登校拒否新聞27号:東京大学
社会・経済小学館のサイト「HugKum(はぐくむ)」に掲載された「8年間不登校から東大合格――小2から学校に行かず、中学では特別支援級に在籍。「勉強に劣等感があった」人生に起こった転機とは」という記事は10月17日付。
小2から中3まで不登校歴8年、そこから一念発起して勉強し、東京大学に合格した田中秋徳さん。小学校のうちは「勉強がぜんぜんわからなかった」のに、そんなことってあるの?と驚きますが、このドラマは実話です。・・・東大に行ったというと、「小さい頃から勉強ができたんでしょ」って思われるけれど、僕の場合はぜんぜん違います。授業も聞けないからよくわからないし。1年生の間だけ何とかちゃんと通って、その後は歯が痛いとか頭が痛いとか言って休むようになりました。うちは5つ違いの姉が小学校3、4年生から不登校だったので、親は「弟もか」って理解は早かったです。・・・母親はほとんど何も言わなかったですね。父親は「ずっと家にいたらよくない」と外に出そうとして、毎週末自転車で走るとか、運動の機会を作ろうとしていました。当時は無理やり連れて行かれていやだったけれど、「外に出たらアイスを食べよう」とか、そういう小さなごほうびのような「釣り」があって何とか出かけていました。ちなみに姉はその後、通信制の高校に行って、友達もできてそのまま大学にも行きました。・・・途中で僕はADHD(注意欠陥多動症)と診断されました。だからって安心するとかそういうのでもないですけれど、病気だからしょうがない、みたいなあきらめが、自分も家族もつきましたね。・・・小ざかしい子どもだったのでいろいろ調べて、学校に行かない子がほかにもたくさんいることはわかっていました。「学校の授業は効率がよくない」みたいな変な論理武装もしたりして。ただ、大多数の子が学校に行くのになぜ自分は行けないのだ、という劣等感をずっと感じていました。「行かなくていいじゃん」って開き直ることはできなかったです。みんながしていることをしていないのはキツイ。「人と違っていいじゃないか、それも個性」と言われても、すごい才能があるわけじゃない。いわゆる「ギフテッド(ある分野で特別な技能を持っている人)」みたいな人とはぜんぜん違うのは、自分でもよくわかっていました。そして、周囲の人たちは黙っているけれど、僕に「学校に行ってほしい」と思っている。「学校に行くことが、いい方向に行くことなんだ」って思われていることに傷つく、というか。苦しい、だいぶ苦しかったです。自分を肯定する人がまわりにいない状況がしんどかった。そして、学校に行かない自分に焦燥感を覚えていました。
これは本人の田中秋徳氏へのインタビュー記事である。記事のタイトルに「8年間不登校」とあり、冒頭にも「不登校歴8年」とある。しかし、インタビューの内容を読む限り、小学校の時はフリースクールと適応指導教室に入っている。中学校では「相談室登校」(本人談)ということで相談室に登校、2年生の終り頃からは「自閉症・情緒障害特別支援学級」に入り卒業を迎えた。フリースクールはともかくとして、適応指導教室、相談室、特別支援学級への通学はすべて出席点がつく。つまり、登校である。
登校拒否、「不登校」は欠席とイコールの概念ではない。かつて「登校拒否児」とされた子どもたちの大半は出席者だった。極端な話、院内学級に在籍している子は出席しているんだが、それが「登校拒否児」として語られた。中には長期欠席になると困るという理由でそういった病院に親が入院させた例もあるわけで、このあたりは複雑な事情がある。欠席者というよりも、ある種の子どもという含意が「登校拒否児」という括りにはあった。この点は「不登校」も同様だ。田中氏は8年間の長期欠席者ではない。それが「不登校」と語られる。「不登校」が年間30日以上の欠席という数量的な定義ではなく概念的な定義を持つコトバであると私がつねづね主張している理由はここにある。
ADHD(注意欠陥多動症)と診断されながら「ギフテッド」ではない、という話は興味深い。この点について私は明るくないので多くを語ることはできないけれども「ギフテッド」という見方が一つの流行りとしてあることは注意しておこう。
いつものようにヤフーニュースに転載された記事にはコメントが寄せられている。その中から目ぼしいものを紹介する。
まずは一句。
不登校増加一方の、日本の縮図ここにあり。(moc********)
次に支援員のコメントである。
支援員してますが、不登校だった子が高校合格、大検を取り大学合格というパターンは、割とよく見ます。(でも、東大とは凄いな!と思いました)問題は、その後なんですよね…卒業できるのか?とか、就職できるのか?とか。就職できても上手くいくのか?とか。まあ、普通に大学を卒業しても、就職で失敗する子もいるし、就職しても上手くいかない子もいますけども。人生、どこでどうなるか、全く分からないです…(mak*****)
このコメントには8件の返信がついた。そのうちの一つ。
全く同感です。東大卒業してもその後、うまく働くことが出来なければ何の意味もありません。知り合いの息子が、不登校で高校中退、その後、大検まで取って最終的に準公務員にまでなったのに職場の人間関係が肌に合わず、結局もう3年以上ニートです。今後も働くことが出来るのか甚だ心もとないと親は言っています。不登校経験者が社会でちゃんと働けるかは、楽観出来ないと感じます。(xrg********)
