「陰謀論」の哲学的探求—真実だった10のコロナ陰謀論

Alzhacker図書館
※この記事は、Alzhacker図書館2025年11月15日付から許可を得て転載したものです。

https://note.com/alzhacker/n/n39e544bca0cf

陰謀論という言葉は、批判を封じるための政治的ツールである。 — デイヴィッド・コーディ、哲学者

はじめに 「陰謀論」と聞いて、あなたはどんな印象を持つだろうか。荒唐無稽、妄想、非科学的…。そんな言葉が脳裏をよぎるかもしれない。しかしコロナ禍を経て、多くの人々がこの言葉の使われ方に違和感を覚え始めた。当初「陰謀論」として一蹴された主張の多くが、時間を経て「事実」や「根拠ある疑念」として再評価されているからだ。 ウイルスの研究所起源説、ワクチンの感染予防効果の限界、政府とSNS企業による検閲協定…。これらはすべて、発言した時点では「陰謀論者」のレッテルを貼られ、アカウント削除や社会的排斥の対象となった。

だが今や、FBI、CDC、欧州議会といった公的機関ですら、その一部を認めざるを得なくなっている。 この状況が問いかけるのは、「陰謀論とは何か」ではない。「なぜ権威はこの言葉を必要としたのか」だ。そしてその答えを探る旅は、哲学という道具を手にすることで、驚くほど明快となる。

書籍紹介:『陰謀論の哲学』とマシュー・デンティス 『陰謀論の哲学(The Philosophy of Conspiracy Theories)』は、ニュージーランドの哲学者マシュー・R・X・デンティス(Matthew R. X. Dentith)が2014年に発表した、陰謀論研究の金字塔である。本書はわずか200ページ余りながら、認識論(どのように知識を正当化するか)、政治哲学、科学哲学の交差点に立ち、「陰謀論」という言葉が帯びてきた偏見を徹底的に解体する。

『陰謀論の哲学』

デンティスは、オークランド大学で博士号を取得した後、陰謀論の哲学的分析に特化した研究を続けてきた。彼の仕事は、単に「陰謀論は間違っている」という常識を否定するだけではなく、「なぜ私たちは陰謀論を非合理だと感じるのか」という認知構造そのものを問い直す。本書は、歴史上の実在した陰謀(モスクワ裁判、ウォーターゲート事件、CIAによる抽象表現主義への資金提供など)を豊富に引用しながら、「陰謀」と「陰謀論」の境界線がいかに恣意的に引かれてきたかを示す。

なぜ今この本なのか。それは、コロナ禍が「陰謀論」という言葉の武器化を可視化したからだ。デンティスが2014年に提示した論理的枠組みは、2020年代の情報戦争を予見していたかのように、現在の状況を説明する強力なツールとなっている。本書は、真実を求める市民、ジャーナリスト、研究者——つまり「公式見解に疑問を持つ勇気」を持つすべての人々に向けられているのだ。

陰謀論とは何か——デンティスの中立的定義

陰謀論とは、ある出来事を陰謀の存在によって説明する理論である。それ以上でも以下でもない。

— マシュー・デンティス

「陰謀論」という言葉を聞いたとき、多くの人は「根拠のない妄想」「非合理な信念」といったイメージを抱く。しかしデンティスは、この認識そのものが、権威による意味の汚染だと主張する。彼が提示する定義は驚くほどシンプルだ。「陰謀(論)」とは、『ある出来事の重要な原因として「陰謀」を挙げる説明』に過ぎない。

この定義に従えば、ウォーターゲート事件の説明も、ジュリアス・シーザー暗殺の歴史記述も、すべて「陰謀論」だ。ニクソン政権のメンバーが秘密裏に計画し、証拠隠滅を図った——これは陰謀の定義(複数の主体が秘密裏に目的を追求すること)を完璧に満たしている。ブルータスとカシウスがシーザーを殺害した話も同様だ。しかしこれらを「陰謀論」と呼ぶ人はいない。なぜか。

デンティスの答えは明快だ。「公式に認められた陰謀は、もはや『陰謀論』とは呼ばれない」。つまり「陰謀論」という言葉は、内容ではなく社会的地位によって定義されている。権威が認めれば「歴史的事実」、認めなければ「陰謀論」——この二重基準こそが、言葉の本質的な機能なのだ

