「知られざる地政学」連載(117):NY市長選が教える米国の政治状況(上)
国際
11月4日に実施されたニューヨーク(NY)市長選で、民主党のゾーラン・マンダニ(マムダニとも記すがここでは、発音に近いマンダニを採用)が当選した(下の写真を参照)。2026年1月1日から市長に就任する。登録有権者数は約510万人で、投票率は約39.91%だった。投票率はこれでも、前回の市長選から 16ポイント以上上昇した。マンダニは過半数を超す103万強の得票数を得た。今回は、この選挙結果をどうみるかをめぐって、現在のアメリカの政治構造について論じてみたい。

ニューヨーク市長選での勝利を記念する集会で、ウガンダから米国に移住したインド系イスラム教徒の家庭出身のゾーラン・マンダニは、シリア出身の芸術家である妻のラーマ・ドゥヴァジとともに登場した。 Фото: Yuki Iwamura / AP
(出所)https://www.kommersant.ru/doc/8180007
NYの内情
まず、NYに本社がある「ニューヨークタイムズ」(NYT)の社説(6月16日付)を紹介したい。NYの政治的実情を理解するためだ。6月24日の民主党予備選を前にして、NYTの編集会議は、「次の偉大な市長になりそうな候補者が見当たらない」ため、「候補者を推薦しない」と書いた。立候補者が11人もいるのにもかかわらず、だれも推薦できないというのだ。その事情を知れば、いまの民主党の政治情勢がわかるかもしれない。
社説は、「NYには、過去10年間がなぜ失望に終わったのかを理解する市長が必要だ」と率直に記している。2014年から8年間NY市長として在任したビル・デブラシオは、全体として無秩序を十分に深刻に受け止めず、市の幼稚園から高校までの学校制度を後退させ、市を衰退させたという。いわば、大胆なリベラリズムを採用し、学校にはより多くの予算とより少ない評価が必要だと主張した結果、学校そのものが衰退した、とNYTは断じている。このリベラリズムは、住宅供給の重要な役割を強調する代わりに、家賃の高騰を強欲な地主のせいにしただけで、市全体が荒廃してしまったというのだ。
現NY市長のエリック・アダムスは、2021年にデブラシオ時代の弊害を修正するためのより穏健なアプローチを約束して就任した。だが、彼の明らかな汚職とずさんな管理スタイルは、彼が再選に値しないことを一目瞭然にした。
結局、11月の市長選は主に、民主党の予備選に勝利したクイーンズ区選出の州議会議員マンダニ、予備選に敗れて無所属候補となった元NY州知事アンドリュー・クオモ、そして共和党候補である、ボランティア・パトロール団体「ガーディアン・エンジェルズ」を設立したラジオ司会者のカーティス・スリワで争われた。クオモについて、社説はその重大な欠点として、「彼は3期目の2021年、少なくとも11人の女性からセクハラや不適切な接触があったとの疑惑を受け、知事を辞任した」ことを挙げている。クオモは民主党内部にあって、中道派とみなされていても、どうやらその人間性に問題があるらしい。
リベラルすぎるマンダニ
それでは、予備選で勝利し、市長選でも当選したマンダニについて、NYTの社説はどう評価していたのか。「マンダニがNY市民の投票用紙に名を連ねるに値するとは考えていない」というのが結論だ。彼の経験は浅く、政策方針はデブラシオの失望を招いた市長職の過激版としか言いようがないというのだ。
つまり、民主党内には、過激すぎるリベラル(左派)と中道的な勢力があり、NYTは前者を支持していないことがわかる。マンダニは社会主義者ではないが、民主社会主義者である。その信念は社会主義者と似ているが、同じではない。
彼は、民主社会主義者協会(DSA)とそのNY支部両方の会員だ。DSAの全国支部は、民主社会主義を「一般市民が職場、地域社会、そして社会において真の発言権をもつシステム」と定義し、この目標達成のためには、交通機関やエネルギー資源を含む経済生産手段を市民が「共同所有」する必要があるとみなす。
ドナルド・トランプ大統領は、このリベラルすぎるマンダニを攻撃する目的で、彼を「100%の共産主義者で狂人」と呼んだ(自らのソーシャルメディアTruthSocialを参照)。そこには、「過激な左派はこれまでにもいたが、これは少しばかげている。見た目は最悪、声は耳障りで、頭も良くない」と記されている。

