登校拒否新聞28号:出席日数欄
社会・経済朝日新聞の記事「内申書の出席日数欄なくす動き 27年度に19都府県」は10月24日付。記事の内容についてはタイトルに尽きている。
https://news.yahoo.co.jp/articles/a57845e2f932ffe793dd39d6a8869ff4a225c5c4
ヤフーで再配信されたコメント欄には1661件もの意見が寄せられた。その中に、
とりあえず、どこの19都道府県が無くなるのか書いてよ。(nce********)
とあるように、記事には「19都道府県」としか記されていない。県境を超えたとたんに対応が変わる、ということはあることだから注意してほしい。
コメ欄の初めの方に出てくる「エキスパート」って表示されている方々と、一般のユーザのコメントが乖離してて安心した。「エキスパート」の方々って多分専門家みたいなお立場の方なんだろうけど、この件に関していえば、決して喜ばしいことでは無いと思う。もちろん、色々な生徒への配慮が必要だとは思うけど、必要以上に甘やかしたら理由もない怠惰な長欠が増えると思う。(tb_********)
ヤフコメのコメントをみる限りほぼ出席日数欄は無くすべきではないという考えの人が多い。この声をきちんと行政に伝えていかないと、学校にきちんと通っている生徒に正当な評価がされなくなります。当たり前の事を当たり前にできているのも重要な評価基準ではないか。(tuk********)
この二つの意見は登校拒否新聞として、このコメント欄の走査をしていることの意味を代弁してくれている。「不登校の専門家」たちの一様な意見が常識的な大多数の人の意見と乖離している。もちろん、だからこそ「不登校の理解」なるものが成り立つわけであるが、実際の教員や親、あるいは本人の立場からして必ずしも支持されない意見が「理解」の名を借りて一辺倒に主張されるという構図には問題がある。一人の学者として私はなぜそのような「理解」が成り立ったのか、ということを思想史の上から研究しているわけであるが、同時に、この登校拒否新聞では同時代的に一部の専門家の識見とは別に大多数の人たちが学校をどのように見ているかという集合的な認識――「思想」を捉えることを目ざしている。個人の思考ではなく、みんながどう考えているかということが知りたい。学校観と言うべきか、しかしそれもまた時代の制約を受けている。
進学塾に行けば内申関係なくなるな。(non********)
頭いいヤツが、塾だけ行って学校行かなくても、高校受験できてしまうってことですか?(ako********)
通塾でサボリまくっても内申書には出ない、ってことですよね。(fuu*****)
登校拒否している中学生がなんで高校に行くんでしょうか?というか今行けてないのに、今後行けるようになるわけないと思います。どうせ入学したとしても中退するか、出席日数が足りないで退学になるに決まっています。(uta********)
なにせ1661件である。ぜんぶ見るだけでもたいへんなのに、登校拒否の4文字だけは目に留まる。片寄った意見ではあるが記念に載せておく。塾に通っていれば、という例については前号で扱った。現状、通塾は出席日数としてカウントされないがフリースクールなどは校長の裁量による認めることになっている。今後「19都道府県」ではそのルールが無効となる。「多様な学び」勢にとってはかえって不都合なのではないか?
登校しても授業中教室にいない生徒がいるのも事実。不登校生徒の支援施設に行けば登校扱いとしている自治体があるのも事実。しかし、心身共に健康で毎日登校する生徒は、やはり入試の判断基準として、安心できるのではないだろうか。(おむすびころりん)
ウチは中3から不登校になりました。全日制の高校を受験する予定だったので、頑張って別室登校で行かせたりしてました。でも、ある高校がウチは内申点では判断しません。試験当日の学力で判断します。という高校がありました。不登校だったけど、塾には行っていたので学力はそこそこあったので、とても安堵した記憶があります。(fla********)
出席日数は書いた方がいいと思う。なぜなら、登校することを一生懸命頑張った生徒にとっては、大事な記録になる。また、不登校がちな生徒にとっては、次の学校からいろいろと配慮をいただける可能性が高い。学校側は、不登校がちな生徒への準備ができる。合否判定には関わらないが、結果的にはいいことしかない。(heiruhs)
不登校の子に×をつける必要はないが、皆勤賞の子に〇をつけるのはありではないか。(nah********)
不登校の子は助かる一方で、欠席日数の少なさを強みにしていた心や身体が丈夫な子の強みを失わせてしまっているよね。それって本当に良いことなのか?何でもかんでも弱者に配慮しすぎて、弱い人間しか生み出す事ができていない。(for********)
欠席が悪いとは言わないけど、体調も含め例えば皆勤賞は褒められるべきだと思う。そういう意味では出席できた事にも注意が向いてもいいんじゃないかな。難しい問題だとも思うけどさ。(pla********)
3年間無遅刻無欠席の皆勤賞を評価してもらえない!(fta)
これで俺の取り柄は霧消と化した。(ori********)
そう言えば、皆勤賞というのはどこから出てきた言葉なのだろうか?
