改めて検証するウクライナ問題の本質:Ⅰ 開戦前夜の情報戦
国際2022年2月24日のロシア軍によるウクライナへの全面侵攻は、世界に衝撃を与えた。それ以前から米国のバイデン政権が「侵攻」が起こり得るとする発言を繰り返し、マスメディアもそれに準じた報道を続けていたが、実際に現実となった驚きは想像以上だったに違いない。
とりわけ開戦まで、著者を含め米国政府の発表に懐疑を投げかけてきた側にとっては、見通しを誤ったという虚脱感は大きかったはずだ。その責めは免れないだろうが、それでも今や圧倒的に報道を支配している「ロシア=悪」、「ウクライナ=善」と単純化された言説で、すべてを説明し得るとは考えにくい。戦争は一夜で生じるのではなく、それに至る長く複雑な経過があるが、それを無視し、「侵攻」だけを捉えて「善」と「悪」を設定するのは、報道に値しないだろう。ここでは、同月24日の事態を生み出した要因を再度検証することで、この戦争の本質に迫ってみたい。
振り返れば、ロシアの開戦について最も注目すべき情報を事前に発信したのは、欧州最大の発行部数を誇る独『ビルト』紙の21年12月3日付(電子版)の「プーチンはこのやり方でウクライナを破壊できる」と題した記事であった。(注1)そこでは、以下のように報じられている。
「本紙の調査では、ロシアのウクライナに対する戦争の『最大計画』は、同年10月半ば以降から知られるようになった。米国の諜報機関であるCIAは、その情報をロシアの軍事交信から傍受し、当初は自国政府に、そして同年11月になって北大西洋条約機構(NATO)にも伝えた」。
この記事では、開戦は「22年1月末か2月初め」とし、「プーチンの要求にウクライナとNATOが応じない場合」に『最大計画』は実行されるが、依然としてプーチンは最終決断に達していないと報じている。また、今回の開戦時のロシア軍の動きも図解で示しながらほぼ正確に予測していることから、情報の精度は低くはなかったと見なしていいだろう。
正確に把握されていたロシアの動き
期せずして21年12月3日付、『ワシントン・ポスト』紙も「米国政府高官と入手した諜報関連資料」から、「ロシアが17万5000人の兵力で来年早くにも複数の戦線からウクライナに侵攻する計画を立てている」(注2)と報じたが、『ビルト』紙とは違い「21年10月半ば以降」の記述はない。
ちなみに著者の知る限り、今回の侵攻の可能性を最も早く予測したのは、米国の政治問題サイト「POLITICO」の同年11月1日付に掲載された「衛星写真がウクライナ近くでのロシア軍集結を示す」という記事だ。(注3)そこでは3点のロシア軍の大部隊の「衛星写真」が添えられているが、場所については本文ではなくキャプションで、ロシアのスモレンスク州中部にあるエリニャの演習場であると説明していた。エリニャはウクライナではなくベラルーシに近接していることから記事の信ぴょう性が疑われたが、今思えばベラルーシから侵攻した部隊の「衛星写真」であった可能性が否定できない。
続いてCNNが同年11月4日に別の「衛星写真」付きの記事をHPで掲載し、「ウクライナ周辺の異常なロシア軍の活動は、一般に出ている記事で承知している」という国防総省の報道官のコメントを紹介している。(注4)
一方、これについてジョー・バイデン政権が初期に公式コメントした例の一つが、同年11月10日に国務長官のアントニー・ブリンケンが国務省で訪米中だったウクライナ外相のドミトロ・クレバとの会談後の記者会見だった。そこでブリンケンは、米国がロシアの動きについて「密接にモニターしている」としながら「尋常ならざるロシア軍の活動の報告を懸念している」と強調。「いかなる攻撃的な活動のエスカレートも、米国にとって大きな関心事だ」と述べた。(注5)
すでにこの時点までに、米国の諜報機関はロシア軍の動きと今後の作戦計画の全容をほぼ把握していたと考えられる。
1953年7月生まれ。中央大学大学院法学研究科修士課程修了。政党機紙記者を経て、パリでジャーナリスト活動。帰国後、経済誌の副編集長等を歴任。著書に『統一協会の犯罪』(八月書館)、『ミッテランとロカール』(社会新報ブックレット)、『9・11の謎』(金曜日)、『オバマの危険』(同)など。共著に『見えざる日本の支配者フリーメーソン』(徳間書店)、『終わらない占領』(法律文化社)、『日本会議と神社本庁』(同)など多数。