第35回 明暗を分けた二つの訴因変更
メディア批評&事件検証前回から法廷が東京高裁に移った。驚いたことに、裁判所自らが予備的訴因の変更を促し、検察が渋りながらもそれに応じたことを伝えた。果たして判決の行方にどのような影響を及ぼすのか、気になるところだ。かつて、国内で訴因変更後の判決で明暗を分けた代表的な二つの裁判があるので、紹介したいと思う。
①今市事件と訴因変更の中身が非常によく似たケースで、判決が無期懲役の有罪になった。②裁判官3人がいかに証拠というものが大事か、訴因変更による逆転無罪判決で国民に説いたケースで、当時の裁判官3人は「世紀のドリームチーム」と裁判史上で後世にまで讃(たた)えられている。
ISF独立言論フォーラム副編集長の梶山天が、朝日新聞日光支局長として着任した時から着目していた「今市事件」の控訴審判決を2018年8月3日に控えた7月11日のことだった。大きなニュースが飛び込んできたのだ。滋賀県蒲生郡日野町の強盗殺人事件で無期懲役が確定し、服役中に病死した阪原弘(ひろむ)受刑者の第二次再審請求審で、大津地裁(今井輝幸裁判長)が、再審開始を認める決定を出した。いわゆる「日野町事件」である。
受刑者の死後に再審開始決定が出るのは、極めて異例のことだった。同地裁は「警察官による暴行や脅迫的文言で自白した疑いがあり、自白に信用性が認められず、間接事実からも犯人とは推認できない」とした。反響は大きく、どのテレビ番組を見ても、同地裁前で「再審開始」文字が大きく揺れ、拍手と歓声が響いていた。それもつかのま、同月17日には検察が即時抗告を行った。22年3月15日には大阪高裁による現場検証が行われたが審理はまだ続いている。
日野町事件は、1984年12月、滋賀県蒲生郡日野町の「ホームラン酒店」経営の池元はつさん(当時69歳)が行方不明となり、翌年1月に同町内の宅地造成地で遺体となって発見された。その後、町内の山林で店の手提げ金庫が見つかった。約3年後の88年3月に阪原元受刑者が逮捕、起訴され、95年6月に一審の大津地裁(中川隆司裁判長)が「自白は信用できない」としながらも有罪判決を言い渡した。
起訴状によると、阪原元受刑者は84年12月28日午後8時40分ごろ、客として行った酒店内で、経営者の池元さんの首を絞めて殺し、翌日に現金5万円と手提げ金庫などを奪った。阪原元受刑者は、捜査段階で自供したとされるが、一審では「被害者が行方不明になった当日、知人宅で酒を飲み、そのまま翌朝まで寝込んでしまった、とアリバイを調べの際に主張したが、捜査員から『殺害を認めないと(結婚予定の娘の)嫁ぎ先をガタガタにしてやる』などと脅されたり、刑事数人から殴る蹴るの暴行を受け自白させられた」などと一貫して無罪を主張した。
検察が予備的素因変更を請求したのは、一審の結審間際の95年1月だった。検察は起訴内容のうち殺害場所を「酒店内」からを「日野町内」に、殺害日時も「12月28日午後8時40分ごろ」を「28日午後8時すぎごろから翌日午前8時半ごろまでの間」などと拡大。被害品についても「現金5万円と手提げ金庫など」を「在中金額不詳の手提げ金庫など」と変更した。さらに同2月には殺害場所を「日野町とその周辺」に拡大した。地裁はこれらの請求を認め、検察側は無期懲役を求刑。判決は有罪だった。
この殺害日時の予備的訴因の追加は、今市事件の連載を読んでいる読者の皆様ならピンとくるはずである。検察が裁判の終盤になって殺害場所と日時を大幅に変える。まさに今市事件控訴審で行われた訴因変更と瓜二つなのだ。その後、日野町事件の裁判は、訴因変更によって有罪判決になったが、今市事件もその可能性があったのだ。
日野町事件の裁判は2000年に刑が確定。阪原受刑者は01年、無実だとして大津地裁(長井秀典裁判長)再審請求した。しかし、同地裁は06年に請求を棄却。阪原元受刑者は、広島刑務所で病状が悪化し、10年に刑の執行が停止され、広島市内の病院で翌11年3月に肺炎で75年の生涯を閉じた。
12年3月に、長男の弘次さんと長女の美和子さんの2人は「父の無念を晴らしたい」と大津地裁(長井秀典裁判長)に第2次再審請求をして18年7月に再審開始が認められたのだ。それを検察が即時抗告で阻止した。
今年5月27日、再審法改正をめざす市民の会主催の「再審法改正をめざす議員と市民の集い」にビデオメッセージで参加した弘次さんは「無期懲役」と書いたプラカードを胸に掲げ「父の無念の死は冤罪にある」と声を震わせた。家族がどんな思いでこれまで闘ってきたことか。検察の即時抗告と聞くたびに梶山が「もういい加減にしろ!」とテレビに向かって叫ぶ瞬間(とき)がある。誰しも間違いがある。間違ったら謝るのが人間だ。名誉の回復どころか、冤罪者の死を待って名誉の回復を拒む姿勢では人を裁く資格はない。このことははっきりと言いたい。
18年7月に日野町事件再審開始の報道が続く中で、唯一、気になったのが、この裁判の一審での訴因変更には裁判所と検察側との重大なあるからくりがあったよということだ。当時の毎日新聞大阪編集制作センターの山本直樹さんがそのからくりを明らかにした。
「あの時の背景に重大な『秘密』があった。担当裁判官が検察に対し、殺害の場所や時刻などをぼかす公判対策を行うよう法廷外でこっそり働き掛けていたのだ。裁判のもう一つの当事者である弁護側に秘密で。複数の検察関係者によると、合議制の裁判官3人のうち一人が担当検事との打ち合わせで、起訴内容にある殺害場所や犯行時刻、被害品をぼかしたほうがいいと勧めていた。裁判が長期化し、担当検事は何度か変わったが、その度に同じような働きかけをしていたという。最終的に予備的素因の追加に踏み切った理由について『裁判所は有罪の心証を持っていた。状況証拠だけで有罪にできると言われたも同然と判断したからだ。』と語る関係者もいた」。
一方、今市事件の控訴審の法廷では、毎回のように裁判長が「殺害場所と犯行日時か特定されていない」と訴因変更をあおったが、最後にくぎを刺して「検討します」と返事を引き出し、訴因変更請求をやらせて、裁判所は18年3月29日付で許可した。まさか裁判所が検察と入念な芝居をしていたのではないだろうかとの不安が湧き上がっていたのも事実だ。
独立言論フォーラム(ISF)副編集長(国内問題担当)。1956年、長崎県五島市生まれ。1978年朝日新聞社入社。西部本社報道センター次長、鹿児島総局長、東京本社特別報道部長代理などを経て2021年に退職。鹿児島総局長時代の「鹿児島県警による03年県議選公職選挙法違反『でっちあげ事件』をめぐるスクープと一連のキャンペーン」で鹿児島総局が2007年11月に石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞などを受賞。著書に『「違法」捜査 志布志事件「でっちあげ」の真実』(角川学芸出版)などがある。