私は中学校には一日も通わなかったが毎日通った人に皆勤賞を授けることには賛成だ。出席点がない以上、勉強するしかないと思っている。本人のものだろう。ほとんど同じ意見が一つだけあった。
不登校だった理由によると思うんだよね。私は出席日数足りずに公立高校は無理だよって言われて受けられなかったけど、親との関係が悪いのが爆発してのことだったから、世間的に見ればやさぐれたという理由。学力は当時の地元の普通科は落ちないと言われるくらいはあった。でも仕方ないよねって思う。(a*****)
どんなに勉強しても公立はムリという当時のこと。あっしもまたやさぐれ者になりやした。結局、義務教育での内心点が評価の半分を占めるのならば、事実上、高校まで義務教育ではないか、とさんざん考えた。あれから30年、まだ考えている。
以下、内申書そのものがおかしいという一般論は省き、めぼしいものを紹介する。
中学校の「出席」と「欠席」の基準がそもそも微妙だったため、無くても全く問題ありません。校門の敷地内に一歩でも足を踏み入れれば「出席」、オンラインで少しでも顔出せば「出席」、もちろん教室や授業に参加せずとも保健室に登校すれば「出席」、学校の代わりになる教室(不登校ケア用)に行けば「出席」。調査書には「毎日保健室に登校」等と生徒本人に不利になる所見は記載しないので、読み際も知識がないと(「全く休まず学校で授業を受けたんだ」と)騙される仕組みです。(ktja)
安心してください。記載はなくても、調査書と呼ばれる私立学校に提出する書類には記入しますので、合否判断の一つの材料になります。結局、表面的に無くしてお茶を濁そうとする教育委員会のいつものやり方ですよ。(sub********)
裏事通からすればこういう話でしかない。基準がザルである。昔日のタッチ登校など、校門に触れれば登校したとみなすなど、出席点がついているからといって授業に出席しているとは限らない。そこで、調査書にどう書かれるかが問題だ。
突然の病気で小学生の時に長期入院をしておりました。指定難病だったので、中高の時は定期通院が必要で皆勤賞とは無縁でした。皆勤賞をクラスのみんなでお祝いするたびに、通院が理由で皆勤ができない自分に嫌気がさしておりました。皆勤賞自体は悪くないと思いますが、それを美化されることは、私は辛かったです。(wewill)
内申に欠席日数は判断基準の1つとしては必要とは感じます。ただ、私の息子は今中学3年生。2年の時に極度の偏頭痛が発祥、60日くらい学校に行けませんでした。当時の担任に相談したところ、欠席日数は内心に書くが理由は書かないとのこと。診断書の提出を伝えるも要らないと。今は薬がようやく合い、収まってる。広い意味では不登校となるのかもしれないが、せめて理由は書いてほしい。(fra********)
起立性調節障害の中学生の子供がいます。行きたいのに行けなくて、毎日メソメソ泣いています。また、高校受験の出席日数を気にしています。勉強は調子が良くなった午後5時以降から、スタサプなども利用し、本人なりに頑張っています。不登校の子どもだけではなく、病気で行けない子に対しても、心の不安がぬぐえるので、とても良いことだと思います。(cel********)
中学生になると起立性調節障害が一気に増えます。こじらせると、長く続いてします。我が子も小学6年で発症し嘔吐、頭痛、腹痛と貧血で倒れることを繰り返しました。(dhy********)
いつも言っている通り、長期欠席の理由別下位分類には「病気」「不登校」「経済的な理由」「その他」とある。最初の例に比べると起立性調節障害は曖昧なところもあるが、少なくとも概念的に「不登校」と区別した「病気」としなければ意味をなさない。診断を受けた例と括れば、広い意味で「病気」と分類すべきというのが私の主張だ。
インバウンド客の増加に伴う、季節外れだったり予測外だったりのコロナやインフルエンザなどの流感が大流行しやすくなった中で、具合の悪い子供を学校に登校させる要因である内申書への出席日数欄の削除……と言うのであれば大いに賛成です。昔ながらの欠席ゼロには加点……のような価値観が残る現場もあるでしょうから。(sol********)
コロナ禍になってから、少しでも咳をしているときは休ませてしまっていたので、息子が中3になった今、欠席の多さが内申に響くのはおかしいなと思います。(とりとり)
