第4回 再審請求目指す今市事件・勝又拓哉氏と家族へ支援を
メディア批評&事件検証2005年12月、栃木県今市市(現日光市)の小学1年生の女児(7歳)が殺害された今市事件で、事件発生から約9年後に逮捕・起訴され、自白をもぎ取られて無期懲役が確定し、千葉刑務所(千葉市若葉区)で服役中の勝又拓哉氏(41)が「冤罪を晴らし自由の身になるため、全力で再審請求のため準備している」と私に決意を語った。
また、母親の勝又イミコさん(63歳)、実弟(32歳)らが8月12日、フェイスブック(FB)、Twitterに勝又拓哉氏をアカウント名にしたページを立ち上げ、27日にはユーチューブに「今市事件・勝又拓哉の家族会チャンネル」を開設し、連日、勝又氏の無実を訴えている。日本国民救援会が17年4月、再審・冤罪事件として今市事件の支援を決定し、「えん罪今市事件・勝又拓哉さんを守る会」も発足している。
http://www.kyuenkai.org/index.php?%BA%A3%BB%D4%BB%F6%B7%EF
・県警が下野(しもつけ)新聞にリークして勝又氏を「犯人」に捏造
勝又氏の有罪が20年に確定してから、マスメディア報道がほとんどなく、あまり知られていない。事件の経過を簡単に振り返る。
2005年12月1日、今市市の市立大沢小学校1年の女児が下校途中に行方不明になり、翌日、茨城県の山林で、遺体で発見された。約8年後の14年1月、栃木県警は勝又氏(台湾生まれで小学5年生の時に来日、逮捕当時31歳)と母親を「別件」の商標法違反容疑で逮捕。栃木県警は別件捜査の中で突然、女児殺害事件での強引な取り調べを始めた。当時の取り調べを記録した録音・録画はない。
その後、4月17日、下野新聞(宇都宮市)が1面トップで「今市事件 関与を自供」という大見出しの“特ダネ”記事を載せ、「別の事件で逮捕、勾留されている鹿沼市内の30代の無職男」が関与を供述したと報じた。下野新聞は翌日も再び1面トップで「『ナイフで刺し殺害』 今市事件関与自供の男 遺体遺棄も認める」との見出しで大々的に伝えた。
栃木、茨城両県警の合同捜査本部が6月3日、「本件」の殺人容疑で勝又氏を逮捕。拉致や殺害の状況を詳細に「自白」したと報道。勝又氏の実名、経歴、顔写真が鮮明に映った映像が大きく報道された。
勝又氏は、殺人罪で起訴され、一審の宇都宮地裁(松原里美裁判長、水上周右陪席裁判官、横山寛左陪席裁判官、裁判員6名)は16年6月、無期懲役の判決を言い渡した。
18年8月、二審の東京高裁は、自白は信用できないとして一審判決を破棄。しかし、殺害日時や場所を広げた訴因変更を認めた上で、脆弱な七つの状況証拠だけによって犯行を認められるとして、あらためて無期懲役判決を出した。弁護団は最高裁に上告したが、20年3月4日付で、最高裁が上告を棄却した。
https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/965/087965_hanrei.pdf
勝又氏に対する捜査、裁判が誤っていることは、本ISFサイトの梶山天(たかし)・副編集長(元朝日新聞記者)が「データの隠ぺい、映像に魂を奪われた法廷の人々」と題し連載中だ。
https://isfweb.org/series/【連載】今市事件/
・「取材なし」条件に面会を許可した千葉刑務所
私は7月20日午後、千葉刑務所で初めて面会した。
前から会いたかった勝又氏に面会できたのは、大阪東住吉事件で再審無罪を勝ち取った青木惠子氏のおかげだ。私は同日夜、東京・水道橋のたんぽぽ舎・浅野連続講座「人権とメディア」で、青木氏を講師に招いた。青木氏が講演前に、勝又氏の母親と一緒に勝又氏と面会すると知って、私も同席させてもらった。
青木氏は自身の冤罪体験から、各地の拘置所、刑務所に拘束されている冤罪被害者の支援をしているが、上京の度に、千葉刑務所に収監されている勝又氏ら4人の受刑者に面会を重ねている。
勝又氏の母親と弟は青木氏の講演会に参加してくれ、母親はマイクを持って、参加者に勝又氏の支援を訴えた。
私は事前に勝又氏に面会に行くと知らせるハガキを出していたが、刑務所側は私が元同志社大学大学院教授のジャーナリストだと知り、3人の職員が次々と現れ、「取材するなら面会は認められない」と通告し、「取材はしないように」と何度も求めた上で、面会申請書を記入してから約2時間後に、責任者の女性職員が「取材ではないということで面会を許可する」と言った。
取材報道の自由が憲法で保障され、憲法で「全体の奉仕者であって一部の奉仕者ではない」と規定されている公務員が、取材報道従事者に「取材禁止」を条件にする先進民主主義国は日本以外にないだろう。
面会が許可された後、私が下咽頭がん手術で失声した身体障害者手帳(3級)を持っていることから、面会室での発声器具の電気式喉頭「ユアトーン」の使用を係官に要請した。その際、刑務所の長身の男性係官が現れ、「あなたはこんな(発声できない)状態で、受刑者と面会したことがこれまでにあるのか」と聞いてきた。
私は「こんな状態とは、どういう状態のことか。障害者に対する不適切発言ではないか」などと筆談で強く抗議した。係官は後で、電気式喉頭の持ち込みを認めた上で、「さきほどの言い方は不適切だったのでお詫びする」と謝罪した。
