馬毛島への米軍FCLP移転反対、馬毛島自衛隊基地建設反対運動の今
安保・基地問題*はじめに
馬毛島への米空母艦載機陸上離着陸訓練(FCLP)移転、このための自衛隊馬毛島基地建設に反対する運動は、今、重要な局面を迎えている。あと1ヶ月少々の内に、自衛隊基地建設が、本格的に動き始めるかもしれない。
この8月にも、従来反対の立場であった八板俊輔西之表市長が、基地建設容認という判断を示すのではないかという観測が流れている。そうなれば、政府と防衛省は「地元の理解を得た」として、建設工事を加速させると思われる。
反対する立場からすると、まずは八板市長の「容認」発言をなんとか阻止しなければならない。しかし、この原稿を執筆している7月31日時点では、反対派全体のまとまった運動が行われていない。反対運動の経過と現状をお知らせしたい。
*馬毛島とFCLP反対運動の歴史
1951年 農業開拓団⼊植
1975年 平和相互銀⾏がほぼ全島を買収
1980年 無⼈島にレジャー施設建設構想→失敗、⽯油備蓄基地構想→失敗
1995年 タストンエアポート社が、さらに⼟地の買収を進めた。
⽇本版スペースシャトル着陸場構想→失敗
使⽤済み核燃料中間貯蔵施設構想→失敗
国際貨物空港ハブ構想
→このために違法乱開発を⾏い、2本の滑⾛路を途中まで造成したが、⾯積不⾜等で失敗
2007年 米軍FCLP移転の候補地として初めて報道される
2009年 普天間⾶⾏場の代替施設構想
2010年 ⾃衛隊基地構想
2011年 ⽇⽶安全保障協議委員会(2+2)で米軍FCLP移転の候補地と明記。
2011年 第1次「⾺⽑島への⽶軍施設に反対する市⺠団体連絡会」発⾜。行政と市民が一体となって、圧倒的な反対運動を行った。前記のように、馬毛島は法的に問題だらけの土地であり、防衛官僚もその取得には慎重であるとみられていた。
2017年3月 八板俊輔氏がFCLP反対を唱えて市長に当選。当選直後より反対と言わなくなった。
2019年4⽉ ⽇⽶安全保障協議委員会(2+2)で、「早期の恒久的な施設整備」と明記。ここで、情勢が急展開した。反対勢力は、組織再編をせまられた。
2019年11⽉29⽇ 防衛省がタストンエアポート社から⾺⽑島の6割を購⼊とのニュース
2019年11⽉30⽇ 第2次「⾺⽑島への⽶軍施設に反対する市⺠・団体連絡会」再結成
2020年10月 八板俊輔市長が「基地建設に同意できない」と表明
2020年12月 馬毛島連絡会が八板市長と政策協定締結
2021年1月 市長選で八板氏が僅差で当選
2021年2月 馬毛島基地建設計画環境アセスメント方法書発表
2022年2月 八板市長が防衛省に要望書を提出
2021年12月 馬毛島沖海上ボーリング調査強行
2022年4月 馬毛島基地建設計画環境アセスメント準備書発表
2022年7月1日 基地管理用道路建設工事開始
2022年7月22日 八板市長が防衛省に2回目の要望書を提出
2022年8月 馬毛島葉山港浚渫工事開始予定
*反対運動の経過、市長との関係を軸に
当初、馬毛島への米軍FCLP移転反対運動は、市役所と市民による官民一体の運動として進んだ。2017年1月、市長として反対運動をリードしてきた長野広美氏が退任。市長選は混戦となり、2回目の投票で八板俊輔氏に決着した。
八板氏は、1回目の投票時にはFCLP反対を公約しなかったが、2回目の投票の時には、はっきりと反対を公約した。
しかし、当選したその日から反対という言葉を封印した。2期目の選挙が近づいた2020年10月、「反対」ではなく、「同意出来ない」と言い始め、このことを2期目の選挙に向けた公約とした。
馬毛島連絡会は、八板俊輔氏と政策協定を結び、支持した。政策協定には「当選後もこの立場を変えることは無い」という字句が存在した。市長選では、八板氏が僅差で勝利した。
22年2月3日までは、市長の発言がぶれることは無かった。
2月3日、市長は、防衛省に「交付金、隊員宿舎建設に多大の配慮を」と求める要望書を提出した。彼は、これ以降「同意出来ない」という言葉を封印した。
この八板氏の要望書提出のあと、反対派は大混乱に陥いった。反対運動の中心であった馬毛島連絡会は、内部での議論がまとまらず、外部には何も発信出来ない状態となった。
3月29日、八板市長は、密かに馬毛島葉山港内外の浚渫工事を認めた。4月半ばになり、新聞報道で市民の知るところとなった。
5月末、馬毛島連絡会の三宅公人会長が辞任。馬毛島情報局を立ち上げ、市長批判を開始した。
6月末(正確な日付は未発表)に、八板市長は、海底ケーブル敷設工事に賛成の意見書を出した。
7月8日、馬毛島情報局は馬毛島連絡会役員会に「市長に公約遵守を求める」署名運動を提案したが、役員の一部に消極論があり実施の決定には至らなかった
7月22日、八板市長は、防衛省に「自衛隊馬毛島基地(仮称)が設置された場合、市民の不安の解消と期待に応えるための措置を積極的に講じるよう、以下 に掲げる確認事項への真摯な対応を求めます。」という21項目の要望書を提出した。
7月25日、馬毛島情報局は八板市長に辞任を求める公開要求書を提出した。
*今後の展望
「たった一人の反乱」を始めて2ヶ月、応援団は増えてきているが、やはり力が足りない。あと1ヶ月でどこまで広げられるか分からない状態である。なんとか、古巣の馬毛島連絡会にも、一緒に行動して欲しいと考えている。
市内で市長批判が高まり、八板市長に「このままでは、自分の立場が危うくなる」と感じさせ、基地建設容認表明を当面思いとどまらせるということが、当面の目標である。
※ご支援のお願いのチラシ作成しました。ダウンロードはこちらまで。
1952年鹿児島県西之表市に生まれる、1971年鹿児島ラサール高校卒業、1973年東京大学教養学部中退、1979年山形大学医学部卒業、2013年山形市至誠堂総合病院退職、2016年 鹿児島大学医学部臨床教授、2016年鹿児島県屋久島町立栗生診療所退職、2019年11月馬毛島への米軍施設に反対する市民・団体連絡会会長就任、2022年5月馬毛島への米軍施設に反対する市民・団体連絡会会長退任、現在 鹿児島県種子島公立病院勤務(非常勤)、馬毛島情報局主宰。