(出所)https://truthsocial.com/@realDonaldTrump/posts/114745583467776157
民主党内にいる過激な左翼がまるで民主党そのものであるかのように喧伝することで、トランプは共和党の巻き返しをはかろうとしているようにみえる。同じ路線を親共和党の「ニューヨークポスト」(NYポスト)もとっている。下に示した11月5日付の表紙をみれば、その攻撃姿勢がよくわかる。

(出所)https://nypost.com/cover/november-5-2025/
マンダニ勝利の理由
だが、マンダニ勝利の理由は、NY市民が彼の民主社会主義思想に共鳴したからではない。彼への支持が広がったのは、単に「左派ポピュリズム」の結果にすぎない。マンダニ人気の背後には、都市の生活費負担軽減を公約に掲げたことがある。普遍的保育サービス(ユニバーサル・チャイルドケア)、無料バス、市営食料品店、家賃規制アパートの家賃凍結である。
しかし、この公約には、何も知らない大衆を騙す意図が隠されているよう思えてならない。たとえば、無料バスにしても、市営食料品開設にしても、本当は大した問題ではない。4割とみられる人々が代金を支払わずにバスに乗っているし、数店出店するだけでは無意味かもしれない。決定的なのは、彼への支持を急速に高めたとされるユニバーサル・チャイルドケアの「嘘」だ。生後6週間から5歳までのすべての子どもを対象とする、無料のユニバーサル・チャイルドケアには、年間60億ドルほどかかると、マンダニ陣営は見積もっている(NYTを参照)。市はすでに、すべての4歳児と多くの3歳児に無料の就学前教育を提供しているが、乳幼児と3歳未満の幼児にまで保育を拡大することが大きな課題となる。新市政は新しい保育施設をつくり、保育士を大量に雇用しなければならない。
ユニバーサル・チャイルドケアの危険性
だが、もっとも大きな問題は別のところにある。それは、ユニバーサル・チャイルドケアが子どもに害をおよぼす可能性があるという問題だ。The Economistによれば、就学前(3歳前後)から乳幼児期まで制度を拡大することには、大きな課題が一つある。幼児期の発達には、他の子供たちとの関わりよりも、大人との密接な交流がより重要であるからだ。1歳で保育所に預けられた子どもは、2歳になる頃には、親に育てられた子どもと比べて、行動が著しく劣るといった報告があり、3歳未満の幼児を保育所に無料で預けられる制度をつくれば、それで問題解決というわけでは決してないのだ。
記事は、学齢期までに、大人は20人から30人の子供を監督することができ、就学前児童の場合、大人は12人か15人をみることになるが、幼児の場合、保育士が2~3人の子どもを担当するといった質が担保されなければならない、と指摘している。そのためには、マンダニ陣営のいう60億ドルは少なすぎる。なぜなら、現在、託児所の料金は年間平均2万3000ドルを超えており、地域によってはもっと高いところもあるからだ(NYTを参照)。マンダニの公約は、親の所得制限を設けずに無料のユニバーサル・チャイルドケアを実現するというものであり、幼児への質の高いケアが必須であることを考慮すれば、この公約の実現可能性は低い。
普通に考えれば、これは「左派ポピュリズム」そのものであり、民主党左派の突出がむしろ民主党全体のイメージダウンをもたらす可能性がある。だからこそ、The Economistは、「民主党が民主社会主義者を旗手の一人に選んだことで、民主党員は問題をさらに深刻化させた」と的確に指摘している。その問題とは、民主党が移民、気候変動、人種差別などで、政権獲得に必要な有権者の意見とはかけ離れた政策を掲げている点にあると言える。
NY州知事選がカギ
トランプ大統領は、NY市長選前から、新市長が気に入らない政策を採用した場合、市から数十億ドルの連邦資金を差し控え、州兵を派遣すると脅している。それどころか、トランプはすでに、NY市を含む民主党が運営する州や都市への連邦政府補助金を数十億ドル削減している。民主党が運営する都市には、彼らの意に反して州兵を送り込んだ。そしてNY州司法長官を含む政敵を起訴するよう司法省に指示した(NYTを参照)。
