ウクライナ戦争と日本の情勢 ―変わらない米国隷属政治と変質する日本人の「平和」思考―
政治「歴史は繰り返す」ように、人は同じ間違いを繰り返す。最近のウクライナ情勢を巡る日本の政治や日本人の思考傾向を見るにつれ、沖縄が再び戦場になる危機を感じる人は増えているかと思う。
日本の政治を見ると、安倍氏射殺事件後に浮上した旧統一教会と自民党政治家の癒着問題があるにも関わらず、独立国家としての独自姿勢が欠落した米国追随を遂行する自民党政権が永続する可能性が高い。
国会ではなく米議会で安保関連法制定を約束した姿が象徴するように、安倍晋三氏は米国隷属の政治家であったが、ウクライナ情勢を巡る岸田政権の姿勢も「平和路線の戦後レジーム」から「戦争のできる国づくり」への転換という目標を成し遂げた安倍政治を追随するものになっている。
残念ながら、この流れは変わりそうに無い。抽象的日本語表現をやめて、より直接的に言えば、日本国民がこの流れを変える気は無いだろう。
日本人の思考傾向については、ウクライナ情勢を巡って「平和」についての考えが変質しつつあると、「朝日新聞デジタル」が報道している。ウクライナ戦争で人々が苦難に陥っている様を見て、反戦の方向に行くと思いきや、流れは逆なのである。何であれ「戦争は悪」との考えから、侵略された場合の自衛戦争を肯定するようになったという。
高校生対象の調査で防衛費増額賛成は59%である。相手国に譲歩してでも戦争を避け、開戦したとしても停戦や休戦こそ第一と思っていた女子生徒が、国を守るためなら防衛費増額も必要と考えるようになった。
ウクライナ戦争は早く停戦すべきとの訴えには「ウクライナ政府や国民の意思を無視している」「停戦でなくロシアの全面撤退を求めろ」という反応が殆どで、幼い頃の戦争体験を持つこの人は、「昔(ベトナム戦争時)と同じように、戦争をやめろと言っているだけなのに通じない。世の中とのギャップを感じる」と戸惑う。ここに日本人が考えるべき根本問題が2つある。
1つ目は、ウクライナ戦争をロシア侵攻という片側から部分的にしか捉えない、ウクライナ戦争の本質に関する情報と思慮の不足だ。満州事変などの背景を持つ日本の戦争がパールハーバーから始まった訳ではないように、ウクライナ戦争もロシア侵攻前に、ロシアとの国境ウクライナ東部の親露住民に対するウクライナ軍の攻撃が8年も続いていた。
77年前の日本の戦争は自衛戦争だったのか?台湾有事を日本有事とし対中戦争を日本の自衛戦争とする日本は正しいのか?それを考える前に、あるいは考える際に、ウクライナ戦争の本質を捉えておく必要がある。
ウクライナ戦争が対ロシアの米国の代理戦争なら、台湾有事の日中戦争は対中国の米国の代理戦争となる。この戦争は日本にとってどうしても必要な、国を守るための自衛戦争なのかという疑問への答えは自ずと出てくるだろう。
2つ目は、この戦争を論じる際にどうしても避けては通れない問題、直視すべき問題が存在しており、それは解決困難な日本の米国隷属問題であるということだ。
米軍人が仕切る日米合同委員会、その委員会が牛耳る日本政府と行政、そして米軍指揮下にある自衛隊、この両者を念頭に入れれば、戦争開始や終了の決定権は日本には無いと考えるのが自然だ。
ウクライナ戦争にも言えるのかもしれないが、台湾有事の際の日中戦争における全ての決定権は背後で指揮する米国にあるということである。止めたいと思っても、戦争をしている主体である日本に戦争を止めさせる力は無いだろう。
中国脅威を言い立て、自衛隊明記という憲法改正に賛同し、国防ならば武力行使も(果ては先制攻撃も)やむ無しと考える日本人が多くなってきている風潮だが、彼らは戦争開始も終了も自分達に決定権が無い可能性が高いことまでも考えた上で主張しているのか、つまり、日中戦争の根本問題に米国隷属国家という問題が存在していることを承知の上で上記を主張しているのか、疑問である。
そこまで思い至ることなく、ウクライナ戦争を単に悪のロシアによる侵略戦争だとし、同じ土俵で台湾有事を考えているだけなら、またもや、日本国民は敗戦後に「騙された」と呟くのかもしれない。今度は誰に?
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独立言論フォーラム・理事。沖縄県那覇市生まれ。2019年に名桜大学(語学教育専攻)を退官、専門は英語科教育。現在は非常勤講師の傍ら通訳・翻訳を副業とする。著書は「沖縄の怒り」(評論集)井上摩耶詩集「Small World」(英訳本)など。「沖縄から見えるもの」(詩集)で第33回「福田正夫賞」受賞。日本ペンクラブ会員。文芸誌「南瞑」会員。東アジア共同体琉球・沖縄研究会共同代表。