ウチナーンチュから聞こえる<沖縄の不条理>50年(後)
琉球・沖縄通信■この50年、何が変わったか、変わらないか
問:施政権が日本に返還されて50年、日本政府との関係は変わりましたか。
[島袋]ウチナーンチュの遠慮深さにつけ込んで、日本政府はだんだん横柄になってきた。
[金城]50年間ずっと好きなようにされた。もっと前から薩摩に侵略され、いいように扱われてきた。
[新垣]悪化してきている。民意が全然反映されない。
[伊佐]変わらない。主従関係のような、飼い主とペットのような。ひどくなっている。だってけんか出来ないじゃないですか。
[大城]特に辺野古の問題が出て来てからヤマト政府と沖縄は対立関係に入り、元々抱えてきた矛盾が露見したが、それから琉球列島への自衛隊配備が進む中で決定的に悪くなってきた。このことはウチナーンチュのみなが感じてきている。
[安里]今の自民党は沖縄に対する理解もなければ沖縄の民意は聞かなくていいと。県民大会、県民投票とかあらゆる民主的な手段を尽くして表明しているのに一切民意を聞かない、日本という国は民主国家じゃあないということです。それはどうしてかと言えば結局差別だと思うんです。この50年間、悪化こそすれ改善はされてません。
[高良]一貫して日本政府は沖縄を米軍基地として存続することによって安保を維持するために沖縄を基地の島であり続ける、その方向を強く強くやって来た。1995年の少女レイプ事件があってSACO合意が出された。
SACO合意の目玉は沖縄の負担軽減と日米同盟関係の深化なんです。その後の27年は沖縄の負担軽減を枕詞に用いながら限りなく日米同盟関係の強化をやって来ただけなんですね。
[宮城]返還と言うのは結局国土の回復、拡張なのですね。祖国復帰だと言うが、実際は施政権がアメリカ軍から日本政府に代わっただけのことで、日本は国土を南の方に伸ばした。だから上手い具合に利用されたなという気がする。
[比嘉]返還協定に書かれている中身が50年かけて着実に実行されてきた。返還してもらって自分たちの領土にして沖縄を利用していく。自衛隊が県内に堂々と入り込んで、今や自衛隊のミサイル基地まで造る。50年で軍事要塞化が完成するのではないか、最悪の事態だと危機感を持っている。あくまでも日本が宗主国で主人の国で、お前らは東京の政府に従うのだという差別的な意識、姿勢は一貫して変わっていない。悪くなっているのと違うかなぁ。
日本(ヤマトゥ)に利用されてきた、好きなようにされた[金城][宮城]、沖縄の民意が反映されない[新垣][安里]、日本は民主国家ではない[安里]、安保を維持するために基地の島であり続ける[高良]、ひどくなっている[伊佐]、決定的に悪くなってきた[大城][比嘉]、最悪の事態だ[比嘉]等、9名全員が日本(政府)を糾弾するに等しい発言をおこなっている、その赤裸々な声だ。
問:この50年間、ヤマトンチュとの関係はどのように変化してきましたか。
[島袋]例えばハワイの人がハワイに住んでいてハワイアンと認識するきっかけはないように、住んでる地域で自分で琉球人と意識するきっかけはほとんどないはずです。本土に行って違いを指摘されて。沖縄にいる間は認識しない、比較しようがないから。それは外に出て外から沖縄を見て、あるいは帰って来て、初めて感じるようなもので。私たちとは違うという感覚で帰ってくる。それを劣等感、劣ったものと捉える必要もないんだけれど。それよりか沖縄に来るナイチャー[i]を見て、うちらと違うんだなと感じる。
今までヤマトゥはあまり見たことのないまれな人であったのが、常時存在する無遠慮な人びとになった。それが我々の生活になってしまった。何でいつの間にかうちらナイチャーに使われるようになったわけって。経済操作が上手い。これからも沖縄の中でナイチャーの経営者が増えていくんだろうなと。それに使われていく。それを日常として我々が受け入れなければならなくなる。それがいいか悪いか分からんなぁと。沖縄にいながら本土の経済システムに組み込まれていくんだなと。外国の脱植民地運動である植民者に対する排斥運動は沖縄では起きないのだろうか。
[伊佐]近づいてきている、仲良くなってきた、友だちになってきたというか。人の往来がどんどん増えて来ているのが大きいかなと。お互いの偏見がなくなって来た。
[新垣]2001年9・11同時多発テロが起こった時、観光客はバサッと来なくなった。なぜ沖縄に影響するのかと言えば米軍基地があるからですよ。ヤマトンチュは沖縄に無関心といいながら沖縄に基地があることは分かっているので、何か起これば沖縄が攻撃されて危ないから行くのを止めようとなる。沖縄をただの観光地と思っている。だから決して友好的な関係とは言えない。
[高良]日本の一般国民はメディアが報じる沖縄に影響されていることは間違いない。
[安里]沖縄の現実を日本国民は知らないんです、知ろうともしないそういう多くの国民が政権を支えている。沖縄の問題ではなくて日本の問題なのに沖縄に押し付けている、こういう多くの国民の図々しさには私たちは付き合い切れません。(そう思う一方:筆者注)大学やら就職やらで県外に行く、そうするとそこで出逢いがある。往来も増えてきてヤマトンチュとの関係はいいように変わってきたのではないかとの思いもある。
