(上)鹿児島の質店にあった指紋
メディア批評&事件検証1972年5月30日、世界を震撼させたイスラエル・テルアビブのロッド空港(現ベングリオン空港)乱射事件が発生した。犯行に及んだのは、未だ国際手配中の岡本公三容疑者(74)ら日本赤軍メンバーの3人で、約100人の旅行客が死傷(うちか26人が死亡)した。襲撃メンバーの赤軍派幹部で奥平剛士容疑者(当時27歳)は射殺され、京大生の安田安之容疑者(同25歳)は自爆し、岡本容疑者だけが生き残った。
事件から半世紀という節目の今年5月30日。レバノンの首都ベイルートにあるパレスチナ人墓地では、50年の記念集会が開かれ、白髪姿の岡本容疑者が支援者に付き添われて出席。死亡した仲間の墓に花をたむける姿が映像で流れた。岡本容疑者は、取材に足を運んだ報道陣に乱射事件については何も語らなかったという。
日本国内では、翌日の31日、在日イスラエル大使が、ツィッター上にこう投稿していた。「1972年にロッド空港で発生した乱射事件から50年を記念する集会に参加した岡本公三容疑者、および先週末出所した重信房子最高幹部が温かく迎えられる姿を見て愕然としました」。
1972年という年は、世界にとっても、日本にとっても「激動」という言葉がよく似合う1年だったと、ISF独立言論フォーラム副編集長の梶山天は回想する。デュオのトワ・エ・モアの「虹と雪のバラード」が胸に響き渡った2月の札幌冬季五輪。ノルディックスキー70㍍級ジャンプで、笠谷幸生選手が金メダル。ひときわ日本列島が沸いて、大きなニュースが始まった。
その感動もつかの間、同月中旬からは連合赤軍の5人が河合楽器保養所の管理人の妻を人質に立てこもったあさま山荘事件が発生。3月から4月にかけて沖縄返還協定、いわゆる「密約」をめぐり、外務省の女性事務官から機密公電を違法に入手したとして毎日新聞政治部の西山太吉記者が逮捕された西山事件、5月は沖縄返還とテルアビブ・ロッド空港乱射事件、7月は田中角栄首相就任、9月には日中国交回復とビッグニュースに事欠かなかった。
私が故郷の長崎県五島列島の中学3年生から高校に進学した時で、亡き父と固唾を吞んでテレビから流れるあさま山荘事件で機動隊が突入したニュース見守った思い出が昨日のことのように蘇ってくる。
その1年のなかでも私と知人であり、ジャーナリストとして先輩でもある鳥越俊太郎さんは、ロッド空港乱射事件で生き残った岡本公三容疑者をキーワードとして、あさま山荘事件とロッド空港乱射事件を追いかけた記者でもあるのだ。
岡本容疑者は、事件後イスラエルで終身刑が確定して服役した。1985年5月にイスラエルとパレスチナ解放人民戦線総司令部派(PFLPーGC)との捕虜交換によって釈放され、リビア、シリアを経由して日本赤軍が本拠地としていたレバノンに戻り合流した。レバノン最初で唯一の政治亡命者として生活を送っているという。
岡本容疑者は、熊本県葦北郡芦北町出身で、68年に鹿児島大学農学部に入学した。父が小学校校長だった。3人兄弟の末っ子で、日航機よど号ハイジャック事件グループのメンバーで、北朝鮮に亡命した兄の武容疑者は、北朝鮮の発表によると88年に死亡したという。
かれこれ30余年前になるのだが、私は朝日新聞記者時代に鹿児島市内最大の歓楽街、天文館を舞台にした連載「天文館有情」の取材の過程で偶然にもテルアビブ乱射事件前の岡本容疑者の足跡を知ることになる。
それは昭和天皇が崩御して、元号が平成に変わって1カ月後の1989年2月のことだった。連載は、夜になると一段と賑やかになる天文館で働く人々の暮らしや悲哀を綴っていくもので、なぜか取材場所にホテルや薬局、パチンコ店などが連なる路地裏の吉井質店を選んだ。ここに足を運ぶ人たちが、どんな人たちで、どのような理由で、何を質入れしたのか。世相を映し出しているのではないか、という思いがあった。取材をしてみると、想像以上のニュースに巡り合った。
この質店は、私が取材した店主である故吉井淳一さん(当時70歳)の父親が終戦から3年後に開いた店を1953年から淳一さんが守っていた。笑顔が似合う人で、世間話をしながら互いに打ち解けて、取材の目的を説明すると、急に興奮した。台帳を出してきて、岡本容疑者のことを熱っぽく喋り出した。私は夢中でノートにメモを取った。
岡本容疑者がこの店の来たのは「昭和四十六年四月二十二日」と台帳に吉井さんの手書きで記されてあった。イスラエル・テルアビブのロット空港乱射事件の1年余前のことだ。吉井さんはその時のことをこう話してくれた。
その夜、夜間営業用の裏木戸を開けた直後だった。白のワイシャツに黒っぽいズボンの若い男が来た。その身なりから「鹿大生」だなと直感した。物静かなその若い男の入質品は、トランジスタラジオ。鹿児島大学農学部在籍の学生証が添えられ、氏名は「岡本公三」とあった。終始、無口だった。「昭和二十二年十二月七日生まれ」。台帳に転記しながら「長男と同じ年か」と思ったのを覚えている。
彼の雰囲気がそうさせたのか、親心に似た気持ちになり、「苦労してるんやね」と声をかけて1000円渡した。相場よりやや高くしてやった。いつもなら相手から「もっと貸してよ」と言われても断るが、何故か気になってね。
利息を含めて1270円を岡本容疑者が返したのは、2カ月後。返済予定よりlカ月早かった。当時、吉井さんの店の客は1日20人。その3割が鹿児島大生だったという。
それから約1年後。テレビのどのチャンネルを変えてもテルアビブの乱射事件の映像が流れた。犯行は日本人だとして2人は死亡して生き残った一人の顔が画面に現れて驚いた。吉井さんは、あの時の鹿児島大生だと思ったという。
吉井質店では、入質者名のほかに台帳の隅に証明用として印鑑や指紋を押させていた。乱射事件から16年余り経つというのに岡本容疑者の指紋がこの質店に秘かに誰の目にも触れないまま保管されていたのだからたまらない。
写真を撮らせてもらった。別れ際に吉井さんがつぶやいた一言が忘れられない。「あの1000円。いったい何に使ったのでしようか。今でも気になっています」。その指紋の写真を私は名前を伏せて、天文館の占い師に見せた。すると占い師は、その指紋は「左向きとぐろ」。「溺れこみやすいタイプ」とみた。
◎「ロッド空港乱射事件から50年(下)」は9月21日に掲載します。
※ご支援のお願いのチラシ作成しました。ダウンロードはこちらまで。
独立言論フォーラム(ISF)副編集長(国内問題担当)。1956年、長崎県五島市生まれ。1978年朝日新聞社入社。西部本社報道センター次長、鹿児島総局長、東京本社特別報道部長代理などを経て2021年に退職。鹿児島総局長時代の「鹿児島県警による03年県議選公職選挙法違反『でっちあげ事件』をめぐるスクープと一連のキャンペーン」で鹿児島総局が2007年11月に石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞などを受賞。著書に『「違法」捜査 志布志事件「でっちあげ」の真実』(角川学芸出版)などがある。