【特集】9.11事件の再検証

登校拒否新聞書評欄:きくちゆみ・童子丸開著『超みえみえテロ』Ⅳ

藤井良彦(市民記者)

百姓は知らしむべからず。由らしむべし、とは徳川幕府の統治則である。読み書き計算というが、公教育は最初、読み方と計算だけを教えた。書く必要はない。御触書が読めて、大砲の弾道が計算できれば良い。「小学」と呼んでいた頃、小学校に運動場はなかった。運動場をつくったのは軍事教練のためだ。平均身長、平均体重を測るのは軍服のサイズや装備品の重さを決めるため。「書く」ことで私たちは百姓の身分を脱するのである。ここで読み書きについて言っていることは映像についても言える。哺乳類の先祖は夜行性であった。だから今でも私たちはネオンの灯りに弱いのだ。五感の中でも視覚に依存する度合いが高い。どうしても見たものを信じてしまう。だから、そのように見せれば良い――民は由らしむべし、というのが彼の国の統治則だ。

きくちゆみ・童子丸開著『超みえみえテロ&戦争詐欺師たちのマッチポンプ:なぜ世界は黙ってこれを見過ごすのか』の書評である。これを著すために筆者は遠大なる回り道をした。そのおかげで不時着することになったけれども、幸いなことに藪の中からブラックボックスが見つかった。まずはボイスレコーダーを再生してみよう。

正直なところ、今年1月26日に開催されたISFシンポジウムの折、懇親会の中華料理屋で岡田代表が「9/11がやらせだって知らないの!?プーチンだって鉄が溶けてるじゃないかって言ってるよ!」と叫んでいる姿を見て、この人は何を言っているのか、と思ったのである。ところが、何の気なしにこの本を読んでみて、調べていくにつれ認識を新たにした。哲学は存在論から認識論、そして言語論的転回へと至ったとされる。ならば、メディア論的転回もあろう。映像は認識を誤らせ、存在しないものを存在させる。AIの時代、それはさらに深刻なものとなる。スマホの小さな画面でどうやって真偽を確かめるのか?

この書評は登校拒否新聞とは関係なく出そうと思った。内容からしてそうだろう。けれども、エリートたちが演じている芝居ではないか。裏返せば、それを指摘すれば陰謀論者と言われることを恐れるエリートたちの失態ではないか。

先般、逝去された森永卓郎氏が尾木直樹氏との共著『教育格差の真実』(2008年)において、おもしろいことを言っている。

現在の、ジョージ・ウォーカー・ブッシュ大統領は、ハーバードの経営大学院を出ていますけれども、その前はエール大学なんですね。なぜ、あのブッシュ大統領がエールに入れたのかというと、パパ・ブッシュがエール大学だからなんですね。息子は無条件で入れるそうなんですよ。・・・結局、アメリカでは、例えば、アイビー・リーグのようなところは、事実上、金持ちの子どもしか入れないんです。ハーバードもものすごい学費ですから。一方、下のほうの大学というのは、出てもそんなにいい企業には就職できない。つまり、教育を使って階級の再生産が簡単にできるようになっているんですね。(74頁)

このウォーカーとは一般にWと略されるジョージ・W・ブッシュのことだ。裏口入学ならぬ表口入学である。教育格差は通塾格差と同書で尾木氏が指摘する通り、学力格差の実態は経済格差なのである。マルクス主義的に言えば階級格差だ。そして、その階級自体が教育によって維持されている。

隠れマルキストたる森永氏は続ける。

それで、ブッシュ大統領がイラクに増派をすると言ったときに、アメリカは志願制なので、「もうこれだけ死んでいたら、志願者はいないだろう」と私がある日本人に言ったら、その人がアメリカ人の担当者に聞いたんですって。そうしたら、「そんなの簡単だよ」と言ったそうなんです。「どうやって何万人もひねり出すんですか」と言ったら、一般の奨学金の条件を厳しくするという。そうすると、軍に入る以外に大学に行く手段がなくなるんですよ。(77頁)

この本の書評を登校拒否新聞に載せようかと思っていたところ『超みえみえテロ』に心を奪われてしまったわけだが、結局は底を通じている。大学に進学する費用を捻出するために軍に入る。その指導者たちは石油会社の取締役で、パイプラインを敷設して儲けている。学校制度がいかに近代国家の根幹をなしているか、よくわかる話だ。森永氏の絶筆『書いてはいけない:日本経済墜落の真相』(2024年)は表題が暗示しているように、御巣鷹山の事件についても言及している。ツインタワーについては何と言ったろうか?