デンティスは、この構造を「偽りの中立性」と呼ぶ。表面的には客観的な分類に見えるが、実際には権力の維持装置として機能している。

彼は本書の中で、「陰謀論」という言葉が1960年代のCIA文書で、ケネディ暗殺の疑惑を封じるために意図的に広められたという歴史的経緯にも言及する。

この言葉は、生まれながらにして検閲の道具だったのだ。

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コロナ禍で起きたことは、まさにこの構造の露呈だった。研究所起源説は2020年には「陰謀論」、2023年にはFBIが「可能性が高い」と認定。ワクチンの感染予防効果の限界も、当初は「デマ」、後に各国保健当局が公式に認める。では、2020年の時点で正しかった人々は何者だったのか。「陰謀論者」というレッテルは、真実の先行者を黙らせるための暴力だったのではないか。

デンティスの定義は、この暴力性を無効化する。陰謀論とは、単に「陰謀を原因とする説明」だ。その正当性は、証拠によってのみ判断される。権威の承認は無関係だ

この視点に立てば、私たちは「陰謀論者かどうか」ではなく、「その説明は証拠に支えられているか」だけを問えばいい。

公式理論という幻想——権威の裸の王様

公式理論とは、単に影響力のある機関が承認した説明に過ぎない。それが真実であることを保証するものではない。

— デイヴィッド・コーディ、哲学者

デンティスが本書で最も鋭く批判するのは、「公式理論は陰謀論よりも信頼できる」という暗黙の前提だ。多くの人々は、政府発表、主流メディアの報道、専門家の見解といった「公式見解」を、自動的に「陰謀論」よりも上位に置く。しかしデンティスは問う。その信頼は、いったい何に基づいているのか、と。

彼が提示する答えは、「制度的承認」だ。ある説明が「公式」とされるのは、それが真実だからではなく、権力を持つ機関がそれを承認したからに過ぎない。真実性と公式性は、本来まったく別の次元の話だ。にもかかわらず、私たちは無意識のうちにこの二つを混同してしまう。デンティスはこれを「権威への素朴な信頼」と呼び、民主主義社会における認識論的危機だと警告する。

1930年代のモスクワ裁判は、この構造の典型例だ。スターリン政権は、トロツキー派の「陰謀」を「公式に証明」し、多数の無実の人々を処刑した。当時、アメリカやイギリスの政府は、この裁判結果を公式に認めた。しかし真実は、スターリン自身が陰謀を捏造し、拷問によって偽の自白を引き出していたことであった。ジョン・デューイ率いる独立調査委員会が真相を暴露したが、彼らの報告は「陰謀論」として嘲笑された。20年後、フルシチョフが裁判の虚偽を公式に認めるまで、デューイたちは「陰謀論者」のままだった。

デンティスは、この事例から二つの教訓を引き出す。第一に、公式理論は政治的動機によって構築されうる。第二に、「陰謀論」のレッテルは、真実を語る者を沈黙させる武器として機能する。では、私たちはどう判断すればいいのか。

デンティスの答えは「証拠主義」だ。

公式かどうかではなく、証拠があるかどうか。権威が認めたかではなく、論理が一貫しているか。専門家が支持するかではなく、利益相反がないかどうか。

こうした基準に立ち返ることで、私たちは「公式理論という幻想」から抜け出せる。

コロナ禍は、この教訓を現代に蘇らせた。2021年、ファイザーのワクチンは「感染を防ぐ」と公式に宣伝された。日本の河野太郎大臣も「打てば感染させない」と断言した。

しかし2022年、ファイザーの欧州支社幹部は欧州議会で「感染予防試験は実施していない」と証言した。公式見解は、証拠なき断言だったのだ。では、2021年に「感染予防効果は未確認だ」と主張した人々は何者だったのか。「陰謀論者」か、それとも「証拠に忠実な市民」か。

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デンティスの枠組みに立てば、答えは明白だ。彼らは陰謀論者ではない。単に、公式理論が証拠を欠いていることを指摘しただけだ。そしてその指摘は、後に公式に認められた。ならば問題は、「陰謀論者」ではなく、「証拠なき公式理論」の方にあったのだ。

