【連載】櫻井ジャーナル

【櫻井ジャーナル】2025.11.22XML : 高市首相が中国を軍事的に挑発する中、中国はロシアと軍事的な協力を強化

櫻井春彦

 ジョン・F・ケネディ米大統領はテキサス州ダラスで1963年11月22日に暗殺された。62年前の出来事だ。テキサス州は副大統領だったリンドン・ジョンソンの地元であり、ダラス市長だったアール・キャベルはケネディ大統領にアレン・ダレスCIA長官と共に解任されたチャールズ・キャベルCIA副長官の弟である。

 

ケネディは大統領に就任して間もない段階でアメリカ軍のキューバへの軍事侵攻を止めて軍やCIAの軍事強硬派と対立、ミサイル危機は話し合いで解決してソ連との核戦争を回避することに成功した。

 

テキサス大学のジェームズ・ガルブレイス教授によると、統合参謀本部のライマン・レムニッツァー議長やSACの司令官だったカーティス・ルメイなどは1963年の後半にソ連を奇襲攻撃る予定だったという​。その頃になればアメリカはICBMを配備でき、しかもソ連は配備が間に合わないと見ていた。楽勝できると思っていたのである。

ソ連が反撃するためにはアメリカの近くから中距離ミサイルを発射するしかない。そこで、1962年10月までにソ連はキューバへ中距離ミサイルを運び込む。これがキューバ危機だ。

 

またアメリカ軍をベトナムから撤退させることを決断したケネディは1963年10月にはNSAM(国家安全保障行動覚書)263を出した。アメリカ軍の準機関紙であるパシフィック・スターズ・アンド・ストライプス紙は「米軍、65年末までにベトナムから撤退か」という記事を掲載している。

 

しかし、この決定はケネディ大統領の暗殺で実行されていない。新大統領のリンドン・ジョンソンは1963年11月26日付け、つまり前任者が殺されて4日後にNSAM273を、また翌年3月26日付けでNSAM288を出し、ケネディのNSAM263を取り消してしまった。(L. Fletcher Prouty, “JFK,” Carol Publishing Group, 1996)

 

ジョンソンのスポンサーはハリー・トルーマンと同じアブラハム・フェインバーグ。この人物はシオニストの富豪で、彼が経営していたアメリカン・バンク・アンド・トラストはスイス・イスラエル銀行の子会社である。(Whitney Webb, “One Nation Under Blackmail Vol. 1,” Trine Day, 2022)

 

第2次世界大戦後、アメリカでは「反ファシスト派狩り」が展開された。いわゆる「赤狩り」だが、その中心的な人物だったジョセフ・マッカーシーの法律顧問を務めていたロイ・コーンはジョン・ゴッチを含むニューヨークの犯罪組織を顧客としていた人物で、のちにドナルド・トランプの顧問にもなっている。そのコーンはリンドン・ジョンソンも支援していた。

 

また、ケネディは巨大資本の横暴を批判、その一方でイスラエルの核兵器開発に厳しい姿勢をとり、CIA(中央情報局)の解体を目論み、その代わりにDIA(国防情報局)を設置した。通貨制度へもメスを入れようと考え、EO11110という大統領令を出している。

 

そして1963年6月10日にケネディ大統領はアメリカン大学の卒業式で「平和の戦略」と呼ばれる演説を行い、ソ連と平和共存する道を歩き始めると宣言した。

 

アメリカにとって都合の良い「平和」を軍事力で世界に押しつける「パックス・アメリカーナ」を否定することから演説は始まり、アメリカ市民は「まず内へ目を向けて、平和の可能性に対する、ソ連に対する、冷戦の経過に対する、また米国内の自由と平和に対する、自分自身の態度を検討しはじめるべき」(長谷川潔訳『英和対訳ケネディ大統領演説集』南雲堂、2007年)だと語りかけた。

 

ケネディ大統領に続き、マーチン・ルーサー・キング牧師が1968年4月4日に、大統領の弟で元司法長官のロバート・ケネディが同年6月6日に暗殺されている。ロバート・ケネディは1968年の大統領選挙における最有力候補で、キングが副大統領になるとも言われていた。

 

ケネディ大統領の暗殺にはナチ親衛隊の幹部だったオットー・スコルツェニーの名前も出てくる。大戦後、アメリカ政府はナチの元幹部や協力者の逃走させ、保護している「ブラッドストーン作戦」だ。そのひとりがスコルツェニーだった。

 

スコルツェニーは拘束される前にナチスの仲間をアルゼンチンへ逃がすための組織ディ・シュピンネ(蜘蛛)を設立、1948年7月には彼自身も収容施設から逃亡することに成功した。この逃亡にはアメリカ軍憲兵の制服を着た元親衛隊将校3名が協力しているのだが、スコルツェニーはアメリカ政府が協力したと主張している。この組織のアメリカでの暗号名がODESSAだという。

 

スコルツェニーは1950年までパリで生活、そしてマドリッドへ移動し、そこでイルゼ・フォン・フィンケンシュタインという女性と結婚した。2度目の結婚だ。この女性はドイツの国立銀行総裁や経済大臣を務めたヒャルマール・シャハトの姪にあたる。イスラエルでの報道によると、スコルツェニーはケネディが殺された1963年、イスラエルの情報機関であるモサドに採用された。

 

スコルツェニーとシャハトはドイツの高等弁務官だったジョン・マックロイに助けられた。このマックロイはウォール街の大物で、1947年3月から49年7月まで世界銀行の総裁を務めている。ケネディ大統領暗殺未遂を調査したウォーレン委員会のメンバーでもあった。

 

ケネディ大統領を敵視していた勢力の多くはソ連を壊滅させたいと考えていた。本ブログでは繰り返し書いてきたことだが、こうした戦略は19世紀にイギリスで始まった。そして現在まで続いている。ウクライナでの戦争を中途半端な形で「停戦」した場合、欧米諸国が近い将来に再びロシアを征服しようと仕掛けてくることは必定。ドナルド・トランプ米大統領がどのような条件を出そうとも、ロシアは自分たちの特別軍事作戦が目的を達成した場合にのみ、戦争を終結させると見られている。ウクライナでの戦争はロシアの存亡がかかっている。

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※なお、本稿は「櫻井ジャーナル」https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/のテーマは「ケネディ大統領暗殺から62年 」

 (2025.11.23XML)
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