以上、フライトデータレコーダーの記録を再生してみた。ここでようやく『超みえみえテロ』の書評に入る。この本は徳間書店が企画した「5次元文庫」から上梓された。ロックフェラーとかロスチャイルドとか陰謀論の臭いがぷんぷんするシリーズの1冊である。だが、本書は哲学書だ。だから関心を持った。童子丸氏は次のように問いかける。

「事実はこうである。こんな意味を持っている」という判断は、身近な事柄を除けば、メディアが一方的に与える情報を基にして行う以外に方法がない。その情報を基に、我々は原則的な理解と比較しながら「たしかにそうだ」「これはおかしい」などの判断を行うわけである。判断の基準にするメディア情報の総体を映画のスクリーンとするならば、我々が共有する空間は映画館にたとえられるだろう。・・・身の回りで起こる事実は正常な感覚機能と判断能力さえあれば知ることができよう。しかしこの「映画館」で知る「事実」はあくまでもスクリーンに映されたものに限定されるのである。どうすればその情報を「正しい、間違っている」と判断できるのか。解説さえもやはりその「映画」のナレーターの声に過ぎないのだ。「事実か否か」の判断は、結局は「信じるか、信じないか」の問題になってしまうのではないだろうか。(51頁)

私たちは映画館で「テロ攻撃」という映画を見せられたわけである。その映画には、たしかに飛行体がビルに突っ込む場面があった。中継映像には「飛行機なんか見ていない」と言う男に対して「見た」と言う男が勢い余って「テレビで見た!」とやり返してる場面がある。「事実か否か」の判断は視覚によってなされるものではない。

私は学校哲学者などと自称している。中学不就学で、本校が女子高の附属通信制課程を卒業。Fランを経て、哲学で博士号を取得したからだ。古代哲学は宇宙の存在を、中世哲学は神の存在、そして近代哲学は自我の存在を考えてきた。ここに存在論から認識論への転換が起きる。自我というものを主観として考えれば、世界を客観として認識するのはこの私だということになる。「事実か否か」の判断、つまり主語=述語という判断は私によってなされる。ここで、言語という媒介を無視できないとなれば言語論的転回と知られる新たな転換が生じる。けれども、映像となるとどうか。結局のところ、そう信じているに過ぎない、という見方は成り立つ。哲学史では懐疑論として知られる見方で、スコットランドのヒュームという哲学者がその代表格だ。それに対して、ドイツのカントという哲学者は、認識は客観的に妥当するのだと言った。その根拠となるのが自我。我れ思う、で有名なデカルトの私=主観である。「AはBである」という判断の奥に「自分はそう考える」という私がいる。しかし、この「自分」はそれほど確かなものであろうか?

童子丸氏は現代の懐疑論者と言えるだろう。報道を前にして「客観的妥当性」というカントの認識論は無効である。私たちはそれが事実であるかどうかの判断を映像から確実に下すことはできない。目ではジブリのトトロとAIのトトロを区別することはできない。自分の目で見たわけではないモノを見せられている。その世界に私たちは生きている。陰謀論とは現代の懐疑論なのである。スコットランドではヒュームに続いて常識学派と知られる一派が出た。本体がアルミ合金でエンジンがチタン合金。その飛行機が衝突音も立てずにビルに形を変えないままのめり込み、その1秒後に爆発音が聞こえるということが常識的にあり得ることなのか?

存在論と認識論という哲学のフレームワークで言うと、9/11事件は学校という存在とメディアという認識が構成している。4機の飛行機が姿を消す間、ブッシュ大統領は小学校にいた。当日、サンフランシスコ市長がライス大統領補佐官からフライトをキャンセルするよう伝えられたことは市長自らが証言するところである。大統領が学校にいたことは偶然ではない。第2ビルの爆発について初報を受けた時には教室で女の子が本を朗読するのを聞いていた。しかし、立ち上がらない。なぜか?

