第46回 冤罪を救った刑事魂
メディア批評&事件検証ここで紹介する内部文書には、その内容が記されている。読んで驚愕するとともに、Aさんら素晴らしい刑事たちによる闘いの記録を読者の皆さんにも見ていただきたい。無実の人を救うために昇格なしも顧みずに闘った記録である。
その文書は、04年11月2日付で、「地検協議結果について(報告)」とタイトルが記されていた。場所は鹿児島地検3階審議室で、参加者は地検側は内田検事、県警側は松本参事官、磯部捜査二課企画指導補佐ら5人で約3時間協議していた。
・消極意見(捜査への反対意見)について
検事:「事件に対する消極意見が出た時の状況は?」
警察:「6月22日の志布志の会議であった。原資、使途先、オートブルがでない、多額買収事件の経験がないことから『この事件があったのか、あれば、使途先などが出るはずであるが…』との発言があった」。
検事:「検察庁においても消極意見はあった。しかし、主任が起訴することを決めたらこれに従うのが組織捜査である。消極意見が出ることは当たり前である。これを否定してしまうと、反対におかしくなる。その時の会議(志布志)に出ていないのなら詳しい内容について知りませんと回答したほうがいいと思う。
突っ込まれたら、『そういう意見が出たみたいだが、会議で事件概要を説明したところ、その人たちも納得し、明日から頑張ります。と回答したときいています』とありのままを証言したほうがいいと考える。この消極意見は、終息はしていないと思う。だから、色々な意味で相手方に抜けているのではないかと考える」。
この「地検協議結果について」で議題になった消極意見について、後日Aさんに詳しく説明を受けた。
この捜査会議には志布志署で約60人の捜査員が出席した。その中で証拠の裏付け班のベテラン刑事2人が立ち上がり、自白調書に基づき、被告に配られたとする買収資金の出どころ(原資)や買収会合が開かれたとされる場所で出されたとされるオードブルを作った店などがどんなに捜しても一向に見つからず、供述にあるような物証が何も出てこないことに供述の信憑性はおろか、事件の存在そのものを疑う発言をしたのだ。すると、志布志署長が大声で怒鳴りちらし、翌日から2人を捜査から外し、うち1人は夏の異動である島に転勤させた。
私が胸を打たれたのは、自分の出世よりも目の前にいる無実の人に冤罪を着せるのを止めようとする魂にだ。
この刑事たちの魂のスクラムは流石である。それに比べると、栃木県警の刑事たちがとった行動は警察官とはとても思えない。
私たちの志布志事件調査報道は、06年1月の正月明けから行った。その日は、その年初めての国家公安委員会が警察庁で行われる日だった。国家公安委員長と警察庁長官が朝一番に私たちの紙面を見て驚く。それを狙った。前日に紙面はできる。鹿児島総局に紙面は届いた。朝日新聞西部本社版1面の左肩に記事はあった。トップではなく、2番手だった。それでも1面だ。内線電話で報道センタートップから連絡が来た。
スクープに喜んでいるのか。声は上ずっていた。「梶山君、すごいねー!」。私は一呼吸おいて声を発した。「この、扱いは何だ!刑事たちが人生をかけて組織と闘っているというのに。とっとと1面の頭にしろ!!!」。
当日の西部本社版は、1面トップ(東京本社版は社会面トップ)に躍り出ていた。冤罪は絶対許さない。これは私たちの権力に対する闘志の証だ。
連載「データの隠ぺい、映像に魂を奪われた法廷の人々」(毎週月曜、金曜日掲載)
https://isfweb.org/series/【連載】今市事件/
(梶山天)
※ご支援のお願いのチラシ作成しました。ダウンロードはこちらまで。
独立言論フォーラム(ISF)副編集長(国内問題担当)。1956年、長崎県五島市生まれ。1978年朝日新聞社入社。西部本社報道センター次長、鹿児島総局長、東京本社特別報道部長代理などを経て2021年に退職。鹿児島総局長時代の「鹿児島県警による03年県議選公職選挙法違反『でっちあげ事件』をめぐるスクープと一連のキャンペーン」で鹿児島総局が2007年11月に石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞などを受賞。著書に『「違法」捜査 志布志事件「でっちあげ」の真実』(角川学芸出版)などがある。