流行感冒が増えているという現実もある。最後のとりとりさんの意見などはリアルだ。そういう現状もあるから出席日数欄を取っ払ったという見方もできそうだ。おそらく、それが実状だろう。「不登校」ではなく「病気」が増えているという実状は長期欠席の理由から知られることだ。それが出席日数欄をなくすことで、なし崩し的に「不登校」が増えているという主張にすり替えられないかと不安だ。
頑張って登校した事実が報われないのはおかしい。出席日数が規定日数満たなかったりするのは、何も精神的に病んで不登校になった人だけではない。毎日学校に通うのも努力だったり才能だと思う。これもひとつの多様性だと思う。(mom********)
通学制学校は通う事が定義でしょ?その学校に出向くという定義すら守れない・守らせられない人間が増えているなら、きちんと守っている子を評価してあげられる項目になる。なぜ取り消すのか?通わない事が多様性だと言うなら、最初から通学制の学校選ぶなよ。何でもかんでも多様性で許されると思うな、大多数が守って自分が守れない事を棚上げしてるだけだろ。(むむむ)
“多様な学び”という言葉があります。学校に登校できない生徒に対して、オンライン授業や課題提出などで単位を認める、という方針が文科省から出されています。例えば、持病があって(もちろん医師の診断が下っていて)登校が難しいとか、大きな手術をして予後のためにも自宅療養が必要で登校が難しいとか、そういう理由で、それでも学び続け進級卒業したい、というのであれば認めてもよいと思います。しかしながら、友人とのトラブルで教室に入れない、中学時代から不登校(理由はわからない)、怠学傾向、生活リズムの崩れから朝起きられず体調不良を訴える等々。そのような生徒に対しても配慮せよ、というのは、全日制高校の在り方からすれば違うのではないか、と思うのです。(kam********)
もちろん「全日制」のことであるが「通学制」という言葉は教育法規にはない。「通信制」においてもレポート提出とスクーリングという以外にも通学して単位を取る仕組みを設けている高校が少なからずある。私もそういう通信制課程を卒業した。そういう意味では通学するかどうかは「全日制」と「通信制」の区別をつけるものではない。しかし、ここで言われている「多様性」「多様な学び」が通学することの意味を損ねているという意見はもっともだと思う。
親たちの挙げる実例を見てみよう。
授業一度も出席せずテストも受けずとも成績表1にできるのかも疑問。子供が中学で体育1すらつかず空欄でした。出席日数記載でも受け入れ高校が判断したらいいのでは?内申と入試点数を1:9、3:7、5:5どの基準にするか。うちの子の高校は公表3:7が実質は1:9だったとの噂があり、そのおかげで合格できたのかも。(ko9********)
なくす意味が正直わからない。我が子の周りにも中学不登校でむりくり全日制へ行った子いるけど、ほぼ退学してます。欠席を隠すのではなくて、不登校でも続けやすい行きやすい学校づくりが必要なのでは?と思います。(o)
友人の子は優秀だけど小中で登校しても保健室が多かった。高校も公立の優秀な学校に入学したが結局二か月で退学して通信にした。通信でも交流できる日を設けている通信学校を選択したほうが良かったのでは?と。思った。が、自分に合った通信制を選んだろうから頑張ってはほしい。小中は義務教育だけど、高校は違う。公立は、退学しても学校経営に問題は無いんだろうが、私立は営利なので退学者が出れば直結するので、出席日数はリスク回避に不可欠だと思う。(pro*****)
中学1年3学期から卒業まで完全不登校だった子を持つ親です。稀なケースと思いますが全日制の高校に進学し、1年時は10日ほど休みましたが現在高校2年で、欠席も少なくなりました。中学1年の二学期までは登校していたので、卒業までずっと登校しなくてはならないことは頭では理解していました。しかし、心と身体が疲弊してしまい、自律神経失調症を患い、オンラインフリースクールと自治体のフリースクールを併用することになりました。高校へは進学したいという強い意志をもっていましたが、出席日数、10段階評価や通知表が斜線扱いだったのがネックとなっていました、出願時県教委に自己申告書を提出することが唯一の自己アピールとなり、ありがたかったです。(gyv********)