北タワーの上層階に飛行機が激突したとされるのは8時46分。8時48分、テレビ中継開始。大統領が小学校に到着したのが8時51分。9時3分、南タワーで爆発が起きる。9時5分、教室で南タワーについての報告を受ける。9時30分、小学校で会見を開き「2機の飛行機が世界貿易センターに突入したことは明らかにテロ攻撃」「テロリズム」と発言。子どもたちをバックにして劇的な演出だ。9時35分、大統領が車に乗る。9時55分、大統領機が離陸する。初動の遅れ、ではない。既定の行動――プロパガンダである。北タワーの爆発後、消防士がビルに入った時の映像がある。ロビーはすでに壊れている。上層部の爆発の前に地下6階で複数の爆発があったという複数の証言(被災者を含む)はロドリゲスの証言により裏書きされる。けれども、9.11コミッションが彼らの意見を聞くことはなかった。その『報告書』にはロドリゲスの名前すらない。

テレビの中継映像――ライブコンポジットを見せられていた時に、大統領の演説が始まり「2機の飛行機」による「テロ攻撃」とのテロップが流れ、キャスターによるナレーションが入る。衝突音のない「映像」とシリアル番号のない部品。証拠物がないにもかかわらず、飛行機が衝突したという認識は客観的に妥当するものとされる。それを疑う者は陰謀論者である。愛国者ではない――非国民と。

知恵を愛するのが哲学というのはフィロソフィアという古代語の語源学だ。そこで「希哲学」と明治時代に訳されたのが「希」の一語を取って「哲学」と略したから意味不明の二文字となった。同じ古代ギリシアの哲学用語にエンドクサというのがある。ドクサは臆見と訳され、認識と訳されるエピステーメーの対語だ。エンドクサとは、社会的なドクサという意味である。真理の探究は思い込みを捨てることから始まる。「テロ攻撃」の真相究明とは、まさに知恵を愛する者の知的営為ではないか。それなのに現実を前にして頭を働かすことができない。チョムスキーのような左派の知識人でさえ「対テロ戦争」は批判できても「テロ攻撃」を疑うことはできなかった。

日本の左派たちは満州事変がでっち上げのテロだという主張をしてきた。戦後、占領軍を解放軍と規定したその一派はソ連の共産主義からアメリカの民主主義へと鞍替えした。ブルジョア民主主義の打倒、プロレタリア独裁を謳う『プロレタリア新聞』をコミンテルンの資金により発行。銃を密輸入して、打倒「天皇制」を掲げていた過去が、ファシズムへの抵抗。民主主義を守る平和運動であったと修正される。かの国がどれだけの事件をでっち上げて戦争を行ってきたか。その歴史は、きくち氏の訳した『戦争中毒』『テロリストは誰?』に詳しい。大日本帝国と満州事変に言えることはアメリカの民主主義にも言える。氏は護憲派とされる日本の左派から外れた。彼女の本意ではないようだけれども、この国の左派はアメリカの民主主義を信じている。過ちは繰り返さないと謝っている。学校での宣戦布告が大本営発表であることが見抜けない。旅客機がビルに神風アタックするとはまさに「新たなる真珠湾」ではないか!

戦前の日本では石器時代はないとされていた。いわゆる皇国史観に矛盾するからである。戦後、石器時代を記した日本史を書いたのは家永三郎であることは左派なら常識的に知っていることだろう。童子丸氏は同じことが9/11事件にも言えるとする。戦前の考古学は古い地層を見ても発掘調査は自粛した。同じことが、ブラックボックスを捜すこともなく遺体の捜索もやめ瓦礫をリサイクルに出した彼の民主国家にも言える。

――9.11事件ばかりではないのだが、世界中の主要な研究者や言論界の有力者、マスコミの解説者たちは、実に用心深く、ある一定の事実から話をそらし、そこには決して何の事実もなかったかのように説明をまとめようとする。・・・ここに虚構の作り方の大きな特徴がある。もしどうしても隠すことのできない事実がある場合、捜査当局と研究機関、大手メディアなどが一斉に判で押したようにそれらを無視することである。当然だが、その背後には国家を動かす強大な権力と激しい暴力、そして劣情をかきたてる利権の餌が存在するだろう。特に科学技術の専門家をもって任ずる人々にはきわめて顕著にその傾向が現れる。それはもはや人間の思考の退廃であり知の敗北宣言に他ならない。それはさらに言えば知的暴力でもある。(134頁)

