☆寺島メソッド翻訳NEWS(2025年10月31日):30年にわたる失敗:米ベネズエラ関係が軍事衝突へと陥った経緯:編集部の推薦記事
国際※元岐阜大学教授寺島隆吉先生による記号づけ英語教育法に則って開発された翻訳技術。大手メディアに載らない海外記事を翻訳し、紹介します。
2025年9月、月のない夜、カリブ海をパトロールしていたアメリカの軍艦がベネズエラの船舶に発砲し、11人が死亡した。ピート・ヘグセス国防長官は、この事件を「麻薬取締作戦」と淡々と表現した。しかし、過去 30 年間にわたって悪化し続ける米国とベネズエラの関係を見てきた人々にとって、このような死者をも招く攻撃は、はるかに不吉なものを意味していた。それは、30 年近くも続いた失敗した政策、失敗に終わったクーデター、そして両国を武力紛争の瀬戸際に追い込んだ敵意の高まりの集大成だったからだ。
今日、専門家たちは、年末までに軍事紛争が発生する確率を約 3 分の 1 と推定している。6,500 人以上の米兵がこの地域に配備され、F-35 戦闘機がベネズエラの領空を徘徊し、ドナルド・トランプ大統領が米国は麻薬カルテルと「武力紛争」状態にあると宣言した今、問題は、ワシントンがさらに事態をエスカレートさせるかどうかではなく、30 年間にわたる無益な介入から何か学んだかどうかである。
その答えは、残念ながら、どうやら「NO!」である。
現在の危機は、2024年7月28日のベネズエラ大統領選挙をめぐる論争を契機に加速した。ニコラス・マドゥロ政権は得票率51.2%で勝利を宣言したが、野党候補エドムンド・ゴンサレスは数千の投票所の検証済み集計用紙に基づき、約67%の得票率で勝利したと主張している。この選挙は国際基準を満たさず「民主的とは認められない」とカーター・センター(*)は宣言した。
* 1982年に元アメリカ合衆国大統領のジミー・カーター夫妻によって設立された非営利の人道支援団体。世界の平和と公正な選挙、疾病の撲滅、民主主義の促進、貧困削減などの活動を行なっている。特に選挙監視や人権擁護において国際的に知られており、世界中で選挙の公正さを評価したり、紛争解決のための支援を行なったりしている。
ゴンサレスはその後、2024年9月にスペインへ亡命した。オランダ大使館に32日間潜伏した後、スペイン軍用機で国外脱出した。野党指導者マリア・コリーナ・マチャドは、彼の命が「高まる脅威、法的召喚、逮捕令状、さらには恐喝」によって危険にさらされていると主張した。
トランプ政権の対応は、明確な軍事的圧力である。9月以降、米軍は麻薬密輸船とされる船舶に対し少なくとも4回の激しい攻撃を実施し、計15名を殺害した。政権は議会に対し、麻薬カルテルが米国に対して「武力攻撃」を行なっているとする宣言する機密通知を議会に提出した。これは、議会の承認なしに戦争権限を主張し、麻薬対策を武力紛争とみなす包括的な主張である。
ベネズエラは独自の軍事準備で応じた。マドゥロ大統領は署名した大統領令で、米国による侵攻に備え、拡大された非常事態権限を自らに付与。これにより全国的な軍隊動員が可能となり、公共サービスと石油産業に対する軍の統制権が認められた。ベネズエラ軍は水陸両用戦演習を実施しただけでなく、マドゥロ大統領は「10月のクリスマス」と称する措置を講じ、国境に2万5千人の兵士を配備。これはベネズエラが戦争に備えている明確な兆候である。
しかしこの対立は突然に現れたわけではない。これは、公言された目標とは常に正反対の結果を伴った、ほぼ30年にわたるアメリカの介入がもたらした苦い収穫である。
関係の崩壊は1999年のウゴ・チャベスの大統領選出とともに始まった。1990年代を通して米国とベネズエラの関係は安定していたものの、チャベスが自ら「社会主義」と「反帝国主義」を掲げた政策は根本的な転換をもたらした。
最初の重大な断絶は2002年4月11日に発生した。軍将校らがチャベスを47時間にわたり追放したのである。実業家ペドロ・カルモナが大統領に据えられ、国民議会と最高裁判所が解散された。ジョージ・W・ブッシュ政権がクーデター政権を即座に承認したことは、クーデターが失敗した後で米国当局者がその承認を撤回したにもかかわらず、米国の信頼性を著しく損なった。
こうして、数十年にわたって繰り返されることになるパターンが確立された。米国は超法規的手段による政権転覆を支援し、その後それに失敗し、非難を浴びるというパターンである。2002年から2003年にかけての石油産業ストライキは、米国の暗黙の支援を受けながら事実上2ヶ月間生産を停止させたが、同様にチャベスを追い出すことはできず、ベネズエラ経済は壊滅的な打撃を受けた。
