編集後記:戦争を知らない子供たち
編集局便りウクライナを舞台にした米ロの代理戦争が起きている今だからこそ、歌ってもらいたい。1970年8月の大阪万博でのコンサートで初めて歌われ、翌年に大ヒットしたジローズの「戦争を知らない子供たち」だ。
私の中学生時代の時で、小遣いの400円をはたいて購入したのを覚えています。当時は、今のようにコンパクトなCDやMDではなく、45回転のシングル盤を何回も聞いては口ずさんでいたいました。この年、ジローズは、第13回日本レコード大賞新人賞、作詞を担当した北山修さん(現・栃木県小山市の白鴎大学長)は、作詞賞をそれぞれ受賞した。
2016年に歌手として初めて世界でノーベル文学賞を受賞した米国のボブ・ディラン氏や英国のビートルズが世界に広げた反戦歌のうねりの中から誕生した曲ともいえるだろう。ベトナム戦争を契機として安保闘争が激化する中、北山さんや杉田二郎さんらは歌で反戦に参加していたのだ。平和がいかに大切かと訴え、世界中をもっと良くしようというために……。
私は北山さんとこの曲を作曲した杉田さんは、朝日新聞記者時代からの取材を通しての知人だ。この歌の誕生秘話をここで紹介したい。
もしかしたら、この歌は、メロディーが違っていたかもしれない。実は北山さんは作詞した際に音楽活動を共にしていた「ザ・フォーク・クルセダーズ」の故加藤和彦さんに最初、作曲を頼んだ。合唱曲の定番「あの素晴らしい愛をもう一度」など数々の名曲を書いた仲間だ。
ところが詞を見た加藤さんから「何で花びら好きでだよ!ちゃらちゃらしたしものに曲なんか作れるかよ!」と突き返された。
そこで北山さんは、加藤さんに断られたことを伏せて杉田さんに「この歌詞に曲を作れるのはお前しかいない」と頼んでできた曲で、夢中になって作ったという。
こうして列島中で口ずさめられる歌になったのだが、その後歌詞について賛否両論が巻き起こった。世代間のギャップや戦争に対する意識の相違などから厳しい批判にもさらされたのだ。
そのため杉田さんは、コンサートのたびにこの歌をプログラムから外した。そんな中で転機が訪れた。1975年、沖縄が本土に復帰してから3年経っていた。杉田さんはこのステージでもあの曲はプログラムから外していた。とても歌えるとは思わなかった。
奇跡は会場の拍手とともにアンコールのステージで起きた。杉田さんを迎えたのは観客たちによる「戦争を知らない子供たち」の大合唱だった。涙が止まらなかった。
この「戦争を知らない子供たち」は、世界の人々が手を取り合って平和に暮らす願いを込めた反戦歌だと私は思う。今年のキーワードは「反戦」。北山さんと杉田さんには今年を締めくくるNHK紅白歌合戦で是非、出場してこの歌を歌ってほしい。世界に向けて、その灯が消えないように……。
〇ISF主催公開シンポジウム(10月29日開催):「コロナ&ワクチン問題を考える~ワクチン接種の安全性・有効性を問う」の申込受付
※ご支援のお願いのチラシ作成しました。ダウンロードはこちらまで。
独立言論フォーラム(ISF)副編集長(国内問題担当)。1956年、長崎県五島市生まれ。1978年朝日新聞社入社。西部本社報道センター次長、鹿児島総局長、東京本社特別報道部長代理などを経て2021年に退職。鹿児島総局長時代の「鹿児島県警による03年県議選公職選挙法違反『でっちあげ事件』をめぐるスクープと一連のキャンペーン」で鹿児島総局が2007年11月に石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞などを受賞。著書に『「違法」捜査 志布志事件「でっちあげ」の真実』(角川学芸出版)などがある。