直接には科学技術者が問われている。けれども「思考の退廃」「知的暴力」「知の敗北宣言」と聞いて私は哲学者としての責を感じた。哲学は「知のアマチュア」(鹿島徹)という見立てがある。童子丸氏が言っているように「科学技術の専門家をもって任ずる人々にはきわめて顕著にその傾向が現れる」という、その「思考の退廃」「知的暴力」「知の敗北宣言」を前にして哲学者はアマチュア根性を発揮して、日本製の特殊鋼が灰燼に帰した理由を考えよう。現場には大きな穴がいくつか空いており(第5ビルは壁面が円形に損傷している)、トリチウム、ストロンチウム、バリウムといった放射性物質が検出されている。中継画像が乱れた理由は意外なところにあるのかもしれない。

ペンタゴンに突っ込んだとされる飛行機の残骸が見当たらない理由は何か。セスナ機を飛ばす免許しかない「テロ実行犯」が奇蹟的に、それも機体のサイズを縮めたとした考えられないくらいの小さな丸い穴をペンタゴンの修復中の面に空けた。黒煙を吹いたのは工事用に置いてあった発電機だ。監視カメラの映像がない理由。おっと、1本だけあった。日付は9月12日となっているけど何か地表すれすれに飛ぶ白い物が映っている。

ホワイトハウスを目標にしていたとされる飛行機が墜落したという現場には窪地しかない。土壌からは航空機の燃料が検出されず、血痕の一つ見つからない。それもそのはず、ブラックボックスは7.6メートもの地下に埋まっていた。乗客の一人は機内から母親に携帯電話をかけた。なぜかフルネームを名乗っている。

夕方になって、第7ビルが制御解体される。複数のテレビ局が「壊れた」と報じたあとで、42階建てのビルはようやく崩れ落ちた。ビルの所有者は「鎮火の目途が立たない」と連絡してきた消防に「解体(プル)するのが賢いやり方だ」とアドバイス。なるほど保険をかけていて正解だ。彼のオフィスはリース権を獲得したばかりの北タワー88階にあった。もちろん当日は不在。ユナイテッド航空とアメリカン航空の株は週末にプットオプションで買われている。第7ビルには政府機関だけでなく、ブッシュ政権によって重要なエンロンやワールドコムのような企業も入っていた。どちらも粉飾決算により経営が破綻する。その捜査を進めていた証券取引委員会も第7ビルに3フロアを占めていた。仕手戦にもテロリストがいるらしい。

2機の飛行機により3棟のビルが自由落下の速度で崩壊するという前代未聞のテロリストアタックであるが制御解体である以上、じつは飛行機がビルに突っ込んだかどうかは問題ではない。ツインタワー自体が目くらましだったと考えれば、9.11コミッション『報告書』に第7ビルについての記載がないことも頷ける。航空機がのめり込んだはずのツインタワーではなく、火災で倒壊したとされる――なるほど予期されていたので死者はいない――第7ビルの瓦礫が真っ先に撤去されたことは偶然だろうか?

なお、このビルもツインタワーが崩壊した時点から黒い煙を吐いていた。8階と12階、13階の窓が割れており火の手が上がっていることは映像から確認できるが、その窓から煙が上がっているわけではない。このビルもツインタワーと同じタイミングで発破される予定だったのかもしれない。’84年築である。計画通りに進まないから「プル」と指示を出したか。ツインタワーと第7ビルの間にある8階建ての第6ビルは半壊、というよりも真ん中に底まで穴が空くようにして壊れた。事故後の航空写真を見ると、その他にも円形の窪みが現場一帯にいくつかある。

哲学には「現象を救う」というプラトンの教えがある。理論的に考えれば矢は飛んでいない。矢が的に当たるためには半分の距離を飛ばねばならず、そのためにはその半分の距離を、そのためにはまたその半分と、半分の半分がずうっと続くからだ。しかし、もちろん矢は飛ぶのである。航空機が衝突し、その燃料に引火して鉄骨が溶けて崩壊という説明は一つの理論だ。上層の重みで下層が潰れるパンケーキ現象を説明する理論と言えよう。ところが、あの日に起こったのはパンケーキ現象ではない。ジュディ・ウッドが「風と共に去りぬ」と表現したように空中で建材が粉となって吹き飛んだ。飛行機の映像も目に見た現象ではなくてテレビ映像だ。ハチソン効果とかホログラム説とか理論としてはおかしいかもしれない。けれども、理論家はえてして矢は飛んでいないというような主張をしがちである。そのために不都合な証言はないことにされ、目に見える矛盾は無視される。

