連載:マッド・アマノコラム集(6)

マッド・アマノ

マッド・アマノパロディコラムが毎週水曜日に公開されます。お楽しみに。


 

ベトナム戦争と安保闘争

1969 年と 70 年の正月早々、銀座のみゆき画廊で個展を開いた。当時は家電販売会社の 社員として宣伝部に勤務していたのだが当時の宣伝部長の和田可一氏は私の風刺作品の良き理 解者で勤務時間外の活動に制限を付けないばかりか作品集の発行に際して子会社の印刷会社 に印刷費を負担していただいた。

「まっ、出世払いということだな」と部長は笑って懐の深いと ころを見せた。あれから 50 数年の月日が経ったが、いまだに印刷費を支払っていない。改め て当時の部長と印刷会社の担当 O 氏にお礼を述べたい。部長はすでに鬼籍に入られている。

個展の会場にはベトナム戦争の 3 人の米軍帰休兵が入って来てニクソン大統領の顔が次第にフ ランケンシュタインに変化する作品の前に立ち止まり、いきなり親指を下に向ける、いわゆる ブーイングのポーズをとりながら「こいつは許せないぜ」と言い放った。

正月早々に当時、参議 院議員 1 年、まさに新人議員の石原慎太郎氏がやおら姿を現した。ささっと作品を見ると入り 口に置いてある芳名帳に署名をして足早に会場を後にした。

あまりの速さに話しかける暇もな かった。サインは左利きの読みにくいものだった。聞けば、出版界では石原氏の原稿は読みに くさではツトに有名なのだとか。

45 年経った今でもサイン帳は本棚にしっかりと収まっている。 ベトナム戦争は 1955 年から 1975 年までの東南アジアにおける冷戦戦争。当時。南北に分断 されていたベトナムで社会主義陣営の北ベトナム及びアメリカ合衆国との間で勃発した戦争だが 経済力・物量の圧倒的な差から「象と蟻」の戦いと揶揄された。

つまりアメリカが勝つのは自 明の理と思われていた。しかし、アメリカは敗北した。ここで忘れてならないのは米軍のナパー ム弾爆撃だ。爆撃によりジャングルが焼け野原になりベトナム軍はもちろん、多くの市民が犠 牲になった。投下された猛毒の枯葉剤に混入されたダイオキシンにより死産・流産や奇形の発 症率の増加となった。

下半身がつながった結合双生児として産まれたベトちゃん・ドクちゃん の事は世界中に知られている。二人の兄弟は。1988 年、急性脳症となったことを契機として日本とベトナムの医師団による大手術で分離した。

兄のベトさんは脳症の後遺症で 2007 年に 亡くなった。弟のトクさんは結婚して双子の子供に恵まれ、現在は日本とベトナムの友好の架 け橋として活動しているそうだ。明らかに国際法違反の化学兵器の使用による惨事であり悲劇 だった。

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日本では数少ないパロディスト(風刺アーティスト)の一人。小泉政権の自民党(2005年参議院選)ポスターを茶化したことに対して安倍晋三幹事長(当時)から内容証明付きの「通告書」が送付され、恫喝を受けた。以後、安倍政権の言論弾圧は目に余るものがあることは周知の通り。風刺による権力批判の手を緩めずパロディの毒饅頭を作り続ける意志は固い。

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