【連載】週刊 鳥越俊太郎のイチオシ速報!!

今日は宗教について考えた

鳥越俊太郎

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あなたにとって宗教とは何ですか?
と聞かれたら 、あなたなら、なんて答えますか?
私自身がこう聞かれたら、どう答えるんだろう?
考えたこともなかった。
私が育ってきた家庭の状況を見ると、神棚や仏壇はなかったので宗教的な雰囲気の中に自分がいたとの記憶はない。
本家(父の兄が継いでいる鳥越家の本家)には大きな仏壇があり、お盆の頃になると子供達も大人と一緒に仏壇へ手を合わせに行ってたし、必ず親戚一同親子連れで巨瀬後川の近くにある先祖伝来の墓の前でお墓参りをしていた。
今考えてみると、あれが家族宗教らしい、といえばそうだろうな。
やがて日本の経済が発展し高度成長期を迎え、鳥越家一族(2代目、3代目)は外に向かって羽ばたいていった。
あの、鳥越家の墓守は誰の手に委ねられているのだろう?おそらくだが、鳥越家の本筋を継いでいる鳥越製粉社長。
彼が墓守をしているのだろう。私の父親は亡くなる時福岡の高台から博多湾が一望できる墓地に我が身の置き所を決めた。我々も鳥越家の血筋を継ぐものとして、そこを終の住処にすればいいのだろうが、所詮博多の地である。
私は八十路半ばを超えた時、娘二人とも他家に嫁いでいるので、東京で「鳥越家」を残す必要もなく、太平洋に散骨を!!
と考えた事もあったが、最終的には我が父の宗派「浄土真宗」の「築地本願寺」に合同墓なるものがあると聞き、一度築地を訪ねようと思う。すみませんね、自分の後始末のことまで書いてしまいました。これが私ども日本人の宗教にある決着の付け方だ。戦前まで我々日本人が間違っていたのはここだと思う。何度聞いても特攻隊の思想は間違いですよね。
散骨と特攻隊では話は違うけどね。
従って宗教儀式は1代で終わるのがあの頃の常で、家を継いできたのは主として長男一家のお勤めである。
我父は京都大学を卒業し住友本社に就職したものの就職とともに「強迫観念症」という一種精神的な病に絡め取られていく。その様子は父が亡くなる前に著した分厚い一冊の本に詳しく綴られている。
「『虚実の彼方に』ー鳥越家の人びと」に書かれていることは一人の人間の精神の苦闘の実相だ。読むのが苦しくなるくらいの心の慄きでもある。こういう下をどう読めばいいのか?
「3月13日は長男俊太郎の誕生日。1年前、九大精神科に入院中、妻は同じ九大の産婦人科で祝福するには余りにも不遇な状況でお産をした。今、彼は新聞記者として活躍している。暗い翳はみじんもない」
この本は500頁の大部で通読は難しく、結局は父は苦闘の果てに親鸞と出会い本格的に「浄土真宗」の信者になって行くお話です。