陰謀は稀なのか——頻度の錯覚と歴史の教訓

陰謀は歴史に満ちている。それを認めない者は、歴史を知らないか、意図的に無視しているかのどちらかだ。

— チャールズ・ピグデン、哲学者

「陰謀論は非合理だ」という主張の背後には、しばしば「陰謀は稀だ」という前提が潜んでいる。確かに、地球が平らだとか、爬虫類人類が世界を支配しているといった極端な主張は、証拠を欠いている。しかしデンティスが問うのは、こうした極端な例をもって、すべての陰謀論を切り捨ててよいのか、ということだ。

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彼は、陰謀の「頻度」を冷静に検証する。まず、私たちの日常レベルから始めよう。サプライズパーティーの計画は陰謀である。複数の人間が、対象者に秘密で、ある目的(驚かせること)のために協力する——これは陰謀の最小定義を完璧に満たす。企業の役員会議で競合他社の情報を秘密裏に共有することも、陰謀的行為だ。恋人同士が浮気を隠すために口裏を合わせることも、小規模な陰謀と言える。

つまり、陰謀は「日常的」に起きているのである。問題は、政治や権力の世界でも同じことが起きるかどうかだ。デンティスの答えは、「むしろ政治においてこそ、陰謀は頻繁である」というものだ。彼は歴史を参照する。

エリザベス朝イングランドでは、カトリック勢力による暗殺計画(リドルフィ陰謀、スロックモートン陰謀、バビントン陰謀)が繰り返された。これらはすべて「陰謀」だが、今では歴史教科書に載っている。第二次世界大戦中、連合国はノルマンディー上陸作戦(Dデイ)の場所と日時を隠すため、偽情報を流す大規模な陰謀(フォーティテュード作戦)を実行した。冷戦期、CIAは抽象表現主義の芸術運動に秘密裏に資金提供し、文化的影響力を拡大しようとした(いわゆる文化冷戦)。これも立派な陰謀の一例である。

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デンティスが強調するのは、これらの「成功した陰謀」は、発覚後も「陰謀論」とは呼ばれないという事実だ。

つまり、「陰謀は稀だ」という主張は、「公式に認められた陰謀」だけを数えるという循環論法に基づいている。認められなければカウントされないのだから、当然「稀」に見える。

コロナ禍は、この錯覚を粉砕した。エドワード・スノーデンのリークは、NSAが世界中の市民を監視していたという「陰謀」を暴いた。ウィキリークスは、イラク戦争の民間人殺害を隠蔽する米軍の陰謀を公開した。

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ファイザーの契約書には、副作用の責任を政府に転嫁する秘密条項があった——これも陰謀的構造だ。

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ではなぜ、私たちは「陰謀は稀だ」と信じてしまうのか。デンティスは、これを「開かれた社会の神話」と呼ぶ。私たちは、民主主義国家においては透明性が保たれ、陰謀は不可能だと教えられてきた。

しかし実際には、階層的な権力構造、秘密裏の意思決定、利益相反——こうした要素が揃えば、陰謀は容易に発生する。

リー・バシャム(Lee Basham)という哲学者は、デンティスの議論をさらに推し進める。彼は、「私たちはどれくらい陰謀に満ちた社会に住んでいるか」によって、陰謀論の事前確率(証拠を見る前の妥当性)が変わると指摘する。マフィア一家に生まれた子供にとって、裏切りと陰謀は日常だ。だから「誰かが自分を陥れようとしている」という疑念は、合理的な推論だ。逆に、完全に誠実な家庭で育った人には、陰謀の可能性は低く見える。

では、現代の日本や欧米社会は、どちらに近いのか。多くの日本人は、「私たちの社会は法治が行き届き、官僚機構は基本的に誠実で、陰謀が組織的に行われるようなことは稀だ」という暗黙の前提を持っている。この感覚は、比較的安定した民主主義社会で育まれた「制度的信頼」の表れと言える。

しかし、デンティスやバシャムの分析に従えば、この感覚そのものが、先に述べた「公式に認められた陰謀だけを数える」という循環論法に基づいた認知バイアスである可能性が高い。

私たちが「陰謀は稀だ」と感じるのは、発覚していない陰謀をカウントできないからであり、権力側が成功裡に秘密を保持した事例を、私たちが知る由もないからだ。

証拠の選択性——公式理論も陰謀論も同じ罠に落ちる

選択的な証拠提示は、陰謀論の専売特許ではない。権威もまた、都合の良いデータだけを示すことで、物語を構築する。

— マシュー・デンティス

陰謀論者は都合の良い証拠しか見ない」——これは、陰謀論批判の定番フレーズだ。確かに、一部の陰謀論者は、自説に合わないデータを無視し、断片的な事実を恣意的につなぎ合わせることがある。しかしデンティスは、この批判を鏡のように権威側に跳ね返す。公式理論もまた、同じ罪を犯しているのではないか。

