「米国との約束」で政治が決まる、岸田外交の正体
政治・「新時代リアリズム外交」とは何か?
岸田文雄首相は元旦の年頭所感のなかで、「急速に厳しさと複雑さを増す国際情勢の中で、外交・安全保障の巧みなかじ取りと、安定政権の確立がますます求められて」いるとして、「普遍的価値の重視、地球規模課題の解決に向けた取り組み、国民の命と暮らしを断固として守り抜く取り組みを三本柱とした『新時代リアリズム外交』を推し進めます」と述べた。
この「新時代リアリズム外交」とは、いったい何を指すのか。
昨年12月22日、読売国際経済懇話会主催の講演会で岸田首相は、リアリズム外交を推進した宏池会で育ち、それをバックボーンとし、「複雑化する21世紀の国際情勢に対して、未来への理想の旗をしっかり掲げて、主体的な外交をしっかり進めていきたいと考えています。一言で言うならば、新時代リアリズム外交、こうしたものを進めていきたいと考えております」と語っていた。
それ以降、岸田首相は「新時代リアリズム外交」を何度となく口にしている。1月4日の年頭会見でも、「現実を見据えながら、普遍的価値の重視、地球規模課題の解決に向けた取組、国民の命と暮らしを断固として守り抜く取組、これらを3本柱とした『新時代リアリズム外交』を推し進めてまいります」と述べた。
さらに同月17日、通常国会の所信表明演説でも、「未来への理想の旗をしっかりと掲げつつ、現実を直視し、新時代リアリズム外交の展開」を明言し、その柱として、「自由で開かれたインド太平洋」や近隣外交を推進する「普遍的価値の重視」「地球規模課題への取組」「国民の命と暮らしを守る取組」を3本の柱としている。
極めつきは、6月10日にシンガポールで開催されたアジア安全保障会議での基調講演である。ここで「新時代リアリズム外交」という言葉が外交デビューしたわけだが、さらに次の5本の柱を内容とする「平和のための岸田ビジョン」を明らかにした。
(1)ルールに基づく自由で開かれた国際秩序の維持・強化。特に「自由で開かれたインド太平洋」の新たな展開。
(2)わが国自身の防衛力の抜本的強化、日米同盟の抑止力・対処力の一層の強化。有志国との安全保障協力の強化。
(3)「核兵器のない世界」に向けた現実的な取組の推進。
(4)国連安保理改革を始めとした国連の機能強化。
(5)経済安全保障など新しい分野での国際的連携の強化。
一方、現実に目を向けて、岸田政権における外交の具体的な「成果」を上げるとすれば、次の3点ではないだろうか。
①北京冬季オリンピックへの閣僚の不参加。今年2~3月に開催された北京冬季五輪・パラリンピックへの閣僚ら政府関係者の派遣を見送った。政府は、中国の新疆ウイグル自治区や香港などでの人権弾圧を受け、米国や英国などが「外交ボイコット」に踏み切るなか、日本としても足並みをそろえる必要があると判断したものだった。
②ウクライナ侵攻におけるロシアへの経済制裁の積極的推進。2月24日に始まったロシア軍のウクライナへの侵攻に対し、アメリカを中心とした欧米各国はロシアに対し経済制裁を科している。具体的には、金融制裁・輸出入規制・最恵国待遇の撤回・政府関係者や「オリガルヒ」の資産凍結など。
③ウクライナへの支援と供与。緊急人道支援、避難民受け入れ支援及び防弾チョッキなど自衛隊装備品の供与がこれである。このうち、自衛隊装備品の供与は、防弾チョッキや鉄帽(ヘルメット)・防寒服・天幕・カメラなどの自衛隊装備品、また衛生資材や非常用糧食・電機などの物品をウクライナ政府に贈与。防弾チョッキについては防衛装備移転三原則上の防衛装備に該当するため、政府は、運用指針を改正して供与できるようにした。
②と③のロシアによるウクライナ侵攻を理由としたロシアに対する経済制裁やウクライナへの支援は、アメリカ主導で始められたものであり、EU各国が同調。日本もこれに続き、経済制裁を行なっているが、アジアでは少数派である。
中国はロシアを批判することを拒否し、経済制裁にも参加しない。また、国連総会が緊急特別会合でロシアを非難し、即時撤退を求める決議案を採択した際には、中国に加え、インド・パキスタン・ヴェトナム・バングラデシュ・スリランカ・モンゴルが棄権した。
オーストラリア・日本・韓国・台湾は対ロシア経済制裁に参加したが、4カ国を合わせてもロシアの国際貿易高の8%にしか当たらず、その影響力は小さいといわれている。
そうしたなかで、岸田政権はどのような目的でウクライナへの支援を行ない、ロシアに対する経済制裁を続けているのだろうか。そこに見え隠れするのは、アメリカ的価値を第一ととらえる、対米追随の姿勢である。
「新時代リアリズム外交」を謳いつつ、自主性はどこにも見当たらない。「リアリズム」とは、日本語に直せば「現実主義」である。政治の世界には、「パワー・ポリティックス」という言葉がある。アメリカという力にすべてを依存することが、究極のパワー・ポリティックスなのであろうか。そうではない。単なる追随であり依存である。国家としての自律性・自主性が全くなく、これではもはや独立国家とはいえない。
筆者は『共謀罪と治安管理社会』(社会評論社、2005年)で、「ブッシュの従僕となり下がった小泉首相は、なりふり構わず、ブッシュ擁護の姿勢を崩そうとはしない。国の首相たるものは、国の将来を委ねられているので、十分に吟味した言語を用い、国民に納得できる説明を行う義務を持っている」と書いた。
このことは、岸田首相にも当てはまる。岸田氏一人の問題ではないかもしれない。歴代の自民党出身の首相はいずれも同様であろう。官僚の作成した政策に乗るだけの能力なき首相は、アメリカの言いなりにしかならない運命なのだ。
「ブッ飛ばせ!共謀罪」百人委員会代表。救援連絡センター代表。法学者。関東学院大学名誉教授。専攻は近代刑法成立史。