【連載】福島第一原発事故とは何であったのか(小出裕章)

第1回 原発事故の根本原因

小出裕章

・原発は事故を起こしても止まれない

死の灰はおよそ200種類の放射性物質の集合体である。寿命の長い放射性物質もあれば、寿命の短い放射性物質もある。でも、いずれにしても放射線を放出する。放射線はエネルギーの塊であり、物質中で熱に変わる。100万㌗と呼ばれる原発は、100万㌗分の電気を起こす。それを「電気出力」と呼んでいる。しかし、原発の効率は著しく悪く、発生したエネルギーのうち3分の1しか電気に変換できない。つまり、100万㌗の電気が欲しければ、 300万㌗分の熱を出しながら、その3分の1だけを電気に変換しているのである。その時の全発熱量を「熱出力」と呼ぶ。でも、本体ともいうべき3分の2、200万㌗分のエネルギーは無駄に海に捨てるしかない。そのために、1秒間に70トンの海水を引き込み、その温度を7℃上げて海に戻している。1秒間に70トンもの流量がある川は日本には30しかない。つまり、原発が運転されると、その敷地に温かい川が忽然と現れる。原発を「発電所」と呼ぶのは誤りで、正しくは「海温め装置」と呼ぶべきものである。

では、熱出力300万㌗のエネルギーはすべてウランの核分裂反応が出しているのかというとそうではない。長期間運転した原発の原子炉の中には、猛烈な量の死の灰が溜まってしまっていて、それ自体が熱を出す。それを「崩壊熱」と呼ぶが、その量は原子炉停止時の発熱の7%に当たる。つまり、熱出力300万㌗の7%分、21万㌗は崩壊熱である(図2参照)。

事故が起きても止めることができない崩壊熱

原発で何かの異常事態が発生した場合、ウランの核分裂反応を止めることは比較的容易にできる。しかし、それに成功したとしても、原子炉の中に死の灰がある限り、崩壊熱を止めることはできない。家庭用の電熱器は約1㌗である。それが21万個も発熱を続けるのである。原子力の専門家と呼ばれる人たちでも、この崩壊熱の巨大さに気付いている人はごくわずかで、事故の専門家以外はほとんど気にもしてこなかった。ましてや、原子力の専門家でない人たちは、核分裂さえ止めれば、原発は事故にならないと思い込んでいた。自動車が事故を起こせば、ブレーキを踏み、エンジンを切ることで、その場で車を止められる。しかし、原発は異常が起きても止めることができない機械である。

・安全装置をたくさん付ければ大事故を防げるのか?

原発は機械である。それを運転するのは人間である。故障や事故と無縁な機械は存在しない。人間は神ではなく、必ず誤りを犯す。そうであれば、原子力発電だって事故から無縁ではありえない。そして、それは膨大な危険物を抱えた機械である。それを知った時、私は原子力に夢をかけた自分の誤りに気付いた。原発が大きな事故を起こす前に、すべての原発を廃絶しなければならないと思った。そのため、私は自分の人生を180度転回し、原発の廃絶のために生きてきた。

しかし、原子力に夢をかけた多くの研究者は私の様には考えなかった。もちろん彼らも、原発が膨大な危険物を抱えた機械であることは知っていた。それでも、念には念を入れて安全装置を設置すれば、大きな事故は防げると彼らは考えた。彼らは万一原子炉が熔けるような事故が起きても、放出されてきた死の灰を原子炉格納容器と呼ばれる巨大な容器で封じ込めれば、死の灰が環境に出てくることを防げると考えた。彼らは重大事故とか、仮想事故とか呼ばれる様々な事故を想定し、それに対処するための安全装置をつけ、最後は原子炉格納容器で死の灰を食い止めるというシナリオを描いた。彼らの想定では原子炉格納容器はどんな事故が起きても決して壊れない。もしそれが本当なら周辺住民に危害が加えられることはないはずだった。彼らは自分たちの想定を超えるような事故は「想定不適当事故」と烙印を押して無視することにした。

それでも、彼らも万一ということが怖かった。そのため、彼らは様々な法律を作って原発は都会に作らないことにした。電気を大量に使うのは都会である。そして発電所は使う場所に建てるのが理にかなっている。何故なら送電線が不要になり、送電ロスがなくなる。当然火力発電所のほとんどは都会に建てられている。しかし、原発だけは危険が大きすぎて都会に建てることができない。日本では17カ所の敷地に合計で57基の原発が建てられ、運転されてきたが、それらはすべて地方財政が破綻した過疎地であった。

どんなに大きな危険であってもそれを引き受ける選択はあるだろう。例えば、戦場ジャーナリストは命を失う危険があることを引き受けたうえで戦場に行く。そして戦場の真実を人々に伝えようとする。しかし、自分は利益だけを得、危険は人に押し付けるという選択はそれが不公正、不公平であるが故にやってはならない。

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小出裕章 小出裕章

1949年生まれで、京都大学原子炉実験所助教を2015年に定年退職。その後、信州松本市に移住。主著書は、『原発のウソ』(扶桑社新書)、『原発はいらない』『この国は原発事故から何を学んだのか』『原発ゼロ』(いずれも幻冬舎ルネッサンス新書)、『騙されたあなたにも責任がある』『脱原発の真実』(幻冬舎)、『原発と戦争を推し進める愚かな国、日本』(毎日新聞出版)、『原発事故は終わっていない』(毎日新聞出版)など多数。

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