両国関係は、敵意の高まりを記録したかのような一連の外交官追放を通じて悪化した。チャベスは2008年、クーデター未遂疑惑が発覚した後、パトリック・ダディ米国大使を追放した。マドゥロ政権は2013年に3件の外交官追放、2014年にさらに3件、2018年には新たな外交官追放の波を続けた。最終的な決裂は2019年、ワシントンが野党指導者フアン・グアイドを暫定大統領と承認したことで起こり、米国外交官の完全撤退につながった。
米国の政策において、介入の無益さを最も如実に示しているのは、おそらく制裁体制だろう。2005年以降、ワシントンは12回に及ぶ制裁措置を課しており、これは西半球における最も包括的な経済戦争の一つと言えるだろう。
トランプ政権の「最大限の圧力」キャンペーンは2017年から2020年にかけて劇的にエスカレートし、ベネズエラを米国金融市場から締め出し、国営石油会社PDVSAを標的にした。 分野別制裁は金、鉱業、銀行業を直撃した。その結果はどうなったか? ベネズエラの石油輸出収益は激減し、2018年の48億ドルから2020年にはわずか4億7700万ドルに落ち込んだのだ。
しかしマドゥロは依然として権力の座にある。ジョー・バイデン政権は2023年10月、選挙公約と引き換えに一部の制裁を一時解除したが、ベネズエラがこれに応じなかったため2024年4月に再発動した。現政権はさらに踏み込み、ベネズエラ産原油を購入するあらゆる国を対象とする前例のない措置である「二次的関税」を実施し、マドゥロの懸賞金を5000万ドルに引き上げた。
現在、米国はベネズエラの個人・団体に対し431件の指定を維持しており、88名の個人と46の団体を制裁対象としている。人道的損失は壊滅的であるにもかかわらず、政権転覆は相変わらず実現困難なままである。
米国は制裁措置に加え、2002年以降、少なくとも5件の大規模なクーデター未遂事件や軍事行動に関与、あるいは支援してきた。2019年4月の「自由作戦」では、グアイドが国家警備隊の支援を受けて軍事蜂起を起こそうとしたが、司令官らがマドゥロに忠誠を誓い続けたため、数時間で失敗に終わった。
最も劇的なのは、2020年5月の「ギデオン作戦」で、元米特殊部隊グリーンベレーのジョーダン・グドローが、60人のベネズエラ反体制派と2人の元米特殊部隊員を率いて傭兵による侵攻を指揮したことだ。ベネズエラ軍は6人の襲撃者を殺害し、残りの大半(2人のアメリカ人を含む)を捕らえた。この作戦は後に「子豚の湾」として知られるようになった。
2025年の現在、第2次トランプ政権は4,000人以上の人員と原子力潜水艦を乗せた8隻の軍艦をカリブ海に派遣しており、これはこれまでで最大の軍備増強となっている。
米国は軍事的・経済的圧力と並行して、全米民主主義基金(NED)などの組織を通じてベネズエラの反体制派に組織的に資金提供を行なってきた。NEDのプログラムへの資金は、1 999年の25万7800ドルから、2019年までに266万ドルへと急増した。
NEDは、2005年にセルビアのベオグラードで反乱訓練に参加したフアン・グアイドを含む主要な反体制派人物を訓練した。これらの取り組みは、市民社会を操作し反体制派に資金を提供することで、自然発生的な民衆運動の様相を呈しながら政権転覆を達成する、典型的な「カラー革命」戦術を示すものである。
軍事行動を正当化するため、トランプ政権はベネズエラ当局者を麻薬テロリストとして扱う法的枠組みを構築した。2020年、米国はマドゥロ大統領を連邦麻薬テロ容疑で起訴し、テロ組織「カルテル・デ・ロス・ソレス(太陽のカルテル)」を率いていると非難した。起訴状によると、マドゥロ大統領は「コカインをアメリカに対する武器として使う」ことを優先する麻薬密売組織を率いているという。
2025年、トランプ政権は指定したトレンド・アラグア・ギャングとカルテル・デ・ロス・ソレスの両組織を外国テロ組織とし、軍事攻撃の法的根拠を提供した。しかしウェブサイト「カラカス・クロニクルズ」で専門家たちは「カルテル・デ・ロス・ソレス」は伝統的なカルテルではなく、様々な軍事・政治・犯罪ネットワークを包括する「包括的用語」であり、単一の組織ではなく「政権が統制するシステム」であると指摘している。