ではもう一度元に戻り宗教とは何か?について、世界の地図の中で考えてみよう。
世界の宗教を考える時、さて我方は?どうなっているのかな?考えるだけではなく、今の日常生活と宗教とかを考えたのである。
ま、これから世界の宗教を考えるにあったてまず自分の周りを「宗教」という言葉で洗ってみたのだ。
まず宗教に包まれているはずの社会と触れ合ったのがアメリカだった。
日本の新聞の夕刊に『米郊外新聞協会で実習生募集』、これをみてシメた!と思った。
サンデー毎日編集部員だった頃のはなしだ。「行けるいける行けるぞ!」
手続き的には色々あったがとにかくアメリカのペンシルヴァニア州クエーカータウンの新聞社で働くことになった、(経緯は私が書いた本『あめりか記者修行』=中公文庫=に載っているので、そちらをどうぞ。amazonで安く買えます)
クエーカータウンは人口1万人ほど、こじんまりとした町だ。ここで1年間暮らしたのだが、講演を頼まれたことも何回かあったし、読者から街中で直接講演を頼まれたことも数回ある。週一のコラムはちょっとした冒険の日々だった「君は原爆のことを書くがパールハーバーのことは少しも書かないね?」。日米の戦争には未だここでは触れたことがないのか?ニューズルームでは日本とアメリカが戦った、ついこの間の歴史にふれることはなかった。避けていた訳ではないのだろうが。
私が下宿していたハリス家には若夫婦と三人の可愛いボーイアンドガールがいた。
お父さんはバプチスト教会が運営する学校の校長先生で、下宿の親父、ハリスくんは教師、学校の先生だ。
私はクエーカータウンで新聞記者として生活をしながら典型的なアメリカの田舎町の宗教の実態を学んでいた。
教会には数回ハリス氏と行ったことがあるが、信者が集まってやっている学校だけに何をやるにつけ全員が同じお祈りを述べ歌を歌い、動作をする集団行動だ。個人主義のアメリカを戦後学校で目一杯口から喉まで詰め込まれていた戦後1回生はえぇっ!?これがアメリカ?少し驚いた。しかし、私が帰国する直前にはニューズルーム関係者が全員集まり、送別会を開いてくれたのには感謝感謝だった。私はようやく慣れてきたニューズルーム・イングリッシュで挨拶、宮崎県民謡「刈干切唄」を歌った。「なんだか寂しそうな歌だね」と感想を述べられた。秋の収穫の歌なのに。
当時のサンデー毎日編集長は私の不規則な留学・研修で1年も編集部を留守にしたのが気に入らなかったらしい。
編集長への帰国の挨拶無しで、即外信部勤務となった。私としてはアメリカ経験もあるからニューヨーク、ワシントンはなくてもオリンピックが近いロサンジェルス勤務かな?自分で勝手に海外勤務の予想を立てていたが、大外れ!
「鳥越くん、君にはテヘランに行ってくれ」
外信部長は何の説明もなくイランの首都、テヘラン特派員を指示した。
ええっ、テヘランってどこ??後輩に聞いたりして大騒ぎしていた。
結局、外信部の記者四人がアテネに集まり、一番血の匂いが立ち上る中東を4区画に割って取材しようということで終了。
私は取り敢えず、イスラエルに入ったが、空港の入り口でまず大失敗をしてしまった。パスポートを空港で出す時他のイスラム系の国に行くつもりなら、イスラエルの入国印は絶対にもらってはいけない。そう言われていたのに私はぼんやりしていて、そのタイミングを失った。私のパスポートにはイランの入国証明とイスラエルの入国証明の相容れない二つの国の入国証明を持ってしまった。
これでは私の最終的な目標、イランに入れない。
テルアビブでイスラエルの記者症をもらい、イスラエル、パレスチナの取材は出来るようになった。
パレスチナの取材もやったけど、最終目標はイスラエル北にある国境を抜けてレバノンにある日本大使館にたどりつき、
パスポートの作り替えをやってもらうことだった。こういう時はドル札が命を支える。札びらを切りながら車をチャーターし半日かけてようやくレバノン市内へ。日本大使館にたどり着いたら大使以下主要メンバーは退去し、後を守っていたのは駐在武官で防衛庁出向のN大佐だった。事情を聞くと大佐は最も簡単に私のパスポートを引き破り、新しいパスポートに合冊してくれた。おかげでイスラエル・テルアビブ空港の入国許可証は消え、テヘラン空港への入国許可証は残った。
なんとも奇術でも見せられる思いだった。しかし、これこそがユダヤ教のイスラエルとイスラム教のメッカとも言えるイランの対峙する中東ど真ん中での命を賭けた大マジックショーに思えた。忘れられない中東の日々だ。
この後何とか無事にテヘランに着任、その日からイランとイラクが戦争で対決する日々を経験することになる。
イラン滞在後半の日々、毎夜イラク機がテヘラン上空に現れ爆弾を落としていくのだ。
これはたまりませんよね。机の下に身を隠したこともあったが、馬鹿馬鹿しくなってやめた。ロビーててらしに出てイラク機の機影を見て「今日はねーよねえ」なんてやけっぱちのセリフを吐いてベッドに横たわっていました。
やがてズズズズーンと地響きがして窓が鳴ったことが何度あったことか?
同じイスラム教徒だけどシーア派のイランは国自体がホメイニ革命で1979年に出来上がった革命国家。
何事も厳しい。私は在任中髪を長くしていたのでよくタクシーの外からストップを命じられ、何だか注意されたことが数回あった。
ある時は頭に来たのでタクシーを降りて「おい、ちゃんと見んかい、おらあ男やないかい、どこ見て言うとるんや、ボケ!!」
と、河内弁でかましてやったことがある。自分が間違ったので「しまった」と思ったんでしょう。直立不動でしたね、あの革命防衛隊の若者。面白かったなあ。
一番信者の数が多いのがキリスト教、そしてイスラム教、インドのヒンズー教、日本などの仏教。

最後に、最近は「ウィキペディア」より「AIによる概要」で説明が行われている。

「宗教」とは──
「人間にとって宗教とは、人間の能力を超える存在への信仰に基づき、人生に意味や価値を与え、絶悪の基準や倫理観を提供する思想・観念体系であり、まらそれに基づく行事や儀礼、組織のことです。具体的には、人々を社会的に統合し、生死や苦悩に対する対処や癒しを与え生きる上での規範や目的意識をもたらす役割があります」
私には「宗教」は一才関係ない。が、である。社会的に生きていく以上「社会」が宗教」を必要とするのかもしれない。

分からんねえ。あんまり考えたくもないね。
はい今日の「宗教」編 お分かりいただけたでしょうか??

2025年8月31日配信
鳥越俊太郎 記述

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鳥越俊太郎 鳥越俊太郎

1940年3月13日生まれ。福岡県出身。京都大学卒業後、毎日新聞社に入社。大阪本社社会部、東京本社社会部、テヘラン特派員、『サンデー毎日』編集長を経て、同社を退職。1989年より活動の場をテレビに移し、「ザ・スクープ」キャスターやコメンテーターとして活躍。山あり谷ありの取材生活を経て辿りついた肩書は“ニュースの職人”。2005年、大腸がん4期発覚。その後も肺や肝臓への転移が見つかり、4度の手術を受ける。以来、がん患者やその家族を対象とした講演活動を積極的に行っている。2010年よりスポーツジムにも通うなど、新境地を開拓中。

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