言いたいことはわかるが、これはどの大学を出ても同じことが言えるだろう。もちろん一般論としてこういう意見が多いことは事実である。しかし、支援員が「不登校だった子が高校合格、大検を取り大学合格というパターン」などと言っているのはいかがなものか。ふつうの進学ルートではないか。それが「不登校だった子」という括りのもとで意味をなす。「不登校経験者」も同様である。
学校教育って学校教育を問題なく突破してる人が考えてるから、そこから外れた人にはやさしくない。同じく学校の先生も学校教育が心地よかった人が目指すから、それが合わない人への理解は基本的にない。自分も学校の授業は苦手でほぼ聞いてなかった。そういう人は残念ながら学校教育ではゴミのような扱いを受ける。なので教員は嫌い(笑)高校行かないで自分のペースで勉強する道があるのも良いと思う。(ぼぼぼ)
この意見はあまり記事の内容と関係ない。言いたいことがあるからコメントを寄せたという感じだ。ところが、ぼぼぼさんの意見は前にも引いた気がする。検索してみると、14号に引いていた。ということで再登場を願ったわけである。
塾の先生が特性理解して居場所になってくれたことや、批判せずに環境だけ用意し続けてくれた親御さんがいてくれていたことで伸びることができたんですね。発達障害って自分勝手でマイペースに見えるというか、一般の感覚ではそうなんですが、だからといって人がいてくれることは支えになります。以前関わっていた小学生の子は、小学生で漢検1級に受かったり、授業中はタブレットで高校入試問題を解いたり、二人の時はYoutubeで見た量子力学とかブラックホールとかの話を嬉々としてしてくれていたような子でした。当然、同年代とは話が合いません。(hos********)
塾でちゃんと勉強してるからそら~東大合格する可能性はあるわいな。(xpw********)
文脈からして書きそびれたことがある。彼は小学校6年生の頃から塾に通っている。それが「8年間不登校」「特別支援級」という物語の裏話である。と書くと、良くない印象を受けるだろうけれども決して悪いイメージがあって、彼の実例をここに取り上げているのではない。むしろ良い印象を抱いているのだが、それが「不登校」という物語に回収されてしまっているのを惜しむからここに取り上げているのだ。べつに「不登校」でいいじゃないかと言うだろう。しかし「フリースクール」「適応指導教室」「相談室」「自閉症・情緒障害特別支援学級」「通信制高校」と在籍し、塾で勉強を続けた例である。それを「居場所」を見つけた不登校生の話にするのではなく、もう少し違った目で見れないかと考えているのだ。最終的に東京大学に入ったことからして、見かたによれば、とても器用に学校制度に適応した例とも言える。学校が合わないという話なのだろうか?
ふわっと読むと、素敵な逆転人生でなかなかドラマチックな良い感じですが、ADHD多動性障害の子、育てているので、“部分的”にはすごくリアルで興味深くて。でも、同じ発達障害だからといって、この方と好きや苦手はぜんぜん違うし、この方の人生と同じことをして子供がそうなるとも思わないです。ただ、お母様がお子さんに、何が合うのか見守りながら、きっと色々経験を与えていたこと、塾にしてもそうだけど、合う塾にたどり着くまでの色々があったはず。そして、ようやくたどり着いた場所で気づいたことは「実は勉強が出来る子」だったのではなく、「実は勉強が好きな子」だったから、東大へまっしぐらに行けたのかな?(y********)
これは特に理由もなく不登校になって他人様のお金で日本一周するのとは訳が違う。努力の賜物やね。(メンチカツ)
メンチカツさんの意見はユーチューバーのゆたぽんを指すのだろう。最近、彼が高卒認定試験に合格したというニュースが入った。べつに「逆転人生」などではない。真っ直ぐ歩んで、そういう人生の道のりをたどっているのだ。「出来る子」ではなく、実は「好きな子」というロジックは意地悪く言えば教育者が好む論理である。できるできない、ではなく、合う合わない、という見方を好む。私が書いた本をめくりながら「もともと読み書きが好きだったんでしょう?」と、にこにことした顔で言ったカウンセラーがいる。「不登校」の子を専門とした相談室を開いているという有名な心理職の人である。
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藤井良彦(市民記者)
1984年生。文学博士。中学不就学・通信高卒。学校哲学専攻。 著書に『メンデルスゾーンの形而上学:また一つの哲学史』(2017年)『不登校とは何であったか?:心因性登校拒否、その社会病理化の論理』(2017年)『戦後教育闘争史:法の精神と主体の意識』(2021年)『盟休入りした子どもたち:学校ヲ休ミニスル』 (2022年)『治安維持法下のマルクス主義』(2025年)など。共著に『在野学の冒険:知と経験の織りなす想像力の空間へ』(2016年)がある。 ISFの市民記者でもある。


















