登校拒否新聞29号:読み書き
社会・経済『毎日新聞』の記事「不登校=勉強しなくていい、は違う 生きる力を得る「読み書き」とは」は8月23日付。記者は西本紗保美。
夏休み明けは子どもの不登校が増える傾向にある。「学校嫌いという感覚はまっとう」気鋭の詩人で芥川賞候補作家の向坂くじらさん(31)は自身の不登校経験を踏まえそう話す一方、「勉強なんかしなくても生きていける」という考え方には懐疑的だ。生きる力を得るための学びの方法を聞いた。
――埼玉県桶川市で国語専門の塾を開き、不登校の子どもと関わっているそうですね。
かつて私も、学校が好きになれない子どもでした。学校の人間関係や先生になじめず、そこで推奨されている勉強にやる気が起きませんでした。だからといって、その違和感を表明する手段が「勉強しないこと」になってしまっていたのが良くなかったと反省しています。高校2年生のころが反抗のピークで、周囲であったいじめと、それに対する学校や先生の対応への不信感が原因で、夏休み明けから登校拒否をして、その後は保健室に通っているような状態でした。
https://mainichi.jp/articles/20250822/k00/00m/040/082000c
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記者は「不登校経験」「学び」という言葉を使っているが、彼女の返答には「登校拒否」「勉強」とある。このコントラストがおもしろい。おそらく本人は「登校拒否」「勉強」で通している。それを記者が「不登校経験」「学び」という言説に回収している。メディアが曲げて伝えているわけである。それをどうこう言うつもりはない。そういう仕方で記事にしなくては新聞社としても取り上げることができないのだろう。
「不登校」は概念である。そして、その言葉の用法は言説とも言うべき思想の空間をつくり出す。私はそこに取り込まれたくない。
彼女は作家だという。であるから言葉の感覚が強いはずだ。哲学者の言語感覚と同じくらい、いやそれよりも表現力がある分、言葉の意味合いにはセンシティブなはずだ。作家が「登校拒否」「勉強」と言っているのだ。それを「不登校経験」「学び」と言い換えるのでは、作家にインタビューする意味がないではないか。
「学校嫌い」というのも古い言い方だ。文部省としても、かつては「学校ぎらい」という項目を欠席の理由として認めていた。これにはdislike schoolだったか英語の原語があるという指摘もある。小児科医でアスペルガー症候群などの先駆的な研究者として知られる平井信義にも『学校嫌い』という本がある。戦後は家庭が貧しくて、街頭で花を売っているとか、リアカーを引いて農産物を売っている子どもがいた。そういった子が欠席するのは家庭的、経済的な理由とされた。農繁期に子どもが学校を休むこともある。水産業や、地域によってはゴム草履の工場で働いてるとか、そういう欠席例も多かった。しかし病気でもないのに学校を休んでいる子がいれば学校が嫌いなのだ。
登校拒否という言葉については戦前に用例があることを私は論文で公表している。戦後になってからも教育労働運動の文脈で同盟休校と同じ意味で使われてきた経緯がある。それが心因性登校拒否という仕方で精神科医によって使われた。この場合はschool refusalというような言い回しの訳語である。つまりアメリカの児童精神医学の用語の訳語だ。ただ、その訳語そのものは労働運動の用語を転用したものというのが私の説だ。何度か論文や本に書いているので、詳しいことはそちらを参照してもらいたい。登校拒否新聞としても一度はきちんと書いておきたいことだが、なかなか機会がない。
そこで、学校嫌いと登校拒否は出自を異にする概念だ。どちらも上に述べたような歴史がある。概念の歴史を概念史という。私の専門は思想史だから、まずは概念史という観点から問題について考えてみるわけである。登校拒否では拒否してるようだ、ということをよく聞く。でも本当は学校に行きたいんだよね、と勝手な理解を持ち出す。「不登校の専門家」などがよくそういうことを言う。「不登校」のほうが「価値中立的」と言った精神科医もいた。けれども言葉の意味を字面だけで推し量るのは短絡的だ。亡くなってしまったが高垣忠一郎という心理学者が登校拒否を用語として使い続け「不登校」は使わずに通していたのも理由がある。
この作家の例にあるように「学校や先生の対応への不信感」というのが今も昔も変わらず登校拒否のいちばん多い原因だ。学校教育そのものではないのである。私が通信高校で知り合った友人の例では髪を脱色して教員ともめたことが学校に行かなくなった原因だった。だから塾には通っていたし無試験の通信課程とはいえ勉強ができるほうだった。しかし女癖が悪くてホテル通いするものだから自由の森学園に転校させられた。そういう奴を全寮制に入れていいものかと考えたものである。元気にしてるかしら?
