【連載】データの隠ぺい、映像に魂を奪われた法廷の人々(梶山天)

第41回 初動捜査の崩壊

梶山天

人々の生命と安全な暮らしを守るために日夜、法の遵守のもとに活動する全国の警察官たち。しかし、今市事件捜査から見えてきたものは、捜査に携わった栃木県警の警察官たちに法を守る意識が欠けているということだ。

事件が発生した2005年12月から、これまでの捜査側の動きを内部文書や写真、図などから分析し、ISF独立言論フォーラムのホームページで、連載「絶望裁判 今市事件」で報道してきた。何が何でも事件は解決ありき。その捜査姿勢は、恐ろしいことに「手段を選ばず」の人権侵害も甚だしいものであった。

前回も指摘したが、被害女児の検視の際に頭部から見つかった布製の粘着テープの存在を、解剖する担当医に報告せずに勝手に栃木県警に持ち帰り、都合のいいように鑑定結果を捻じ曲げた。

結論から明かせば、検出されていた犯人とみられる女性のDNA型を隠ぺい、逮捕した勝又拓哉受刑者のDNA型は全く検出されなかったのである(無罪証拠)。

にもかかわらず、一審で検察は、検出されたのは被害女児とDNA型鑑定をした栃木県警科捜研の男性技官2人の汚染で犯人追及は不可能と偽証した。つまり、勝又拓哉受刑者の無罪証拠には触れなかったのである。

さらにDNA型鑑定においては、類まれなる鑑定能力を持ちかつて捜査側の人間から「困ったときの本田頼み」とまで言われた筑波大核法医学教室の本田克也元教授は、一連の今市事件捜査をこう分析する。

「解剖医を全く無視した直感頼みの捜査をする警察は初めてだ。どうやって犯人像をつかむのだろうか、不思議だ。一言で表現するなら捜査は初動から崩壊している。それを起訴する検察も検察だ。解剖の説明も受けずに、自分たちの見聞きしたもので、犯人像をかってに描いている。猪突猛進で犯人を捕まえてみれば、解剖と全く違う。こんなとんでもない捜査だ。しかも本来なら途中で犯人が違うと気づいたのなら一旦立ち止まり、捜査を見直するならいいが、今度は裁判所を騙すことに集中する。その数々は全て違法だよ。警察官としてのプライドもない。

栃木では隣の群馬と県境を中心に未解決事件が多い。1979年8月に栃木県足利市の福島万弥ちゃん(当時5歳)が殺害されたのを機に足利事件を挟んで、96年7月に行方不明のままの群馬県太田市で行方不明になった横山ゆかりちゃん(同4歳)までの5事件が未解決のままで、同一犯の可能性が高いとみられている。

すでに横山ゆかりちゃんを除く4事件は時効になっており、足利事件はまさに冤罪で連続事件の犯人逮捕の芽を摘んだと悪評が立つほどだ。おそらく以前から解剖医とも信頼関係はないんじゃないかな。将来に向けては、警視庁など大きなところで捜査の基本を学んだ方がいい」。

1979年から96年の間に栃木と群馬の県境で「冤罪足利事件」をはじめ5件の未解決の殺人事件、行方不明事件が発生している。そのうち、最後の横山ゆかりちゃん行方不明事件を除くと4件の殺人事件はすでに時効が成立している。2011年3月に当時の中野寛成(かんせい)・国家公安委員長は、参議院予算委員会で有田芳生参院議員(民主党)からの一連の事件について質問され、「一般的には同一犯による犯行の可能性が否定できないものというふうに警察としても認識しております」と述べた。大きな事件では未解決が多く、冤罪も繰り返す栃木県警の捜査は、基本から見直す必要が迫られている。

 

