【特集】参議院選挙と改憲問題を問う

〝弔い解散〞と改憲の行方、「安倍後」の岸田文雄と自民党

山田厚俊

・銃撃事件の混乱と参院選

A news headline that says “House of Councilors election” in Japanese.

 

「許されない蛮行に憤りを禁じ得ません。安倍晋三元総理の無事を強く心から祈ります」(甘利明・自民党前幹事長)。

「絶対に許されない行為。安倍元総理の無事と回復をただただ祈ります」(塩崎彰久・自民党衆院議員)。

「ただただショックで信じられません。ご無事をお祈りしています」(小倉將信・同)。

7月8日午前11時半すぎ、奈良市の近鉄大和西大寺駅前広場で、参院選の街頭演説中だった安倍晋三元首相が銃撃された。

事件が報じられると、1時間もしないうちに、自民党所属議員から次々とツイッターに書き込みがあった。自民党議員だけではない。

「恐るべき蛮行。安倍元総理の無事と回復を祈る。民主主義の最大の発露である選挙の真っ只中に暴力で言論を封殺するようなことは絶対に許せない。最大限の怒りを表したい」(玉木雄一郎・国民民主党代表)。

「安倍元首相が銃で撃たれたとの報。言論を暴力で封殺する卑劣な行為はどんな理由があっても許されない。安倍氏の生命の無事を心からお祈りします」(山下芳生・共産党参院議員)。

前代未聞の事件に、誰もが動揺し、混乱していた。午前11時50分ごろ、運転中に妻からの電話で事件を知った筆者は思わず車を脇に停め、ラジオをつけ情報収集に乗り出した。約10分後、大先輩の政治ジャーナリストや週刊誌の編集長、元自民党閣僚秘書などから立て続けに電話が入る。

午後2時頃には元警視庁幹部からの情報で、犯人は「元海上自衛隊」「旧統一教会絡み」といったワードが入ってきた。早い。現行犯逮捕といっても、供述などがこの時点で流れてくることは、なかなかない。

犯人の目的などははっきりしていなかっただけに、参院選の行方が気がかりとなる。

「これで自民党は圧勝だな」。午後4時ごろ、永田町関係者は筆者の問いかけにこう語った。

安倍元首相の死亡説が流れたなかで、与野党の誰もがそう思ったに違いない。

そして午後5時半過ぎ。安倍元首相が亡くなったと報じられると、ツイッター上では永田町関係者ばかりでなく、多くの市民から追悼の呟きがあふれ出た。つまり参院選は、安倍元首相の“弔い選挙”と化したのである。

自民党は選挙区で45、比例代表で18、計63議席を獲得。公明党は選挙区7、比例で6の計13議席。自公で76議席となり、改選議席数125の過半数(63)を上回る大勝となった。

野党は立憲民主党が伸び悩み、選挙区10、比例7で、改選前の23議席から6議席減らし17議席となった。

一方、日本維新の会は選挙区で4、比例で8の12議席。改選前は6議席で、目標に掲げていた倍増を達成した形だ。

これにより、憲法改正に前向きな“改憲勢力”である自公・維新・国民民主党の4党で獲得議席が93議席となり、憲法改正の発議に必要な3分の2を上回ることとなった。

・安倍元首相も参政党を注視していた

もう少し参院選に触れておきたい。

安倍元首相が懸念していたのは、自民党以外の保守勢力の躍進だった。岸田文雄首相が中道リベラルに軌道修正することで、第2次安倍政権以降、自民党を支えてきた岩盤の保守勢力が離れていくことを危惧していたのである。

本来、自民党を支えてきたのは、右派から保守中道まで幅広い層だった。しかし、2012年に政権に返り咲いた安倍元首相は、右派支持層を意識した政権運営を続ける一方、働き方改革や給与増を経団連などに求めることで、中道リベラルにも秋波を送って支持を集めてきた。それでも、自民党支持のコア層は、日本会議や神社本庁などを中心とする右派層だったのである。

そこに、岸田首相がリベラル層の囲い込みを図る戦略に出たことで、安倍元首相は危機感を募らせた。それこそが核シェア発言であり、防衛費倍増の主張を加速させたと指摘する声があった。

そして安倍元首相は、右派層が自民党から離れて投票する先は、維新に加え、インターネットを活用して新たに国政進出を狙った「参政党」だと読んでいたといわれる。

結果は、維新が倍増。参政党も初挑戦ながら比例区で137万票を獲得、一議席を得た。維新の躍進は予想通りだったが、新参の参政党が議席を確保することを予想していた人は少ない。

