【連載】知られざる地政学(塩原俊彦)

「知られざる地政学」連載(104):アゼルバイジャン・アルメニア和平からウクライナ和平へ(上)

塩原俊彦

 

もうすぐ拙著『ネオ・トランプ革命の深層』(下の写真)が上梓される。そこでは、批判の的となっているドナルド・トランプ大統領が決して「悪」だけの人物ではなく、さまざまな面での「気づき」を教えてくれる「革命家」であることが書かれている。今回は、35年以上にわたって紛争をかかえてきたゼルバイジャンとアルメニアの和平をめぐる交渉を中心に、トランプ嫌いのオールドメディアが書こうとしないトランプ外交の「深層」について考察してみたい。

Amazon.co.jp: ネオ・トランプ革命の深層 (「騙す人」を炙り出す「壊す人」) : 塩原俊彦: 本

ナゴルノ・カラバフ問題

2020年10月6日付の「論座」において、「ナゴルノ・カラバフ紛争の背後にトルコ」という記事を公表したことがある。同年11月には、「「ナゴルノ・カラバフ戦争」が終結:アルメニアの敗北とロシアの痛手」という記事も公開した。つまり、アルメニアとアゼルバイジャンとの間の過去の紛争や、2020年の「ナゴルノ・カラバフ戦争」の終結について知らなければ、2025年8月8日、ドナルド・トランプ大統領のもとで、アゼルバイジャンとアルメニアの首脳がホワイトハウスに招かれ、両国間の数十年にわたる血なまぐさい紛争に終止符を打つとする共同宣言への署名を行った出来事を理解することはできないだろう。この日、アゼルバイジャンのイルハム・アリエフ大統領とアルメニアのニコル・パシニャン首相は、トランプを賞賛し、未解決の相違点を最終的に解決することを約束した。

ここでは、まず、私の先の記事(後者)をもとに、2020年に起きたことについて説明したい。この地域は、後述するように、2023年9月にアゼルバイジャン軍が制圧するまではアルメニア系住民が多く、多くのアルメニア系住民が逃亡していた。だからこそ、異なる住民間の紛争が繰り返されてきたのである

2020年9月27日からはじまった「ナゴルノ・カラバフ戦争」は、11月10日夜のアゼルバイジャン、アルメニア、ロシアの首脳による、紛争地域での敵対行為を終わらせるための合意文書への署名でひとまず終結されることになった。合意はアゼルバイジャンのアリエフ、アルメニアのパシニャン、ロシアのウラジーミル・プーチン大統領が署名したもので、アリエフがこの合意を「アルメニアの事実上の軍事的降伏」と呼んだように、アルメニアの敗北を強く印象づける内容になっている。

合意の内容

下の図1をみながら、説明したい。ナゴルノ・カラバフはアゼルバイジャン国内に位置する飛び地として存在する。この地域を事実上、アルメニアが支配してきたわけだが、今回の合意で、図1に示されたように、アルメニアは事実上コントロール下に置いていたナゴルノ・カラバフ以西のアルメニアと挟まれた地域を失うことになるだけでなく、ナゴルノ・カラバフの南部なども放棄せざるをえなくなった。

図1 コーカサスの一部としてのアルメニア、アゼルバイジャン、ナゴルノ・カラバフ
(出所)https://www.economist.com/europe/2020/10/03/war-returns-to-nagorno-karabakh

さらに、図2をみてほしい。図の紫色で塗られた部分は「戦闘開始によってアゼルバイジャンが占領した地域」だ。縦の紫色の線で示された地域は「12月1日までにアゼルバイジャンに移行される地域」である(東側のアグダム地区は11月20日まで、西部の北半分のケルバハル地区は11月15日まで、南半分のラチン地区は12月1日までに返還)。緑色の部分が新しい「ナゴルノ・カラバフ」ということになり、それはオレンジ色の点線で囲まれている。その範囲内に、合意にしたがって、ロシアの平和維持部隊が配備されることになる。

黄色の実線はナゴルノ・カラバフの首都ステパナケルトからアルメニアの首都エレバンに向かう既存の道路を表している。だが、アゼルバイジャン人にはシュシャ、アルメニア人にはシュシと呼ばれているとステパナケルトを見下ろす高台が11月8日にアゼルバイジャン軍の統治下に入った。このため、以後、アルメニアとナゴルノ・カラバフを結ぶアクセスを確保するため、新たに黄色の点線で示された道路(幅5キロメートルのラチン回廊)が建設される。他方で、アゼルバイジャンの支配下に移るザンゲランなどの南部とアゼルバイジャンの飛び地にあるナヒチェヴァニを結ぶ道路(紫色の点線)も建設される。