最初の例にあるように内申書そのものに対する疑問もある。これについては登校拒否新聞としても8号と9号で取り扱った。最後のケースは決して稀ではない。通信制でも先に言ったように実質的には登校している例も多い。実際、長期欠席者が元の学校に戻るというのは難しいだろう。高校進学と共に環境がリセットされれば通学する。それを頭から学校教育の問題と決めつけ「多様な学び」を押しつけるからおかしなことにある。
稀ではない――とはいえ全日制を選んだ場合のリスクもある。
高校生は来なければ留年、退学がありますから入学金もらえば、ご自由にどうぞ、じゃないでしょうか。(pap********)
これはよくないだろう。成績と同じく出席日数は大事。高校では、1年間の1/3の欠席があると、単位が取れなくて、留年。どんな理由があるにせよ、高校で不登校の子は進級できない。(xyx********)
子供が受験した私立高校は3年間で欠席日数が15日以内でないと受験資格がありませんでした。そんな規定があると知ったのは3年生になってからなので、もう少し欠席日数に余裕を持たせてもらいたいと思いました。心身ともに元気に学校に行く事はすごく大事な事なので学校に休まず行った生徒を評価してあげるべきと思います。(ura********)
入学金を払うということを忘れてはいけない。学校側としても、それさえもらえれば、という了見があるかもしれぬ。有名大学などは受験料だけでものすごいお金が動いている。「不登校ビジネス」という言葉があるが義務教育を終えてからの学校はすべて経営により成り立っている。入学させても来なくなれば、生徒数が減るわけだから学校側にもリスクがある。しかし定員割れしていれば入学金だけでも、という話になろう。
高校の先生たちの意見も聞きましょう。
地方県の元公立高校教師です。定年退職までに8校ほど勤務しましたが、自分が勤務した全日制高校では、中学時代不登校であった事だけで不合格にした経験はありませんでした。ただし、入学後の生徒のケアには中学時代の欠席日数等の情報は大変重要でした。欠席が多い場合には、生徒自身だけでなく保護者など家庭環境に対応が必要なケースが多かったです。不登校生徒がクラスに複数人いるといないとでは、担任の負担は数倍以上になります。一旦、入学を受け入れたからには、本人や保護者の意向を尊重しながら、少しずつステップを踏んでいくのですが、うまくいかずに通信制高校などに進路変更したり、家から一歩も出れず1日も登校できないまま退学する場合も多いです。欠席が多い子、遅刻常習の子、皆勤の子様々ですが、それぞれの個性でもあり自分で背負っていくものだとも思います。書類に記載されていないからといって、無かった事にはならない。(gjq********)
全日制高校で働いていました。中学時不登校生徒も入学していました。正直、高校から心機一転フルで出席できる生徒はほぼいません。これが現実です。全日制ですと、出席と成績が進級の条件になりますが、これをクリアーできず、結局、通信制か定時制への転校になります。担任も登校支援しますが、限界があります。今や、通信や定時からでも、受験にチャレンジできる世の中になっています。進路は開かれています。不登校の状態で、出欠欄なし、よし全日制へ行こう、とても危険ですよ。本当にその子に合う、ゆっくり、じっくりやっていける進路は何か、考えてください。(mic********)
公立高校入試で出席が合否を左右することはない。都道府県によるが、入試一発勝負もしくは入試と評定(内申点)の数字を得点化して判断する。得点開示した時に説明をつけられない欠席を合否に入れるような自分たちが危うくなるまねはしない。逆に欠席が書き込まれている方が、入学後、個別のフォローがしやすい。欠席欄の廃止は、かえって欠席の多い生徒の不利益になりかねない。(伊豆守信綱)
最後の方は教員なのだろうか?具体的な意見で勉強になる。いずれも実際に高校教員の立場からすれば出欠は明らかにしておいたほうが入学後も本人の利益になるとしている。そして、現実のリスクが指摘されている。先に挙げた実例にあるように小中学校にあまり通っていなくとも高校には通える場合、またやはり通えなくなる場合とある。いずれにせよ、高校の側でフォローするとすれば長期欠席者であることは予めわかっているほうがよろしいということである。