ここで今市事件の初動捜査の中身を振り返る。被害女児はあの日、一緒に下校した同級生3人と分かれ1人になったときに何者かにさらわれ、そこから約60㌔離れた茨城県常陸大宮市内の山林で全裸の遺体となって見つかった。警察は遺体があるという通報を受けて臨場し、現場保存を行い、犯人の手がかりになるような証拠物の発見などを行うとともに被害者の身元確認を急ぐ。

遺体は通常、警察署内での検視後に法医学者による解剖が行われる。遺体発見現場が茨城県内であったため、茨城県警を通じて栃木・茨城両県警の捜査本部から本田元教授が司法解剖の嘱託を受けた。

Anatomy dissection of a cadaver showing adductor canal using scalpel scissors and forceps cutting skin flap revealing important structures arteries veins nerves

 

法医学者は、死因の特定だけでなく、使われた凶器、死亡推定時刻、殺害の動機、犯人の男女の見極めなど捜査の基本である犯人像を絞るプロフェッショナルだと表現しても過言ではない。解剖にあたった法医学者の説明を受けるのは、初動捜査の基本中の基本だ。

ところがだ。本田元教授は鑑定書をとっくに捜査本部に届けていたにもかかわらず、栃木県警の捜査員ら3人が元教授のもとに初めて足を運んだのは、なんと解剖から8年半後の14年6月20日ごろだった。

その十数日前に栃木県警の阿部暢夫刑事部長が捜査本部がある今市署で報道陣を前に「慎重かつ粘り強い捜査を継続し、本日、逮捕するに至ったものです」と勝又拓哉容疑者の殺人容疑での逮捕を発表していた。犯人を逮捕してから詳しい解剖の説明を受ける警察がどこにあるのか。本田元教授があきれるのも無理はない。

しかも捜査員が元教授に尋ねたのは、①殺害現場は死体遺棄現場でいいのか、②解剖所見と胃内容物には矛盾がない国内を代表するのか、③被害女児に性的な暴行を受けた痕跡はなかったのか、だった。警察、検察の取り調べで作成された供述内容が解剖結果と全く合わなくなるからだ。その内容はこうだ。

勝又受刑者は、かねてから幼女に性的興味を抱いていた。幼女を拉致してわいせつ行為に及ぼうと考え、自分の車を運転。05年12月1日午後2時38分ごろから同3時までの間に、同県旧今市市(現日光市)内の大沢小付近の路上を1人で下校中の被害女児を無理やり抱きかかえて車に乗せ、同県鹿沼市内の自宅に連れ込み、全裸にしてわいせつ行為などを行うなどした。

2日未明に被害女児を車に乗せ、茨木県常陸大宮市三美の山林に連れて行った。勝又受刑者は、自分が行った拉致やわいせつ行為の発覚を恐れて、同日午前4時ごろ山林西側林道で殺意を持って女児の胸をナイフで多数回突き刺し、心臓を損傷させて失血死させ、すぐにそばの山林に捨てた。捜査当局側は、いわゆるわいせつ行為の発覚を恐れた犯行とみなしていた。

しかし、本田元教授の解剖では、供述調書とことごとく違った。だから捜査員のいかなる質問にも「絶対にありえない」と否定した。要するに捜査員の訪問は説明を受けに来たのではなく、元教授の解剖所見を勝又受刑者の供述と矛盾しないように解釈してもらえないものか、と口説きに来たのである。

「栃木県警はいつもこうなのか………」。法医学者の魂をも傷つける行為に怒りで体中が震え上がった。検察は元教授に解剖結果が全く違うことを法廷で証言されることを拒もうと画策したが失敗に終わった。それで被害女児の解剖を行っていない法医学者を出廷させて被告の供述は解剖結果と矛盾しないなどと証言させた。

本田元教授によると、今市事件の被害女児の解剖でまず気づいたことは、女児の下半身には全くといっていいほど、傷がなかった。性的いたずらがあれば、下半身に抑えた痕(あと)が残る。