参政党は、元財務官僚で2012年の総選挙で維新から出馬し初当選した松田学元衆院議員を代表に据え、大阪・吹田元市議の神谷宗幣氏が副代表兼事務局長を務める右派政党だ。「投票したい政党がないから、自分たちでゼロからつくる。」をキャッチコピーに、20~30代の若者層を中心に支持を集めてきた。

キーマンは当選した神谷氏。2007年、無所属で吹田市議に当選した神谷氏は、橋下徹大阪府知事(2008年就任)の下で教育改革のプロジェクトに参画。しかし、意見の相違などで橋下氏とは袂を分かつこととなる。

筆者が当時、取材した時、神谷氏は「維新八策を提案したのは私です」と語った。その後、自民党に入党し、2012年の衆院選に出馬するも維新に敗れた。

神谷氏は、新しい保守政治を模索し、自身で「龍馬プロジェクト」を立ち上げ、全国でのネットワークづくりを進めた。ビジネスを立ち上げて自己資金を作りつつ、「若者たちに政治に関心を向けさせる」として、そのための環境づくりを進めていったのである。それがユーチューブでの番組づくりだったり、全国各地での直接会話だったりした。

この動きを安倍元首相は理解していた。このような新勢力が台頭してきては自民党が危ないと感じたからこそ、懸命に岸田批判を口にし、有権者の“自民離れ”を食い止めようと躍起になっていたということだ。

「まずは一安心。参政党が2議席獲ったら大変な騒ぎだったが、1議席なら良しとするしかない」。

自民党の中堅衆院議員はこう飄々と口にしたが、神谷氏は比例個人で約16万票を集めたのだから、内心は穏やかではないだろう。

・岸田首相の次の一手

リベラル勢力も地殻変動の兆しがある。立憲民主党や共産党は議席を減らした。一方で、衆院議員を辞し参院選に打って出たれいわ新選組の山本太郎代表は東京選挙区で最下位ながらすべり込んだ。れいわは比例でも2議席を得、計3議席を獲得した。いわゆる既存政党離れが、リベラル層にも露わになっている証左であろう。

今後の政局は、参政党とれいわ新選組がどのように既存政党を追い詰め、世代交代するかのごとく大きく飛躍できるかどうかがカギとなるだろう。

しかし、それはすぐ近くではない。眼下の焦点は既存政党による憲法改正がどうなるかだ。

Constitution of Japan concept, 3D rendering

 

参院選の結果を受け、改憲勢力安泰となり、憲法改正にまっしぐらとなるのか。そして、しばらくは国政選挙はないのか。

「それは甘い。岸田首相の判断次第だが、政権基盤をより安定させるためには来年1月の通常国会で冒頭解散する手は十分ある」。

自民党OBは参院選後の7月13日、こう語ってみせた。どういうことか。

「安倍元首相VS岸田首相の構図は消え去った。しかし、岸田首相の党内基盤は依然として弱い。ならば、安倍元首相への思いが消えないうちに解散総選挙に打って出て圧勝することが、長期政権への道になる」。

安倍元首相が亡くなり、会長を務めていた安倍派(清和政策研究会)は同19日、党本部で会合を開き、今後の派閥運営について協議した。それによると、「安倍派」の名称はそのまま残し、後任の会長は置かないことを確認。塩谷立元文科相と下村博文前政調会長の2会長代理を中心に、幹部による共同運営体制を敷くこととした。

安倍派はもともと、福田赳夫元首相の流れを汲む福田閥、森喜朗元首相の流れを汲む森閥、そして安倍元首相の流れを汲む安倍閥など微妙な力学が派閥内にある。強力なリーダーシップを持つ者が会長にならないとバラバラになる可能性を、以前から孕んでいたのである。

とはいえ、自民党の最大派閥。数の力を最大限活かしながら、今後は派閥の運営をしていくということだろう。

一方で岸田派(宏池会)は第4派閥。前出の自民党OBが口にしたように、党内の基盤は依然として弱い。憲法改正に向けて歩を進めるとしても、岸田首相は「慎重に事を進めたいだろう。デジタル田園都市国家構想など自身の政策課題に積極的に取り組みたいのが本音」(岸田派関係者)だという。

しかし、露骨にその本音が見えれば、党内は荒れる。一気に政局に傾く可能性もある。それを抑え込むには、選挙しかないというのが、先のOBの弁だ。

 

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山田厚俊 山田厚俊

黒田ジャーナル、大谷昭宏事務所を経てフリー記者に。週刊誌をはじめ、ビジネス誌、月刊誌で執筆活動中。

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