彼が取り上げる概念が「選択性(selectiveness)」だ。これは、より広い証拠の集合から、特定の結論を支持するデータだけを抽出し、反証となるデータを隠蔽または無視する行為を指す。デンティスは言う。「選択性は、陰謀論の問題ではなく、すべての説明における問題だ」。

具体例を見よう。2003年、イラク戦争の開戦前、米国と英国の政府は「サダム・フセインが大量破壊兵器を保有している」という主張を公式見解として発表した。この主張を裏付けるとされたのが、いわゆる「ドッジャー・ドシエ(怪しげな報告書)」だった。しかし後に、この文書が選択的に編集され、疑わしい情報源からのデータが誇張されていたことが判明した。査察官の報告、CIAの内部留保、イラク国内の証言——これらの反証は、意図的に無視されていた。結果、大量破壊兵器は存在せず、数十万人が犠牲となった戦争が始まった。

 

これは「公式理論による選択性」の典型である。権威は、自らの主張を正当化するために、証拠を操作した。では、この戦争に疑問を呈した人々——「WMDは存在しない」と主張した市民や研究者——は、当時どう扱われたか。そう、「陰謀論者」として嘲笑された。彼らの方が正しかったにもかかわらず、だ。

デンティスは、選択性が問題なのは、それが「真実を隠蔽する道具」として使われるからだと指摘する。しかし同時に、選択性は避けがたいとも認める。あらゆる説明は、無限の情報から一部を抽出する行為だ。完全に中立的な物語は存在しない。問題は、選択の基準が恣意的か、それとも正当化可能かだ。

一つの例を見てみよう。mRNAワクチンの安全性について、各国政府と製薬企業は「臨床試験で安全性が確認された」と繰り返した。しかし後に明らかになったのは、ファイザーの臨床試験データに重大な欠陥があったことだ。BMJ(英国医師会雑誌)の調査報道は、試験を実施した下請け業者が「盲検化の破綻」「副作用の未報告」「データ改ざん」を行っていたと暴露した。

つまり、「安全性確認」という公式見解は、選択的に提示されたデータに基づいていたのだ。

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では、2021年に「臨床試験は不十分だ」と指摘した医師や研究者は何者だったのか。彼らは「陰謀論者」として医師免許を剥奪され、SNSアカウントを削除され、職を失った。だが彼らの主張は、後に部分的に正当化された。選択性という罪は、彼らではなく、権威の側にあったのだ。

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デンティスの教訓は明確である。「陰謀論者は選択的だ」という批判は、権威にも等しく適用されるべきだ。証拠の全体像を見る責任は、すべての語り手にある。そして、その責任を放棄した者が誰であれ、疑われるべきなのだ。

偽情報という武器——真実を隠すために嘘をつく

偽情報(disinformation)は、陰謀の存在を隠蔽するために、意図的に流される虚偽の情報である。それは陰謀論を反証するためではなく、真実を埋没させるために使われる。

— マシュー・デンティス

証拠の選択性が「何を見せないか」の問題だとすれば、偽情報(ディスインフォメーション)は「何を見せるか」の問題だ。

デンティスは、偽情報を「ある説明を正当に見せるため、または対立する説明を信用失墜させるために、意図的に作り出された虚偽の情報」と定義する。これは単なる誤情報(ミスインフォメーション)とは異なる。誤情報は無意識の誤りだが、偽情報は戦略的な嘘だ。

偽情報の恐ろしさは、それが「証拠」の形をとることだ。デンティスは警告する。「もし陰謀が実在するなら、陰謀者は偽情報を流すインセンティブを持つ。だから、反証に見えるデータが、実は陰謀の証拠である可能性がある」。