私個人としては登校拒否という言葉にこだわる理由は概念的な理由の他に、やはり義務教育であるから長期にわたり欠席することは義務教育の拒否という意味が必然的に入るという見方をしているからだ。義務でなく権利という俗説を私は支持しない。教育を受ける権利とは「学校教育を受ける権利」である。その権利を保障するための義務が市町村と養育者には課せられている。つまり市町村は学校を建設し教職員を雇い、養育者は子どもを学校に就学させる義務がある。その学校に行かないことは権利の保障を受けられないということだ。体育館や運動場を使っての部活動などからも外される。広い意味での教育を受ける機会を失う。その外部で「多様な学び」を言うのは言葉の綾だ。「多様な学び」を受けたければ学校に行くべきである。しかし、理由は何であれ行けないのであれば仕方がない。自分で勉強するしかない。そこに実質的に拒否しているという学校に行かないことの実態を見据えている。であるから私は登校拒否という言葉を使う。
この作家さんは高校生の時の保健室登校であるから登校拒否とは言い難い。ただ、無償化の動きが進むなど、高校も実質的に義務教育となりつつあるし、また実態としてそうと言えるだろう。やはりそこに通わないことが拒否するという意味を必然的に帯びる。そういう意味で本人も登校拒否を言っているのだろう。おそらく「不登校経験」と本人は言わないのではないか、と思う。
「読み書き」が生きる力を与えるというのは夜間中学校の創設者として有名な髙野雅夫が主張していたことだ。7月26日に85才で亡くなった。
満洲から命からがら逃れてきた。親の名前もわからず、タカノマサオという自分の名前しかわからなかった。引き揚げてきた先の博多で浮浪児となった。バタヤのおじさんが彼の名前を漢字で書いてくれた。その時、「髙」と旧字体を使ったことから、彼はこの字を使い続けた。東京の夜間中学校に学び、大阪の夜間中学校の創設に尽力した。
今、教育行政は夜間中学校に力を入れている。「不登校」により読み書き計算に難を残す人が「学び直す」のだという。そんな人をバカにした話があるか。子どもには「多様な学び」を押しつけておいて、蓋を開けてみて、基本的な読み書きもできないから大人になってからでも遅くはない。夜間中学で学び直しましょう、と言う。
義務教育で学ぶ漢字は3000字。小学校で1000字、中学校で2000字ある。私は中学校の漢字はすべて自分で勉強した。毎日、二文字の熟語にして紙に何度も書いた。学校に行かないのであれば、それくらいしなさいと言う教育者がいない。休息の必要性と言い、勉強などもっての外と「学び」という得体の知れない言葉を振り廻す。学校で学べないのだから最低限の勉強をするしかない。そうやって身につけた学力があるならば、「不登校」などという言葉に抵抗を感じないはずはないと思うのだ。専門家が何と言おうと、むしろ学校嫌いや登校拒否に親和性を抱くだろう。
今回、紹介した新聞記事は「登校拒否」「勉強」を「不登校」「学び」と捻じ曲げて報じていた。登校拒否新聞としては、そのような言説のあり方に抵抗していく。
髙野さんは奪われた言葉を取り返すと言っていた。人から言葉を奪うようなことがあってはならないのである。
戦後は国語教育審議会が書き順を統一したこともあって、漢字の学習も平板化された。あなたは「必」の書き順が三通りあることを知っているだろうか?先に「心」を書くのはダメですよ。現代仮名遣いにしても言葉を著しく乏しいものにした。その上、GHQの言論統制により多くの言葉が消えた。先に教育運動と言ったが、これもじつは教育闘争を言い換えたものである。闘争が禁止されたから運動にしたのである。GHQの言論統制は徹底していて、戦前であれば××と伏字にしておれば良かったものも別な言葉に言い換えることが強制された。だから戦前と戦後では言葉の上での断絶がある。私が『戦後教育闘争史』という題の本を書いているのは、そうした理由からだ。『教育運動史』などという本を書いて疑問に思わない教育学者が「不登校」という言葉に抵抗を感じないのは当然だ。「勤評闘争」「学テ闘争」など、すべて闘争であった理由がある。また、それが「斗争」としばしば書かれたのもたんに略字を用いたというわけではないと私は考えている。なお、『戦後教育闘争史』は引用文の旧字体、旧仮名遣いをすべて残してある。これは大学で授業をすることを想定してそうしたのである。旧字体が読めなければ戦後に書かれたものであっても読めないものが多くある。自分の力で読めなければ自分の頭で考えることができない。
そう言えば、この本は最近になって放送大学の附属図書館の蔵書となった。読者が学生か研究者として研究機関に所属しているならば図書館で購入リクエストをしてほしい。受教育権のことや髙野さんの夜間中学創設運動についてもこの本に書いてある。登校拒否新聞はこれからも無料です。だから本は買ってください。
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藤井良彦(市民記者)
1984年生。文学博士。中学不就学・通信高卒。学校哲学専攻。 著書に『メンデルスゾーンの形而上学:また一つの哲学史』(2017年)『不登校とは何であったか?:心因性登校拒否、その社会病理化の論理』(2017年)『戦後教育闘争史:法の精神と主体の意識』(2021年)『盟休入りした子どもたち:学校ヲ休ミニスル』 (2022年)『治安維持法下のマルクス主義』(2025年)など。共著に『在野学の冒険:知と経験の織りなす想像力の空間へ』(2016年)がある。 ISFの市民記者でもある。


