当面、注目されるのはNY州知事の出方および2026年の州知事選である。なぜなら、マンダニの政策を実現するためには、州の法人税率を引き上げ、市の所得税を上げることで財源を確保する必要があるからだ。マンダニは富裕税を主張しているが、市が管理できる広範な税は固定資産税だけであり、彼が望む所得税増税は州議会の決定を待たなければならないが、そうした動きが本格化すれば、課税対象である富裕層や企業の間で流出が加速されるだろう。
11月9日付のNYTは、キャシー・ホークル(民主党)知事が1月から始まる州議会で、チャイルドケアを優先課題にする準備をしていると語った、と報じている。ただ、彼女の見積もりでは、このプログラムには州全体で年間150億ドルの費用がかかる可能性があり、2歳児やもっともニーズの高い地域から時間をかけて段階的に導入することを検討していると語ったという。
2025年度の市の予算は1124億ドルであり、州は2543億ドルだ。市は予算の17.2%を州から、7%を連邦政府から得ている(市のサイトを参照)。だからこそ、州の知事や議会の理解と協力がなければ、前述したユニバーサル・チャイルドケア政策の市による実現は不可能だ。クオモの辞任で2021年8月に副知事から州知事に就任し、翌年、現在は環境保護庁長官を務める共和党のリー・ゼルディンとの接戦を制し、知事選で当選したホークルは、NY州を代表する 2 人の民主党議員、ハキーム・ジェフリーズ下院院内総務とチャック・シューマー上院院内総務とは異なり、市長選でマンダニを支援した。だが、ホークル知事は増税には消極的だ。
「知られざる地政学」連載(117):NY市長選が教える米国の政治状況(下)に続く
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塩原俊彦
1956年生まれ。一橋大学大学院経済学研究科修士課程修了。学術博士。評論家。『帝国主義アメリカの野望』によって2024年度「岡倉天心記念賞」を受賞(ほかにも、『ウクライナ3.0』などの一連の作品が高く評価されている)。 【ウクライナ】 『ウクライナ戦争をどうみるか』(花伝社、2023)、『復讐としてのウクライナ戦争』(社会評論社、2022)『ウクライナ3.0』(同、2022)、『ウクライナ2.0』(同、2015)、『ウクライナ・ゲート』(同、2014) 【ロシア】 『プーチン3.0』(社会評論社、2022)、『プーチン露大統領とその仲間たち』(同、2016)、『プーチン2.0』(東洋書店、2012)、『「軍事大国」ロシアの虚実』(岩波書店、2009)、『ネオ KGB 帝国:ロシアの闇に迫る』(東洋書店、2008)、『ロシア経済の真実』(東洋経済新報社、2005)、『現代ロシアの経済構造』(慶應義塾大学出版会、2004)、『ロシアの軍需産業』(岩波新書、2003)などがある。 【エネルギー】 『核なき世界論』(東洋書店、2010)、『パイプラインの政治経済学』(法政大学出版局、2007)などがある。 【権力】 『なぜ「官僚」は腐敗するのか』(潮出版社、2018)、『官僚の世界史:腐敗の構造』(社会評論社、2016)、『民意と政治の断絶はなぜ起きた:官僚支配の民主主義』(ポプラ社、2016)、Anti-Corruption Policies(Maruzen Planet、2013)などがある。 【サイバー空間】 『サイバー空間における覇権争奪:個人・国家・産業・法規制のゆくえ』(社会評論社、2019)がある。 【地政学】 『知られざる地政学』〈上下巻〉(社会評論社、2023)『帝国主義アメリカの野望:リベラルデモクラシーの仮面を剥ぐ』(社会評論社、2024)、『ネオ・トランプ革命の野望:「騙す人」を炙り出す「壊す人」』(発行:南東舎、発売:柘植書房新社、2025)がある。 『ネオ・トランプ革命の野望:「騙す人」を炙り出す「壊す人」』(発行:南東舎、発売:柘植書房新社、2025)


