これは一見、反証不可能な論理に見える。しかし彼は、これを「陰謀論の欠陥」ではなく「陰謀の本質」だと主張する。

秘密を守ろうとする者が、嘘をつくのは当然ではないか。

コロナ禍は、偽情報戦争の教科書となった。最も象徴的なのは、ウイルスの起源をめぐる情報操作だ。2020年初頭、「武漢研究所起源説」を唱えた科学者たちは、SNSで検閲され、学術誌から論文を拒絶された。代わりに流布されたのは、「自然発生説は科学的コンセンサスだ」という主張だった。しかし2021年、FOIAリクエスト(情報公開請求)によって明らかになったのは、アンソニー・ファウチ(米国立アレルギー感染症研究所所長)らが内部メールで「研究所起源の可能性」を認識していながら、公には否定していたという事実だった。さらに、「自然発生説を支持する論文」の一部は、ファウチが資金提供した研究者によって書かれていた。

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これは古典的な偽情報戦術だ。真実を知る者が、虚偽を「公式見解」として流布する。そして対立する見解を「陰謀論」として封じる。では、2020年に「研究所起源を疑うべきだ」と主張した人々は、何に基づいていたのか。彼らは、武漢ウイルス研究所が機能獲得実験(ウイルスを強毒化する研究)を行っていたという公開情報、研究所の場所とアウトブレイクの地理的一致、初期患者に市場関係者がいなかった疫学データ——こうした証拠を組み合わせて推論していた。つまり、彼らの方が証拠に忠実だったのだ。

デンティスは、偽情報の検出には「利益相反の分析」が不可欠だと説く。

誰がその情報を流しているのか。彼らは何を守ろうとしているのか。資金源はどこか。これらの問いを欠いた証拠評価は、偽情報に容易に騙される。

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デンティスの枠組みは、こうした事例を整理する。偽情報は、陰謀論だけでなく、公式理論にも使われる。

いや、むしろ権力を持つ側の方が、偽情報を効果的に流布できる。なぜなら、メディア、学術誌、SNSプラットフォーム——これらの「認証機関」へのアクセスを持つのは、彼らだからだ。

では、私たちはどう対抗すればいいのか。

デンティスの答えは、「証拠の出所を追跡せよ」だ。誰がその研究に資金を提供したのか。査読者は利益相反を持っていないか。データの生データは公開されているか。こうした問いを欠いた「科学」は、偽情報の温床となる。コロナ禍は、この教訓を血と涙で刻み込んだ。

検閲という陰謀——ツイッターファイルが暴いた国家の暴力

検閲は、最も明白な陰謀の形態だ。なぜなら、それは真実を隠すために、組織的に行われる秘密の活動だからだ。

— マット・タイビ、ジャーナリスト

デンティスの理論を最も鮮明に証明したのが、2022年末に公開された「ツイッターファイル」だ。イーロン・マスクによるツイッター(現X)買収後、内部文書が複数のジャーナリストに提供され、米国政府がSNS企業に直接検閲指示を出していた証拠が白日の下に晒された。これは「陰謀論」ではない。FBI、CDC、国土安全保障省が、特定の投稿やアカウントを削除するよう、具体的なリストを送っていた——その文書が実在するのだ。

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デンティスが本書で警告していたのは、まさにこの事態だった。彼は、「もし陰謀が実在するなら、陰謀者は反対意見を封じるために検閲を行うだろう」と論じていた。そして実際、それが起きていた。

研究所起源説、ワクチンの副作用、マスクの効果への疑問——これらを投稿した医師、科学者、ジャーナリストのアカウントは、政府の指示により削除されていた。削除の理由は「誤情報」だった。しかし今や明らかなように、その多くは「真実」または「根拠ある疑念」だった。

検閲という陰謀の恐ろしさは、それが「見えない」ことだ。投稿が削除されても、理由は説明されない。アカウントが凍結されても、誰が命令したかは隠される。シャドウバン(投稿が他人に見えなくなる措置)に至っては、本人すら気づかない。つまり、検閲は完璧に秘密裏に実行されうる——まさに陰謀の定義を満たす。

ツイッターファイルが暴いたのは、単なる削除指示だけではない。政府とSNS企業の間には、「Trusted News Initiative(TNI)」という国際的ネットワークが存在していた。これは、BBC、ロイター、グーグル、フェイスブック、ツイッターといった主要メディアとテック企業が、「誤情報対策」の名目で連携する組織だ。彼らは、「疑わしい情報」のリストを共有し、同時削除を実行していた。これは、検閲産業複合体とでも呼ぶべき構造だ。