そのほかにも、手で触ったひっかき傷とか、極端の場合には唾液や精液などの体液の付着があるはずであるが、被害女児の場合には一切なく、膣内にもきれいだった。供述調書にあるそのいたずらが犯行の動機ではないことは明らかだ。

むしろ幼い子供の胸を10回も刺す行為は猟奇的とも言える。元教授は被害女児が殺害される時にできる犯人に抵抗する痕がないことから、犯行は愛情の裏返しのようにも思え、顔見知りの犯行ではないかと思ったという。

さらに遺体には奇妙な点があった。それは全身の筋肉が固くなる現象である死後硬直の有り様だった。この現象は死後2時間ぐらいから現れ、6時間くらいで固定化し、6時間から12時間までの死体の体位を表現していることになる。だから仰向けに寝かせていれば、死後硬直は自然な形でできあがる。

被害女児の遺体は、木が生い茂るやや急な斜面を、約10㍍近く降りたところに遺棄されていた。死亡直後は、筋肉は全く脱力した状態になり、ぐにゃぐにゃになるから斜面に沿って自然な形になるはずだ。

Team of experienced inspectors and photographers investigating murder and dead body in the woods. They using modern forensics techniques to collect evidences and traces.

 

ところが女児の場合は、背中が浮き上がり、右肩が上がった形の斜め向きで、上肢が左側に垂れ下がり、首がかしげるように下肢は膝関節が斜めに重なるように窮屈な形をしていた。まるで窮屈な空間に押し込められたかのような形状に死後硬直が起きていたのである。その見立て通り、後に室内の横幅が余り大きくない車の後部座席に左側臥位で寝ている形であることが分かった。

さらに被害女児の胃の内容物がお昼の給食であることを考えると、女児は殺害された後、車の後部座席に乗せられ、数時間かけて運ぶ途中で死体硬直が起きて遺体発見現場に捨てられたとみられる。早い段階で殺害されているのだ。元教授の説明では、遺体発見現場までの移動距離や時間から推定すると、旧今市市(現日光市)内で殺害された可能性が極めて高いという。

それだけではない。元教授は解剖をする前に現場保存などを行った茨城県警捜査幹部から被害女児の足の裏が土一つつかずにきれいな足の裏だったことの報告を受けていた。遺棄現場で裸にして刃物で何回も刺して失血死しているのに裸足の足の裏がきれいなのはあり得ない。必ず土か自分の体から吹き出す血液などが付着しているはずである。それがないのは、殺害現場が違う証拠だ。

もう一つ付け加えると、遺棄現場が殺害現場であるならば、被害女児が胸を10回刺されておりながら、現場付近に血だまりや血しぶきの痕が全くないのも不自然だ。

それを裏付けるように遺体発見現場に最初に臨場した茨城県警の鑑識捜査では、斜度が30度ほどの急な道の斜め左方向に下がる方向に血痕が滴下していたが、その量はわずかで、遺体から滴(したた)り落ちた血であったという。これは遺棄現場で遺体を犯人が抱えて降りたことを示す証拠であると、本田元教授は言う。

犯人として逮捕された勝又受刑者の供述とは全く違うのである。しかも、この供述が全くの噓だということが控訴審で判明し、東京高裁が促して検察に予備的変更を提出させた。それを高裁が認めたことで、調書の内容が全くの嘘だということが裏付けられた。

 

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梶山天 梶山天

独立言論フォーラム(ISF)副編集長(国内問題担当)。1956年、長崎県五島市生まれ。1978年朝日新聞社入社。西部本社報道センター次長、鹿児島総局長、東京本社特別報道部長代理などを経て2021年に退職。鹿児島総局長時代の「鹿児島県警による03年県議選公職選挙法違反『でっちあげ事件』をめぐるスクープと一連のキャンペーン」で鹿児島総局が2007年11月に石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞などを受賞。著書に『「違法」捜査 志布志事件「でっちあげ」の真実』(角川学芸出版)などがある。

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