これでは内申書の意味がない。不登校生徒は通えない何らかの理由がある訳で、それが故意にせよやむを得ない理由にせよ、学校側の負担になることは明らか。高校以降は義務教育ではないので高校や企業にも生徒を選ぶ権利がある。テストの点数、内申点が同等だった時にやはりどちらの生徒に来て欲しいかと言えば、まず出席率の良い生徒だろう。仮に出席日数を無くしたとしたら、代わりとなり得るものは次は部活動、生徒会、委員会活動などが挙げられるが、不登校生徒は勿論これらに該当しない。そうなると出席日数欄を無くした時に得をする生徒は積極的に上記に挙げた活動を行っていた者、損をするのは勉学には秀でてないが、めげずに真面目に学校に通い続けた者。やる意味ある?(moc********)
全日制高校の教員です。欠席日数の記載を廃止する方針とのことですが、反対です。記事にもあるように、様々な理由で不登校になる子どもはいます。その反面、怠学もいます。正直、中3の段階で不登校になっている場合、高校に入って改善されるケースは少ないです。(ぱこぴ)
不登校等に対して、あまり詳しくないので申し訳ないが・・出席日数が少ない原因はいろいろあるだろう。受け入れ側の学校が、例えばそこに書かれている理由(日数より理由の方が重要では)に対応するために何か必要なのであれば、あらかじめの準備が必要だろうし、問題なく受け入れられるならそれもいいだろう。いずれにせよ、受け入れ側からすれば、必要な情報なのではないだろうか。(nob)
なるほど。「不登校」の理由はいろいろなどと「不登校の専門家」たちは言うが、その理由が説明できることが現実の進学に際しては求められる。結局、聞かれるから答えなければいけない。
そこで、気になるのは次の実例である。
中3の時のクラスメイトにやんちゃな男子がいた。髪を染めてピアスを着用し、校則を守らず、不良グループとつるんでいたけど、彼自身はいじめや犯罪をせず、性格は良くて好かれていた。彼は学校は好きな時に手ぶらでしか来ず、登校してもいつのまにか帰る。彼は地元の偏差値の低い私立高校(公立の滑り止め)の面接の際、「なぜこんなに遅刻と欠席が多いんですか?」と聞かれて、「朝起きられなくて…」と答えたそう。「高校じゃそれだと困る。どうするんですか?」とさらに聞かれ「目覚ましをセットする」などと説明したそうだが、落ちたという。その高校は不登校向けのコースもあり、他コースも名前を書けば受かると言われていたので、落ちることに衝撃だった。ただ、彼の場合、病気やいじめの事情はなく、本当に好き勝手に学校に来ていたので自業自得ではあった。長期欠席の場合、ちゃんと事情を書くはずなので出欠日数欄は無くす必要ないと思う。(ndk********)
やはり実例に即して考えなきゃいけないと思う。もちろん登校拒否と不登校との違いというような「理論」も重要である。そうしないと言葉に振り回される。と同時に、いわゆる教育実践として教員の実践を挙げるのではなく、私はこのような実例をこそ「実践」として挙げたいと思う。髪を染めてピアスをして不良グループに入っていたけど「性格は良くて好かれていた」というからじつに愛すべき少年だ。その彼が「公立の滑り止め」に落ちた。「好きな時に手ぶらでしか来ず、登校してもいつのまにか帰る」なんて風来坊じゃないですか。きっとギターを片手に港町でも歩いていたのでしょう。このような例が「不登校」の影にある。「不登校」という概念は「怠学」「不良」という概念とは意図的に区別されて形成された概念だ。サボってるわけではないという含意があると同時に素行不良とも違うという意味合いがある。けれども、どう違うのか?
紙幅の都合から、この問題についてはまた改めて書くことにする。
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藤井良彦(市民記者)
1984年生。文学博士。中学不就学・通信高卒。学校哲学専攻。 著書に『メンデルスゾーンの形而上学:また一つの哲学史』(2017年)『不登校とは何であったか?:心因性登校拒否、その社会病理化の論理』(2017年)『戦後教育闘争史:法の精神と主体の意識』(2021年)『盟休入りした子どもたち:学校ヲ休ミニスル』 (2022年)『治安維持法下のマルクス主義』(2025年)など。共著に『在野学の冒険:知と経験の織りなす想像力の空間へ』(2016年)がある。 ISFの市民記者でもある。


