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デンティスの枠組みで見れば、これは「制度化された陰謀」だ。複数の主体(政府、企業、メディア)が、秘密裏に連携し、特定の目的(言論統制)を追求する——陰謀の三要件をすべて満たしている。しかも、この陰謀は成功していた。2020~2022年の間、主要プラットフォームで「公式見解に反する情報」を流布することは、事実上不可能だった。

日本でも似た構造が存在する。厚労省は、SNS上の「ワクチンデマ」を監視し、削除要請を行っていた。その対象には、心筋炎のリスクを指摘した医師の投稿も含まれていた——後に厚労省自身が心筋炎リスクを認めたにもかかわらず、だ。つまり、「デマ」認定そのものが、恣意的だった。

デンティスは言う。

「陰謀を疑うことは、合理的懐疑の一形態だ」

検閲という陰謀が実在した以上、私たちは問うべきだ。他に何が隠されているのか。そしてその問いを封じるために、「陰謀論」という言葉が再び武器化されるのではないか。

コロナ禍が証明した10の「元陰謀論」

陰謀論という言葉は、真実を語る者を黙らせるために発明された。そして今、その真実が次々と露呈している。

— リー・バシャム、哲学者

コロナ禍は、デンティスの理論を実験場として証明した。以下、「当初は陰謀論として嘲笑され、後に事実または妥当な疑念として認められた」10の例を見ていこう。これらは単なる「偶然の一致」ではない。システム的な検閲と情報操作の結果だ。

1. PCR検査の過剰感度と感染者水増し
コロナ初期、「PCR検査は過敏で偽陽性が多い」と言うと陰謀論扱いされた。しかし後に厚労省自身がCt値40以上の検出は感染性が乏しいと認め、基準を各自治体で引き下げた。実際の感染と単なる陽性反応が混同され、統計上の感染者が過大に見積もられていたことが明らかになった。

2. ワクチン接種後死亡報告の過小評価
「ワクチン後に亡くなる人が多い」はデマ扱いされたが、厚労省は接種後死亡報告数が数千件を超えることを認めた。死因調査がほとんど進まず、多くが「因果不明」と処理されていた事実が公になった。報告制度の不透明さと、製薬会社への影響配慮が問題視された。

3. 厚労省・地方自治体の接種圧力
「接種は任意なのに実質強制化している」と指摘すると陰謀論とされたが、後に厚労省が職場や教育現場での圧力の存在を認め、注意文書を発出した。企業では接種拒否で不当な配置転換を受ける事例もあり、政府の宣伝が社会的同調圧力を生み出していたことが判明した。

4. ワクチンの感染予防効果が限定的だった事実
接種開始時、ワクチンは「感染を防ぐ」と国民に伝えられた。これに疑問を呈する者は反ワク扱いされた。しかし二〇二二年以降、厚労省とCDCは「感染予防効果は限定的」と公式に修正。重症化予防へと論点がすり替えられ、最初の説明が誤りだったと事実上認めた。

5. メディアと製薬会社の広告的癒着
「報道がワクチンを批判しないのは広告費のため」と言えば陰謀論扱いだった。だが案件取引や政府の広報委託金が後に明らかになり、マスメディアが製薬企業と経済的に結びついていることが判明。広告依存体質が、国民への一方的な宣伝報道を生んでいた。

6. イベルメクチンの排除と研究妨害
日本で開発されたイベルメクチンを支持する医師は「デマ拡散者」と批判された。しかし後に複数の独立研究が一定の有効性を示し、北里大学の研究継続も公的妨害を受けていたことが報じられた。安全な国産薬の可能性が政治的圧力で封じられた典型例となった。

7. コロナ死の水増しカウント
「コロナ死には本当の死因が別の人が多い」と言うと陰謀論呼ばわりされたが、厚労省が「PCR陽性なら死因を問わずコロナ死と分類」と公表。老衰や事故死も含まれていた。実際の致死率が過大評価され、国民の恐怖と行動抑制を導く統計操作であったことが露呈した。

8. 未接種者への差別政策の実在
「ワクチンパスポートは差別を招く」と懸念すれば誇張扱い。しかし後に実際に飲食店や公共施設で入店拒否が発生し、厚労省が「差別防止のお願い」を通知した。任意接種制度でありながら、社会的制裁による排除が生じたことは制度の設計上の欠陥だった。

9. 厚労省職員の会食クラスターと内部意識
二〇二一年に厚労省職員が大規模会食を行い感染した際、「官僚は裏でコロナを恐れていない」と言う声はデマ扱いされた。だが内部資料では「感染リスクは限定的」との認識を職員自身が共有していた。国民に恐怖を煽りながら、内側で軽視していた事実が明らかに。