面会室では、私のノートに質問事項を大きい文字で書いて、アクリル板越しに示して対話した。スムーズに意思疎通ができた。電気式喉頭でも少し話した。係官も協力的だった。
7年ぶりに見た勝又氏は逞しく言葉に力があった。
猛暑の中、緑色の囚人服で面会室に現れた勝又氏は細身で精悍な表情だった。私は宇都宮地裁で開かれた勝又氏の裁判員裁判の一審公判を傍聴取材したが、当時とは別人のように元気で言葉に力があり、「多くの支援者に恵まれ、一日も早く再審請求ができるよう準備を進めている」と決意を語った。私の目をしっかり見て、言葉に張りがある。私は勝又氏の無実を改めて確信した。
勝又氏は「刑務所の4人部屋で、同房者と語り合い、高校卒業認定資格を取るため通信教育を受けている。10科目を修了すれば認定されるが、国語・数学が完了し、いまは世界史・英語を勉強している」と話した。勝又氏は小学校5年の時に来日し、日本語に苦労し、中学校も不登校の日が多かった。
また、「筋トレをずっと続けており、身体が引き締まっていくことを感じるのが楽しい。懲役の工場での労働もきちんとこなし、昇進を続けている」と話した。
今市事件について「創」「週刊金曜日」「救援」「人権と報道・連絡会ニュース」などに書いた記事のコピーを差し入れた。勝又氏は弟に面会した際、「浅野さんの記事は無事届いた。事件について分からないことも記事を通して分かることもあり、少しずつ、おかしい点を共有していこうと思っている」と話しているという。
青木氏は面会で勝又氏に、「弁護団としっかり打ち合わせて、早く再審請求をして、証拠開示を実現することが大事だ」と勝又氏を励ました。
・逮捕から有罪確定までの犯人視報道したメディア
今市事件では、別件の逮捕から殺人での起訴まで5カ月もかかっている。勝又氏は146日間も代用監獄に閉じ込められ、連日違法な取り調べを受け、自白をもぎ取られた。取り調べ時間は255時間30分にわたった。
今市事件は、①勝又氏の犯行を裏付ける物的証拠が一つもない、②有罪を支える証拠は「自白」と状況証拠だけ、③裁判員裁判では、取り調べの録音・録画テープが法廷で流され、この「自白」の映像が裁判員らに有罪心証を与えた―などに特徴がある。
この事件でも、警察記者クラブメディアによる報道が裁判官と裁判員に偏見を与えた。
地元紙の下野新聞が県警のリーク情報を垂れ流した。下野新聞社編集局は2010年11月、『冤罪足利事件―「らせんの真実」を追った四〇〇日』(下野新聞社)を出版し、平和・協同ジャーナリスト基金賞奨励賞(第16回)を受賞している。同書には、足利事件の冤罪被害者である菅家利和氏に対する捜査段階の犯人視報道を検証した章もあるが、下野新聞は足利事件から何も学んでいない。
また、毎日新聞宇都宮支局の野口麗子記者は16年4月15日の「記者の目」で、「(映像を見て)泣きながらこう語る様子は、いつもの無表情な被告とは違った。内容が具体的で真実味を帯びていると感じた」などと書いた。「記者」の目ではなく、「捜査官の目」で書いた悪質な記事だ。
<私の感想は「現実逃避をしたかったのでは」というものだ。自殺未遂とは思えなかったし、「取り調べからの逃亡」とも少しニュアンスが違う>。
<3月15日。裁判員の心証に影響を与えたとみられる映像が流れた。14年6月、殺害の状況を身ぶり手ぶりを交え、再現した場面だ。「顔見られてる、車見られてる、アパート知られてる、このまま解放して、もししゃべられたら家族が困るから殺すしかない」。泣きながらこう語る様子は、いつもの無表情な被告とは違った。内容が具体的で真実味を帯びていると感じた>。
私はこの裁判を傍聴したが、勝又氏を犯人とは全く思わなかった。冤罪被害者たちは「自白させてから録画を開始すれば、自白映像が裁判員に有罪の心証を与えてしまう。冤罪を防ぐには全事件・取り調べ全過程の録画録音=全面可視化しかない」と訴えてきたが、その危惧が現実になった。
野口記者の記事には<傍聴券を求めて宇都宮地裁前に集まった人たち=宇都宮市で4月8日、宮武祐希撮影>とあるが、この写真説明は<記者席があるのに、さらに傍聴券を求めテレビ・新聞各社に雇われ宇都宮地裁に集まったアルバイトたち>と訂正すべきだ。
傍聴券を求めた人は1317人。宇都宮シルバーセンターが仲介したアルバイト(報酬は90分拘束で1500円)は600人以上いたと思う。宇都宮地裁前に集まった人たちの90%以上は報道関係者。マスメディアは重大事件の度に、共謀して、多くの市民が傍聴券を求めて集まったというウソをついている。裁判所はダフ屋行為に当たる犯罪を黙認した。
1948年、香川県高松市に生まれる。1972年、慶應義塾大学経済学部を卒業、共同通信社入社。1984年『犯罪報道の犯罪』を出版。89~92年、ジャカルタ支局長、スハルト政権を批判したため国外追放された。94年退社し、同年から同志社大学大学院メディア学専攻博士課程教授。2014年3月に定年退職。「人権と報道・連絡会」代表世話人。主著として、『犯罪報道の犯罪』(学陽書房、講談社文庫)、『客観報道』(筑摩書房)、『出国命令』(日本評論社)、『天皇の記者たち』、『戦争報道の犯罪』、『記者クラブ解体新書』、『冤罪とジャーナリズムの危機 浅野健一ゼミin西宮』、『安倍政権・言論弾圧の犯罪』がある。