[宮城]沖縄に居ないから難しいですね。相当同化されていってると同時にあからさまな反感も出て来ていると思う。癒しの島を求めて大挙ヤマトから観光客が押しかけて来る。それらの人に対する反感が相当強いのではないかと思う。でも食うためには仕方ないと。本土では米軍基地が縮小され沖縄に押し付けているその反感です。
[大城]復帰前、ヤマトは就職とか進学で「行く」ものと思っていた。ウチナーンチュは意識の根っ子のところではみんな自分はヤマトンチュと違うというのは持っているんです、それを押し殺して。これは多分1対100の関係、人口とか力関係。圧倒的少数派はそういう気持ちを抑えないと生きていけない。
それが2001年にNHKが「ちゅらさん」を放映してから、わんさと沖縄に移住者が来た。移住者が増えてくるとウチナーンチュが直にヤマトンチュとふれあうようになる。ウチナーンチュにはヤマトンチュに対する違和感がある。ヤマトンチュを警戒している、避ける、距離を置く。いい意味で違うというのはいいけれど、例えば辺野古の問題で日本政府のやり方を見ていると、ああヤマトは、ヤマトンチュは…となるわけですよ。やはり戦争の危機が迫るとヤマトンチュとの関係がもっとシビアになる。
1972年に施政権が日本(ヤマトゥ)に返還されるまで、ヤマトゥは就職や進学でウチナーンチュが「行く」ところであった。それが「返還」後、本土資本とヤマトンチュがわんさと沖縄に「来た」り、移住するようになった。それとの有り様をめぐって評価は二極化している。一方では違和感があり、警戒し、避けて、距離を置く。しかし食うためには折り合いをつけていかねばならないと。他方では仲良くなってきた、お互いの偏見がなくなって来たという具合に。それは実際各人の意識の中でも揺れ動き交錯しているようだ。
米軍基地を沖縄に押し付けているというところからの反感。そして戦争の危機が迫るとヤマトンチュとの関係がシビアになる。これらを克服する責務は、ウチナーンチュではなくヤマトンチュの側にあるのだろう。
■何が沖縄差別なのか。米軍基地の存在、そしてそれ以外にも
問:沖縄差別と定義付けられる最大の事象は何だとお考えですか。
[島袋]見えるものでいえば米軍基地でしょうね。見えないもの、精神的なものでいえば日本政府の存在。人のおうちに土足で入り込んできて、めしを要求して、部屋を自分の都合のいいように作り替えて、果ては無頼漢まで連れてくる。「お前ら、出て行け」といつ言わなければいけないのかと。アメリカ軍に対してもそうだけど、日本政府に対しても沖縄に対する今のやり方だと、「お前ら、出て行け」と言わなければならないなぁ。
[金城]基地の押し付け。日本本土は基地を縮小し、その穴埋めを沖縄が被っている。沖縄に置いておけばいいと。
[新垣]米軍基地です。ヤマトにあった米軍基地が沖縄に来た。自分が生まれた時には米軍基地があるのが当たり前、騒音は当たり前だと思って育ってきたが、ヤマトから来た人は騒音にびっくりする。自分の父ちゃんは嘉手納にいたが今大宜味に住んでるが、引っ越して来た初めの頃は静か過ぎて眠れないと言っていた。この現実も異常ですよね。
[伊佐]私は「米軍基地」ではない。上手く言えない。
[大城]象徴的な意味では米軍基地です。しかし米軍基地の存在は今に始まったことではない。何故それが起こったのかといえば、沖縄戦で「捨て石」にされたとか、日本の独立と引き換えに沖縄は米軍占領下におかれたとかでみんな気付いてくるわけです。だから単に基地があるだけではなく、琉球併合以来の差別構造がある、植民地主義と言った方がいいですよね。
[安里]県外で長く生きてきたが、“琉球人お断り”という張り紙と人類館事件の二つは忘れないで生きていこうと思ってきた。差別されるのはウチナーンチュということを忘れないでおこうと。現在のことで言えば、知らんふりして沖縄に基地を押し付けている、それが差別。
[高良]米軍基地だけではなくて、“もっと沖縄は声を上げたらいいのに”とか忠告めいたことをよく言われる。沖縄が上げ続けていることに関心を持たないと、上げていないと思うでしょうね。ことさら沖縄の人を褒めるというのも沖縄差別だと思う。これは根深い差別に基づいているなぁと感じますね。
[宮城]基地の島に置かれていることが分かり易いですね。
[比嘉]米軍基地の集中です。
基地の島として米軍基地を集中させていることが沖縄差別の最たるものであるとすべての人たちが認識しているが、琉球併合以来の植民地主義、知らんふりして基地を押し付けているのは、ヤマトンチュの責任、日本政府の存在であると突いている。そしていわゆる褒め殺しも差別だと。
2005年、琉球大学大学院修士課程修了。2009年、大阪市立大学(現・大阪公立大学)大学院博士課程単位取得退学。研究テーマは「沖縄・琉球とヤマトゥの関係史」、「琉球独立論の思想的系譜」。