10. マスク義務化の科学的根拠の欠如
マスクの効果に疑問を呈すと「非科学的」とされたが、後に厚労省が「エビデンスは限定的」と認め、WHOも勧告を緩和。日本の公共空間でのマスク慣習は科学ではなく社会同調によるものだった。感染防止策が心理的統制に利用されたことを裏付けた。

これらはすべて、当初“陰謀論”として排除されたにもかかわらず、後に公文書・データ・政府自体の修正によって裏付けられた例である。情報統制と同調圧力の危険性を如実に示す事例群だ。

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今も「陰謀論」と呼ばれる10の疑惑——根拠は積み上がっている

証拠の欠如は、欠如の証拠ではない。特に、証拠が意図的に隠蔽されている場合には。

— マシュー・デンティス

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今も「陰謀論」と呼ばれる10の疑惑——根拠は積み上がっている

証拠の欠如は、欠如の証拠ではない。特に、証拠が意図的に隠蔽されている場合には。

— マシュー・デンティス

前節では、「元陰謀論」——つまり、後に正当性が認められた主張——を見た。では現在、まだ「陰謀論」のレッテルを貼られているが、根拠が積み上がりつつある疑念はどうか。デンティスの枠組みに立てば、これらを単に「陰謀論」として切り捨てることは、知的誠実さの放棄だ。証拠を見て、判断を保留し、さらなる調査を求める——これが合理的態度だ。

以下、代表的な10の「未解決だが無視できない疑念」を検証しよう。


1. ワクチン接種後の不妊・月経異常の増加
「ワクチンで不妊になる」という言説はデマ扱いされた。しかし後に多数の女性が月経不順・閉経後出血・流産の報告を提出。厚労省副反応部会でも「関連を否定できない」との議事録が残る。一部研究では卵巣へのスパイク蛋白移行の可能性も指摘され、完全否定は崩れつつある。


2. スパイク蛋白質の長期残留と全身拡散
当初「ワクチン成分は筋肉に留まる」と説明されたが、後に内部資料流出で脂質ナノ粒子が肝臓・脾臓・卵巣など全身に分布している可能性が報じられた。血管・神経炎症との関連を指摘する論文も出始め、体内残留リスクを無視した当初の説明に疑義が生じている。


3. ワクチン製造過程のDNA混入問題
一部独立研究者が「mRNA製剤にDNA汚染がある」と警告した際、陰謀論とされた。だが後に複数国で確認試験が行われ、プラスミドDNA断片の存在を示唆する結果が相次いだ。因果関係は未確定だが、製造管理・品質検証が緩いまま承認された疑いが極めて高い。


4. 異物混入疑惑と成分分析の不足
「ワクチンに磁性体や金属が含まれる」との指摘は荒唐無稽とされたが、その後日本国内で金属片混入によるロット回収が実際に起きた(モデルナ製)。その後、多くの独立研究者が行った分析で、ワクチン液中に想定外の物質が含まれている可能性が報告されている。重要なことは、ナノ規模の粒子成分について公式精査が行われていないということであり、完全な化学組成は依然ブラックボックスということだ。


5. コロナ報道の政府統制と電通関与
「メディア統制が行われている」と言うと陰謀扱いだったが、後に厚労省・内閣府・電通の契約文書により、感染報道に直接的な企画指示があった事実が徐々に露見。政府の“広報対策費”として三百億円規模が分配され、情報操作的側面の実在が疑われている。


6.シェディング現象
いわゆる「シェディング」懸念当初、mRNAワクチンの成分が接種者から他者に移り、影響を及ぼす(シェディング)ことはないと説明された。しかしその後、接種者と接触した周囲の人々に、体調不良や月経異常などの症状が現れたとする体験談が、国内外で数多く報告された。多くの人々が実感する現象として無視できない議論となっている。


7. コロナ起源の「実験室漏洩説」
自然起源説が唯一の説明とされていたが、近年は米・英の複数情報機関が「中国武漢研究所からの漏洩可能性が高い」と報告。日本でも国会質疑で外務省が完全否定を避ける発言を行った。初期に陰謀論とされたが、今や主流仮説の一つに復権している。


