の議事録が明らかにしたように、ベンヤミン・ネタニヤフ首相は、自身の軍や治安当局からの助言にも関わらず、意図的に、「休戦を破棄し、ガザの人々を飢えさせる」ことを選んだ。しかしこのような政策を実現させるには、国民からの支持、あるいは国民の無関心が必要となる。普通の社会なら、意図的に子どもたちを飢えさせることには躊躇するはずだ。そんな政策を祝福するのは、ナチス化された社会だ。
イスラエルの国民世論調査が、この心理的条件付けが成功したことを示している。自分たちの政府がやっていること、具体的には、病院や学校、難民キャンプに対する組織的破壊行為、まるで投獄されたかのような人々に対する食料や飲み物、医療品の供給の切断、市民の居住地を爆撃し、何千人もの子どもたちを含む犠牲者を出したことに対して、イスラエル国民のユダヤ人の圧倒的多数が、称賛や無関心で応えているのだ。
このことが、イスラエルの問題を気がかりなものにする原因になっている。つまり、展開が見え透いている点だ。これまでの歴史の前例では、市民が自国政府の犯した罪に無関心だったことはあるが、今回のイスラエル国民はそうではなく、自分のテレビ画面やソーシャル・メディア上の情報により、大量虐殺を瞬時に見届けている。彼らは亡くなった子どもたちの姿や破壊された家屋の映像、生存者たちの証言を目にしているのだ。それなのにイスラエル国民は更なる残虐行為を求めている。
「イスラエル国内の国民の思想統制から始まったことが、国境を越えた権威主義的な作戦になってしまい、自由社会と考えられていた社会が、大量虐殺を許容する実行機関に変貌してしまった。」
西側に逆輸入されたナチス化
イスラエルで展開されているこの心理的な枠組みは、すべてしっかりと記録に残されている。20世紀の米国の心理学者スタンリー・ミルグラムによる研究が示したのは、権威や社会からの圧力により、ごく普通の人々がいかにして他人に苦しみを与えるよう仕組まれるかについてだった。米国で1971年におこなわれた、スタンフォード監獄実験の結果からわかったことは、権力者により許可された場合、人々がいかに容易く残虐な体系に身を委ねることができるか、ということだった。今のイスラエルの状況は、この心理学上の原理が一国規模でおこなわれている、ということだ。
ナチス化の過程においてさらに必要なことは、異論を消すことと良心を軽んじることだ。 イスラエル国内の平和運動家たちは、嫌がらせや投獄、暴力に直面している。パレスチナの人々の苦しみを正しく伝えようとする報道関係者たちは、裏切りもの扱いを受けている。教育体制も国家主義者が唱える神話の促進に制限され、歴史的真実は軽視されている。異論は組織的に抹殺され、 ただひとつ許容される言説は、パレスチナの人々の苦しみを正当化、あるいは賞賛するものだけだ。
さらに寒気がすることだが、このナチス化の過程が、イスラエルの国境を越えて、西側社会にまで、転移している。かつては学問の自由を謳歌していた大学が、いまや組織的にパレスチナの人々の声を抑え込み、 基本的な連帯を訴える学生たちを処罰している。西側の報道機関は、パレスチナの人々の犠牲者数を正確に報じたり、「パレスチナの子どもたちは生きる価値がある人間だ」と報じただけで、報道関係者を解雇している。欧州や北米の政治家たちは競って、パレスチナの象徴を犯罪と見なし、パレスチナの人々の文化の表現を禁じ、反ユダヤ主義を定義し直すことで、イスラエルが犯している戦争犯罪を批判から守ろうとしている。
同じ手口が、イスラエル国内の平和運動家たちを沈黙させるために使われた。具体的には嫌がらせやネット上での晒し、職歴の破壊だ。そしてこれらの行為がいま、パレスチナの人々の苦しみに共感を寄せる西側の市民たちにも使われているのだ。イスラエル国内の思想統制として始まったものが、国境を越えた権威主義的な取り組みに変貌し、 自由社会とされてきた社会が、大量虐殺を容認するための強制装置に変えられてしまった。
先述のとおり、おそらく最も寒気がすることは、この残忍な風潮において、子どもたちまでもが熱狂的に参加していることだ。 若いイスラエル国民がガザ破壊についての歌を歌っている動画が拡散されている。 さらには、子どもたちが、パレスチナの人々の死を祝福したり、10代の青年たちが武器を構えた姿で「アラブ人狩り」について冗談を言っている動画も。これは無垢な国家主義ではない。意図的に国民世論を醸成し、大量虐殺を普通のこと、いや賞賛に値する行為である、と思わせているのだ。実際、イスラエルは、若者が年長者よりも、より極右で全体主義的になる、という研究の対象の国でしかなくなった。そしていま、この病状が西側に再輸入されている。
シオニスト系(アシュケナージ)ナチス
くだらないこととして放っておくべきではない事実は、アシュケナージ系ユダヤ人がパレスチナの人々のセム族的な特徴を嘲笑しているこれらの動画の大多数が、気持ちが悪くなるほど、ナチスがその被害者に対しておこなったこととよく似ている、という点だ。苦々しい皮肉だ。「反ユダヤ主義」への糾弾を武器にしてきた人々自身が、セム族に対して人種差別的嘲笑を浴びせかける、という敵と全く同じことをしているのだから。そのことを加害者である彼らは全く冗談だ、とは思っていない。
おそらくもっと苦々しいことは、イスラエル国民がこれっぽっちも冗談だ、と思っていないことだ。ナチス化が完全に成し遂げられたので、イスラエル国民か見せるパレスチナの人々の擬態は、無意識から来るものなどではなく、意図的なものだ。「自分がナチスになったような気がする」とあるイスラエル兵は、イスラエルの新聞に対して匿名を条件に認めた。 いま私たちが目撃しているのは、何十年もの間に教え込まれてきた、ナチスの権力に対する羨望の集大成なのだ。その羨望は被害者的な言い分の中に隠されてきた。その羨望がついに、 今まで嫌悪してきたように見せかけてきたものになることを許されたのだ。それが、シオニスト系(アシュケナージ)ナチスだ。
このような変節が世界各地で見られるようになっていることを無視するわけにはいかない。ナチス化されたイスラエルは、核武装され、後ろには米国の軍事援助を受け、パレスチナだけはなく全世界にとっての脅威となっている。子どもたちが飢えることを祝福するような社会ならば、その残虐性をひとつの民族やひとつの地域に対してだけに留めることはないだろう。 歴史が私たちに示しているのは、全体主義的な動きがひとたび表出されれば、敵であるとされる相手はどんどん拡がる、ということだ。
世界はかつてこのような動きを目にしたことがある。そして私たちはその結末がどうだったのかを理解している。
問題は、中露を含む国際社会がこのような大量虐殺の完遂を阻止すべく動くのか、それとも、国際社会が座して動かず、ある一民族が完全に抹殺され、それを抹殺者たちが祝福するのを見届けるだけかどうか、だ。 歴史が裁くのは加害者だけではない。 止める力を持っているのに、沈黙することを選んだ人々も、同じことだ。
– カリム
(映像)
※なお、本稿は、寺島メソッド翻訳NEWS http://tmmethod.blog.fc2.com/
の中の「社会がナチス化され、子どもを含めたイスラエル国民の脳がイカレ始めた。」(2025年8月15日)
からの転載であることをお断りします。
また英文原稿はこちらです⇒The Brainrot of a Nazified Society
筆者:BettBeat Media
出典:Internationalist 360° 2025年8月11日https://libya360.wordpress.com/2025/08/11/the-brainrot-of-a-nazified-society/