30年にわたる介入のエスカレーションを経て、米国は何を達成したのか?マドゥロは依然として権力の座にある。ベネズエラはロシア、中国、イランとの関係を深化させたが、国内の人道危機は壊滅的に悪化した。数々のクーデター企ては権威主義的支配を強化するだけだった。包括的制裁は経済を壊滅させたが、政府を転覆させることはできなかった。
国際社会はアメリカの介入主義にますます疑問を呈している。米国、英国、そして大半の西側諸国はマドゥロ大統領の選挙勝利を認めていないが、ロシアと中国は同大統領に祝意を表した。コロンビアのグスタボ・ペトロ大統領をはじめとするラテンアメリカの指導者たちは、米国の軍事攻撃を「暴政行為」と非難している。国連は、米国の攻撃が国際海洋法に違反しているかどうかの調査を求めている。
米国がベネズエラへの軍事介入の可能性に近づく中、歴史は厳しい警告を発している。この国アメリカは軍事力で中東を再構築しようと数兆ドルを費やし、イラク、アフガニスタン、リビア、シリアで悲惨な結果を招いた。今や手を伸ばしすぎ、地球いたるところで関わりを持っているのに、また新たな介入を模索している。が、その悲惨な結果は自国が位置する西半球で発生することになる。
ベネズエラの事例は、過去30年間の米国外交政策の包括的な失敗を浮き彫りにしている。何千マイルも離れた場所で国家建設に資源を注ぎ込む一方で、米国は自国の裏庭をほとんど無視してきた。ベネズエラと交渉する際には、対話よりも敵意、外交よりも制裁、交渉よりもクーデター未遂を選んだ。
その結果、過去の介入を控えめに見せかねない泥沼状態すら生じる可能性がある。ベネズエラに対する軍事行動は、長期化する紛争、現在の規模をはるかに上回る難民の流入、米国の利益に反するラテンアメリカ政治のさらなる過激化、そしてロシアと中国の同地域へのより深い関与を引き起こすだろう。ベネズエラの地形——山岳地帯、都市部、広大なジャングル地域——は、いかなる軍事作戦も極めて複雑なものにする。
30年近くに及ぶ失敗した政策は、根本的な見直しを必要としている
新たなアプローチが切実に求められている。具体的には、軍事的脅威よりも外交的関与、一方的な制裁よりも多国間協力、短期的な政権転覆を空想することよりも長期的な安定を優先する外交政策である。これは、米国が単に爆撃や制裁によってベネズエラを民主化することは不可能であることを認めることを意味する。
それは、政権転覆の試みが一貫して逆効果となり、倒そうとした政府そのものを強化してきたことを認識することを意味する。それは、包括的制裁が主に民間人を苦しめつつ、独裁的指導者に経済的失敗の責任を転嫁する便利な外部の敵を与えることを認めることを意味する。
最も根本的には、またしても拙劣な外交政策の遠征に乗り出す前に、過去30年にわたる失敗から学ぶことなのだ。アメリカ国民は、自国の軍隊がまたしても勝ち目のない紛争に巻き込まれるのを見るより、もっと良いものを得るに値する。ベネズエラ国民は、またしても失敗した介入の巻き添え被害者になるより、もっと良いものを得るに値するということだ。
現在の進路は、さらなる死と苦しみ、そしてひたすら戦略的失敗に突き進む。クーデター、制裁、敵意によって築かれた30年にわたる悪化する関係を続けてきた。おそらく今こそ根本的に異なる方法を試す時だ。それは外交、取り決め、そして主権の尊重である。
原典: libertarianinstitute.org
※なお、本稿は、寺島メソッド翻訳NEWS http://tmmethod.blog.fc2.com/
の中の「30年にわたる失敗:米ベネズエラ関係が軍事衝突へと陥った経緯:編集部の推薦記事」(2025年11月01日)
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また英文原稿はこちらです⇒30 years of failure: How U.S.-Venezuela relations spiraled into military confrontation
筆者:ホセ・ニーニョ(José NIÑO)
出典:Strategic Culture Foundation 2025年10月24日https://strategic-culture.su/news/2025/10/24/30-years-failure-how-us-venezuela-relations-spiraled-into-military-confrontation/



