図2 アルメニアとアゼルバイジャンの合意内容
(出所)https://www.kommersant.ru/doc/4566102

この勝利の原動力となったのは、イスラエルの高度な無人機技術と、400億ドルもの出費と数十年にわたる訓練、合同演習、トルコとの連携によって変貌を遂げたアゼルバイジャン軍だった(Zaur Shiriyev, “The Precarious Power of Azerbaijan: How a Delayed Peace With Armenia Endangers a New Regional Order,” Foreign Affairs, 2025)。だが、アゼルバイジャン軍がナゴルノ・カラバフの最後のアルメニア人支配地域を奪還すると思われた矢先、ロシアが介入し、攻勢を停止させ、アゼルバイジャン国内に平和維持軍を配備した。つまり、2020年の段階では、不十分に終わったアゼルバイジャン軍の野望は、その後の同地域におけるアゼルバイジャン軍の本格的台頭によって露わになる。それを可能にしたのは、2022年2月24日からはじまったロシア軍によるウクライナ全面侵攻であり、それがこのコーカサス地域におけるロシアの影響力の低下をもたらしたからであった。

2023年の出来事

ロシアによるウクライナ侵攻の前夜になると、ロシアは平和維持軍の正式な交戦規則を制定し、事実上の占領軍として行動できるようにするよう圧力をかけてきた。アゼルバイジャンはこれに反発し、ロシアがウクライナにのめり込むと、この問題は静かに議題から外れた。和平監視団に正式な任務が与えられず、モスクワからの強い関与もなかったため、勢いづいたアゼルバイジャンは、限定的な軍事侵攻とアルメニア人が居住する地域での前進陣地の拡大に取り組むようになる。ロシアはウクライナ侵攻によって、この地域への関心を失い、アルメニア政府とナゴルノ・カラバフのアルメニア系住民に、平和維持軍はもはや彼らを守るために介入しないという明確なメッセージを送るようになる。

その結果、アゼルバイジャンは作戦を開始する。アゼルバイジャン軍によるナゴルノ・カラバフ地域への展開が本格化する。アルメニアはロシアに対して、集団安全保障条約機構(CSTO)のメンバーとして、2022年9月以降、軍事支援を求めたが、ロシアからは支援を得られなかった。その結果、アルメニアはCSTOへの参加を凍結し、EU主導の民間国境監視団の受け入れに合意する一方、ロシアの同様の提案を拒否し、EU加盟に照準を合わせ、国際刑事裁判所に加盟した(つまり理論上、ウラジーミル・プーチンがアルメニアの地を踏めば逮捕される可能性がある)。

他方で、アゼルバイジャンの「進攻」はより拡大する。2021年12月以降、アゼルバイジャンはナゴルノ・カラバフとアルメニアを結ぶ唯一の道路であるラチン回廊を封鎖してきたが、2023年9月9日、同政府はナゴルノ・カラバフとアゼルバイジャンの他の地域を結ぶ別の道路の開通と引き換えに、回廊再開に合意する。だが、同日カラバフの飛び地で行われた選挙と、4人の警察官を含む6人のアゼルバイジャン人が死亡した地雷爆発に対応することを口実に、9月19日、アゼルバイジャンはナゴルノ・カラバフに対して武力攻撃を開始した。20日13時に停戦し、武装解除することがこの地域のアルメニア人分離主義者とアゼルバイジャン側との間で決定される。

未承認国家ナゴルノ・カラバフ共和国のサムベル・シャフラマニャン大統領は9月28日、共和国の清算に関する法令に署名した。それによると、2024年1月1日までに「すべての国家機関およびその部門配下の組織」を解散させる。同共和国(アルメニア語で離脱国家を意味する「アルツァフ共和国」)は消滅することになる(首都ステパナケルトはハンケンディに改称)。こうして、ナゴルノ・カラバフのアルメニア人全住民(約12万人)が立ち退かざるをえないとの見方が強まり、9月29日までにアルメニア人9.3万人がアルメニアに到着するに至る。

アルメニアのパシニャン首相は2日間の日程でロシアを訪問し、12月26日にサンクトペテルブルクで開催された独立国家共同体(CIS)非公式首脳会議でアゼルバイジャンのアリエフ大統領と握手を交わした。双方は平和条約締結に向けた活発な作業をつづけるようになるのだ。