トゥルサー(真実を語る人)とは哲学者でなければならない。「陰謀論」とレッテルを貼れば終り。「反ワク」も然り。実際、9/11陰謀論者たちはワクチン陰謀論へと突き進んでいった。つまり、テレビ局が配信する情報と「SNS」の情報とが対立する時代は9月11日から始まっている。事件の真相解明はインターネット上のサイトでなされた。映画などの映像作品については先に紹介した。ウェブサイトの多くはすでに閉鎖されているかハッキングされるなどして閲覧不能。当時のニュース記事を示したURLの多くは無効である。ライブコンポジットを放送した報道機関とそれがフェイクであることを指摘したウェブサイト。そして、紙の本――9/11コミッションの『報告書』は典拠にできない。

メディア論的転回――とは、きくち氏も言っていることなのだ。

危機を社会変革のチャンスにするのは、私たち一人々々がいかに嘘を見抜いて、事実を知り、伝えるかにかかっています。マスコミに働きかけることも大切ですが、なかなか報道されない911事件の真相については「あなたがメディアになる」こと(Be the media!)が何より重要です。「メディア」とは新聞やテレビだけではありません。もっとも有効なメディアは実は口コミだと思います。人は自分の信頼する友人の情報をより信頼するものだからです。(33頁)

私を信頼する友人は少ないが、あなたもまたメディアになって、ホームシアターで映画を観てほしい。陰謀に巻き込まれておきながら、それを指摘されれば陰謀論だと言う。この事件で命を落とした日本人は24人。そのうち、11人の遺体は未確認である。11便と93便の乗客リストには日本人の名が一人ずつ見られる。11便は発着記録がなく、93便は到着地変更、それも撃墜された可能性がある。とはいえ墜落地とされる現場では一人として遺体が確認されていない。御巣鷹山では自衛隊員がもみじの葉を見つけた。血にまみれた赤子の手を。

この書評を草するために、私はにわか仕込みで勉強をした。だから不十分な点もあろう。私自身、内容に満足はしていない。『平和に対する罪』という題で年内にも一冊の本にまとめるつもりだ。古い本や資料をお持ちの方で不用ならばお譲りして欲しい。グリフィンのベストセラー『The New Pearl Harbor』(2004年)なんかでも初版に限れば案外にもう出回っていないようだ。ウェブページのコピーなどもあれば助かる。

結局、9/11事件の核心は第2ビルに衝突したとされる175便にある。ビルが壊れること自体は問題ではない。それの原因が旅客機の衝突にあるからこそ「テロ攻撃」なのだ。「テロとの戦争」の発端はここにある。「思想戦」という言葉が戦中に京都学派の哲学者によって使われたけれども、現代の戦争は「認知戦」だ。その戦争を前にして哲学者は黙ってるわけにはいかない。宣戦布告は学校でなされた。学校哲学者が登校拒否新聞の書評欄に筆を執った次第である。

– – – – – – – – – – – – – – – – – – – – – – – – –

※ISF会員登録およびご支援のお願いのチラシ作成しました。ダウンロードはこちらまで。
ISF会員登録のご案内

「独立言論フォーラム(ISF)ご支援のお願い」

 

藤井良彦(市民記者) 藤井良彦(市民記者)

1984年生。文学博士。中学不就学・通信高卒。学校哲学専攻。 著書に『メンデルスゾーンの形而上学:また一つの哲学史』(2017年)『不登校とは何であったか?:心因性登校拒否、その社会病理化の論理』(2017年)『戦後教育闘争史:法の精神と主体の意識』(2021年)『盟休入りした子どもたち:学校ヲ休ミニスル』 (2022年)『治安維持法下のマルクス主義』(2025年)など。共著に『在野学の冒険:知と経験の織りなす想像力の空間へ』(2016年)がある。 ISFの市民記者でもある。

ご支援ください。

ISFは市民による独立メディアです。広告に頼らずにすべて市民からの寄付金によって運営されています。皆さまからのご支援をよろしくお願いします!

Most Popular

Recommend

Recommend Movie

columnist

執筆者

一覧へ