ウクライナ戦争を仕掛けたのは誰か?(後)
国際V.ロシアのエネルギーなしには、EU経済は成り立たない。
対ロシア制裁はロシアを苦しめるだけでなく、サプライチェーンを寸断して、西側にインフレを引き起こした。米国のオイルシェールや他の方法で、ロシアエネルギーと代替できない。ブッシュ、バイデン両政権の思い上がりと、それに対するしっぺ返しは明らかではないか。
ⅤI.ロシア革命の、地域を離れた理想国家作り、<ソ連邦=ホモ・ソビエティクス>の失敗と国家として未成熟のロシア3兄弟について
❶ロシア革命の発端を教えてくれたのはオデッサ港(現ウクライナ領)の幅広い船着き場に蝟集するエイゼンシュタイン監督の映画<戦艦ポチョムキン>の水兵たちの姿であり、そのイメージは脳裏に焼き付いている。
❷宇宙船ボストーク6号のコールサインはチャイカ(かもめ)であり、「私はカモメ」は当時の流行語になった。音楽家チャイコフスキーを人々は<ロシアの作曲家と信じて疑わないが、スキーを消したチャイカ(かもめ)の先祖はコサック騎士団の一員であり、チャイコフスキーの家系はウクライナに遡ることが分かる。
もう一つ、❸旧グルジア出身のスターリンの没後、故人を断罪して米ソ平和共存の道を開いたフルシチョフはウクライナ出身の政治家として、旧ソ連のトップまで昇進し、その在任中クリミアをウクライナ領とした(プーチン大統領が 2014 年に併合したのは、元来の<ロシア領に戻した>だけという言い分になる)。
これら三つの例を見ただけでも、ウクライナとロシアの民族兄弟愛憎劇の一端は察しがつく。実は旧ソ連の中心はスラブ民族の長兄ロシア、次兄ウクライナ、三弟ベラルーシの三兄弟関係から成り立っていた。プーチン大統領は2022年3月2日ゴルバチョフの誕生日祝賀演説で、レーニン・スターリン・フルシチョフを罵倒し、ゴルバチョフを手放しで礼賛した。
プーチン大統領がこの3名を批判しゴルバチョフを礼賛するのは、前3者が<ソ連人(すなわちホモ・ソビエティクス)という大義名分で<労働者に祖国はない。万国の労働者は団結せよ>と叫びつつ、ロシア民族の民族的利益を犠牲にしたからだ。ゴルバチョフはこのような<破産した理想主義>を捨てて、ロシア民族の立場に戻る決断、すなわちソ連邦の解体に踏み切ったことで称賛に値するという論理だ。
プーチン大統領がロシア民族主義への回帰を語るとき、彼の脳裏にあるのは、ロシア民族の被害者意識である。英語のslave(奴隷)がスラブ民族(Slave)と同じ語源を持つことは、一言聞いただけで分かる。エカテリナ2世の母語がフランス語であり、エルミタージュ美術館の名がフランス語である事実から、辺境ロシアの位置とそのヨーロッパ・コンプレックスが察せられる(欧化主義者はザパトニキと呼ばれた)。
ヨーロッパに始まる資本主義の限界地に広がる大地こそがロシアの大地であり、レーニンの『ロシアにおける資本主義の発展』は、極東の『日本における資本主義の発達』と対比できるほどに、中心ヨーロッパからはるかに遠い。
大地は繋がっているが、資本主義の市場力の限界が、ロシアや中国の<限界付き市場主義すなわち権威主義的市場経済>の母胎となったと私は見ている。これは換言すれば、資本主義の半発達=植民地支配を辛うじて免れた民族の物語なのだ。
ⅥI. ウクライナ悲劇を描いた映画<赤い闇>と中国人民公社の飢餓構造は酷似している。
ロシア革命におけるウクライナの悲劇で忘れられないのは、第 2 次世界大戦前夜の1932~33年にウクライナでは穀倉地帯であるにもかかわらず、スターリンの農業集団化と穀物輸出強行のために200~300万人が餓死する大飢饉<ホロモドール>が発生し、人肉食の悲劇が演じられた事実だ。
私はたまたま 2019年に、映画『赤い闇、スタ-リンの冷たい大地で』(アグニエシユカ・ホランド監督)を見てこの悲劇を反芻し、大躍進期の中国で、約2000~3000万人の餓死事件が起こった悲劇と対比していた。中国の飢餓もまたウクライナの飢餓に似て、食糧不作の現実を毛沢東や周恩来が知らずに、対ソ借款返済のために人民公社制度を通じて穀物を強行調達したことが一因だ。農業集団化の痛ましい犠牲という文脈で、両国の飢餓の構造は、酷似している。
さてウクライナの悲劇の映像化は、ウクライナのナショナリズムを刺激し、今回の戦争劇の序曲となった感が深い。他方、ウクライナはこのような戦中期の悲劇の見返りとして、米ソ冷戦期(主として50年代)にはソ連軍事工業化国家の一大基地となり、核兵器や空母を生産する工業都市となった。激戦地アゾフスターリ製鉄所とその地下シェルターは、その一例だ。
これは米ソ第3次大戦に備えた核シェルターであり、一夜に1.2万人を収容して、数カ月も生活・戦闘できる設備を備えている(ちなみにキエフの地下鉄は100mの深さで世界一、モスクワの60mをはるかに上回る。これらもむろん核シェルターを兼ねてソ連時代に拡充された)。
さて、ソ連解体後の1991年4月、ウクライナ独立に際して核兵器はロシアに引き渡し、見返りに<中立ウクライナの安全を保障する>ことが当時の内外に対する公約であった。中国は 1994年12月両国政府声明でこれを約束し、中国ウクライナ善隣友好関係の基礎とした。
冷戦が終わりウクライナにとって無用の長物となった空母ワリャークは中国に引き取られ、遼寧号に変身し、これをモデルとして中国の国産空母山東号および福建号が作られたことはよく知られていよう。プーチン大統領が併合したクリミアはウクライナ共和国の領土であった当時も、高度な自治権をもつ<国家内国家>であった。
1954年ウクライナ出身のフルシチョフは、クリミアを<ウクライナの一部>と宣言したが、人口の過半を占めるロシア人はこれに納得しなかった。2014年3月クリミア共和国における住民投票が多数だとしてプーチン大統領はロシア領に併合した。ロシア海軍にとって地中海に出る不凍港としてクリミア基地が地政学的に重要であること、また日本の敗戦処理を決めたヤルタ会談の保養地としてもクリミア半島は記憶に残る。
1938年生まれ。東大経済学部卒業。在学中、駒場寮総代会議長を務め、ブントには中国革命の評価をめぐる対立から参加しなかったものの、西部邁らは親友。安保闘争で亡くなった樺美智子とその盟友林紘義とは終生不即不離の関係を保つ。東洋経済新報記者、アジア経済研究所研究員、横浜市大教授などを歴任。著書に『文化大革命』、『毛沢東と周恩来』(以上、講談社現代新書)、『鄧小平』(講談社学術文庫)など。著作選『チャイナウオッチ(全5巻)』を年内に刊行予定。