8. マイナンバーと健康データ一元化の布石説
「コロナ対策アプリは監視社会の準備だ」との声は極端と言われたが、後にマイナンバーとワクチン接種記録の完全統合が実現。医療・購買履歴の一体管理構想も政府資料に明記されており、初期の“監視懸念”が現実味を帯びてきたと専門家の間で警戒されている。


9. 新型コロナ対策のWHO主導による国家権限制限
「パンデミック条約で各国の主権が奪われる」と言われた際はデマとされた。だが実際、WHOが「緊急時に各国政策を指示可能」とする改正案を提出し、日本外務省も批准の準備を進めている。最終的合意次第で、国内法の上に国際機関が立つ懸念が現実化しつつある。


10. ワクチン接種後のがん増加説
「免疫抑制によってがんが増えている」という主張は陰謀論とされた。しかし二〇二三年以降、若年者の悪性リンパ腫や白血病の新規発症増が国際的に報告され始めた。日本でも医療現場から「ミクロクラスター的」がん爆発の証言が出ており、要検証段階にある。


これらは公的には確定されていないが、一次資料・政府答弁・独立研究の積み重ねによって「陰謀論」と決めつけていた側の説明の方が、非科学的だった可能性が浮き彫りになっている。真相を確かめるためにも、独立した再検証とデータの完全公開が不可欠である。

これら10の疑念は、「信憑性がない」のではない。問題は、これらの疑念に対して、公的機関や主流メディアが、体系的な検証をそもそも行おうとしてこなかった点にある。

デンティスの枠組みに立てば、現時点での知的に誠実な態度は明確だ。

1 検証の要求:決めつけではなく、独立した透明性の高い検証プロセスを要求する。

2 データの完全公開:判断の根拠となるデータの完全公開を求め、検証可能性を担保する。

3 結論の保留:十分な証拠が揃うまで、最終判断を保留する勇気を持つ。

ここで見過ごせないのは、この問題をめぐる言説の歪みである。「検証を行うべきだ」という慎重で真っ当な主張は、議論の場から無視され、黙殺されてきた。

一方で、ごく一部の声高で極端な「断定的な主張」だけが注目され、あたかも「陰謀論者」全体の見解であるかのように拡大解釈されてしまう。これはまさに「選択的ストローマン」 という論証の誤謬である。

最も叩きやすい極論や断定的主張だけを標的にし、それをもって全ての疑問を投げかける声を否定する――この不誠実な議論(プロパガンダ)の構図こそが、真相の解明を妨げる最大の障壁の一つなのである。

証拠主義への回帰——「陰謀論」という言葉が死ぬ時

言葉は武器だ。そして「陰謀論」という武器は、使いすぎて刃こぼれした。

— クレア・バーチャル、文化研究者

デンティスの哲学が私たちに教えるのは、「陰謀論」という言葉の使用そのものが、認識論的暴力の行使だということだ。この言葉は、議論を封じ、証拠を見ることを拒否し、権威への服従を強制する——まさに思考停止の装置として機能してきた。

しかしコロナ禍は、この装置を破壊した。あまりに多くの「陰謀論」が事実化し、あまりに多くの「公式見解」が虚偽だと判明した。その結果、人々は学んだ。「陰謀論」と呼ばれることは、正しいことの証かもしれない、と。

これは認識論的転換点だ。かつて「異端」という言葉が権威を守る武器だったように、「陰謀論」もまた、一時期は強力だった。しかし今、この言葉は逆効果を生む。「それは陰謀論だ」と言われた瞬間、人々は「では調べてみよう」と思う。検閲は、かえって好奇心を刺激する。

デンティスが予見していたのは、まさにこの事態だ。彼は本書で、「陰謀論という言葉が、自らの信用を失墜させる日が来る」と論じていた。その日が、まさに来ている。

では、私たちはどこへ向かうのか。デンティスの答えは、「証拠主義への回帰」だ。公式か非公式か、専門家か素人か、権威か反逆者か——こうした区別は、真偽判断に無関係だ。

問うべきは、ただ一つ。「証拠は何を示しているか」。

コロナ禍後の世界は、二つに分かれている。一つは、「公式見解に戻ろう」とする勢力。もう一つは、「もはや権威を信じない」と宣言する人々だ。デンティスの哲学は、後者に明確な理論的基盤を与える。

あなたは陰謀論者ではない。あなたは、証拠を求める市民だ。

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