第35回 明暗を分けた二つの訴因変更
メディア批評&事件検証さて、もう一つの例が1980年代を象徴するロス疑惑事件だ。81年11月18日午前11時過ぎ(現地時間)、三浦和義元被告と妻が滞在していた米国ロサンゼルス市内の駐車場で銃撃された。三浦元被告が左足を負傷し、妻が頭を撃たれ重体。その妻は1年後に死亡した。その後、週刊誌による保険金目当ての殺人を示唆する「疑惑の銃弾」報道で、日本列島はフィーバー状態になった。
三浦元被告と取引業者の2人が88年10月に警視庁に逮捕された。一審の起訴内容は、三浦元被告が取引業者と共謀し、業者が実行犯として元被告の妻を殺したとされた。94年3月、東京地裁(松本昭徳裁判長)は、取引業者が共犯か証明は不十分だが、訴因変更もしないで突如「氏名不詳の第三者」を共犯として持ち出し、この人物が銃撃したとして、三浦元被告だけに無期懲役を言い渡した。
これに対して東京高裁(秋山規雄裁判長、門野博裁判官、福崎伸一郎裁判官)は、検察に「銃撃の実行犯は業者でなければ、氏名不詳の第三者と共謀して殺害した」と訴因を付け加えさせ、実行犯が分からないとして証明不十分で無罪にした。この逆転無罪判決は「共謀の成立にはどう見ても合理的な疑いが残る」「確かな証拠がない」と検察が描いたシナリオにことごとく疑問を挟んで、一審判決を否定した。結局、最高裁で無罪が確定した。マスコミの有罪報道が先行したが、控訴審の3人の裁判官は「有罪にするなら証拠が必要だ」という正当性を示したのだ。
さらに控訴審の逆転無罪判決文には「事実認定に関連して付言しておく」とマスコミに対して異例の付言を付けた。報道の根拠としている証拠が高い証明力を保持し続けるだけの正確さを持っていたのか、どうかの検討が不十分な状況で嫌疑をかける側に回っていると指摘した。これはマスコミ先行だったこの事件での一審裁判はこれらマスコミ報道の外的要因が影響したことも否めないことにくぎを刺しているとも思えた。素晴らしい判決分文だった。梶山が常に証拠にこだわるのはこのこの「付言」が心に灯っているからだ。
梶山は尊敬している裁判官がいる。裁判官人生の中で30以上の無罪判決を出し、確定。「証拠に厳しい裁判官」と検察に恐れられた元裁判官の木谷明さんだ。彼が言うには裁判官には三つのタイプがあるという。
①「起訴されたらみんな有罪」の頑迷な迷信型が3割、②様子をうかがうばかりで決断できない優柔不断・右顧左眄(うこさべん)型が6割。だが、ロス疑惑の3人は、被告人のためによくよく考え、最後は「疑わしき」の原則に忠実に自分で考え、実行する数少ない③「熟慮断行型」の人たちで、こんなケースはほとんどない「ドリームチーム」だったと賞賛する。
木谷元裁判官は、今市事件の控訴審の東京高裁が訴因変更を促していると聞いた段階から驚いていたという。「検察が勝手に訴因変更を申し出るのなら分かるが、なぜ裁判所が促す必要があるのか疑問だ」と首をかしげた。
連載「データの隠ぺい、映像に魂を奪われた法廷の人々」(毎週月曜、金曜日掲載)
https://isfweb.org/series/【連載】今市事件/
(梶山天)
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独立言論フォーラム(ISF)副編集長(国内問題担当)。1956年、長崎県五島市生まれ。1978年朝日新聞社入社。西部本社報道センター次長、鹿児島総局長、東京本社特別報道部長代理などを経て2021年に退職。鹿児島総局長時代の「鹿児島県警による03年県議選公職選挙法違反『でっちあげ事件』をめぐるスクープと一連のキャンペーン」で鹿児島総局が2007年11月に石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞などを受賞。著書に『「違法」捜査 志布志事件「でっちあげ」の真実』(角川学芸出版)などがある。