2025年の出来事

アルメニアとアゼルバイジャンは2025年3月、二国間平和協定の文案に合意した。ただし、この段階では、署名には至らなかった。この協定では、エレバンとバクーは互いの領土の完全性と不可侵性を認め、その上で国境の画定と標示を実施し、外交関係を樹立することを約束していた。ただ、アゼルバイジャンは、条約の署名のためにはアルメニア憲法に「主権と領土の完全性に関する主張」を削除する改正を加えることを要求した。というのも、アルメニア憲法のなかで言及のある1990年の独立宣言中に、ナゴルノ・カラバフを領土として主張する文言が含まれるためとされる。

もう一つのアゼルバイジャン側の注文は、アゼルバイジャン本土とナヒチェヴァン飛び地を結ぶ、途切れることのない陸上回廊を認めることである。別言すると、アルメニア領内にあるアゼルバイジャンの飛び地のナヒチェヴァン自治共和国とアゼルバイジャン本土間の輸送ルート、すなわち、「ザンゲズル回廊」の開発を可能とすることだ(この問題は後述する)。こうすることで、アゼルバイジャンとトルコとの貿易などの交流をより活発にして、アゼルバイジャンとなった旧アルメニア支配地域の再建支援にも役立てようとしている。ただし、ナゴルノ・カラバフとその周辺地域では現在、1990年代の戦争で避難民となった60万人以上のアゼルバイジャン人の一部が徐々に再定住を進めているが、進展は遅く、これまでに帰還したのは約1万3000人に過ぎない(前述のZaur Shiriyev, 2025)。

さらに、1992年に欧州安全保障協力会議(現在は欧州安全保障協力機構、OSCE)によって設立され、ナゴルノ・カラバフをめぐるアゼルバイジャンとアルメニアの紛争に対する平和的かつ交渉による解決を促そうとしてきた「OSCEミンスク・グループ」の解散をアゼルバイジャンは求めた。OSCEミンスク・グループは、共同議長国である米ロ仏が交流を停止したため、2022年以降、事実上活動を停止しており、後述する共同宣言で廃止が決まった。

「知られざる地政学」連載(104):アゼルバイジャン・アルメニア和平からウクライナ和平へ(下)に続く

【連載】知られざる地政学(塩原俊彦)のリンクはこちら

– – – – – – – – – – – – – – – – – – – – – – – – –

★ISF(独立言論フォーラム)「市民記者」募集のお知らせ:来たれ!真実探究&戦争廃絶の志のある仲間たち

※ISF会員登録およびご支援のお願いのチラシ作成しました。ダウンロードはこちらまで。
ISF会員登録のご案内

「独立言論フォーラム(ISF)ご支援のお願い」

 

塩原俊彦 塩原俊彦

1956年生まれ。一橋大学大学院経済学研究科修士課程修了。学術博士。評論家。『帝国主義アメリカの野望』によって2024年度「岡倉天心記念賞」を受賞(ほかにも、『ウクライナ3.0』などの一連の作品が高く評価されている)。 【ウクライナ】 『ウクライナ戦争をどうみるか』(花伝社、2023)、『復讐としてのウクライナ戦争』(社会評論社、2022)『ウクライナ3.0』(同、2022)、『ウクライナ2.0』(同、2015)、『ウクライナ・ゲート』(同、2014) 【ロシア】 『プーチン3.0』(社会評論社、2022)、『プーチン露大統領とその仲間たち』(同、2016)、『プーチン2.0』(東洋書店、2012)、『「軍事大国」ロシアの虚実』(岩波書店、2009)、『ネオ KGB 帝国:ロシアの闇に迫る』(東洋書店、2008)、『ロシア経済の真実』(東洋経済新報社、2005)、『現代ロシアの経済構造』(慶應義塾大学出版会、2004)、『ロシアの軍需産業』(岩波新書、2003)などがある。 【エネルギー】 『核なき世界論』(東洋書店、2010)、『パイプラインの政治経済学』(法政大学出版局、2007)などがある。 【権力】 『なぜ「官僚」は腐敗するのか』(潮出版社、2018)、『官僚の世界史:腐敗の構造』(社会評論社、2016)、『民意と政治の断絶はなぜ起きた:官僚支配の民主主義』(ポプラ社、2016)、Anti-Corruption Policies(Maruzen Planet、2013)などがある。 【サイバー空間】 『サイバー空間における覇権争奪:個人・国家・産業・法規制のゆくえ』(社会評論社、2019)がある。 【地政学】 『知られざる地政学』〈上下巻〉(社会評論社、2023)がある。

ご支援ください。

ISFは市民による独立メディアです。広告に頼らずにすべて市民からの寄付金によって運営されています。皆さまからのご支援をよろしくお願いします!

Most Popular

Recommend

Recommend Movie

columnist

執筆者

一覧へ