安倍元首相の国葬について
政治安倍元首相が奈良遊説中の銃撃による失血死で、2022年7月8日に他界しました。この事件は、一国の元首相が白昼の銃撃テロで亡くなるという、あってはならない暴力事件として記憶され、再発防止のための対策が立てられるべきことは当然ですが、同時に、政権党の政治家と旧統一教会との想像以上の深いつながりを暴き出しました。
自民党が行なった調査でも、その信頼性の問題はあるとして、地方・中央の現役議員の半分近くが旧統一教会と何らかの関係があり、「縁を切る」という意志表示をした議員がいる一方で、選挙協力者に旧統一教会関係者かどうかを聞き質すなどということは出来ないという見解も表明されました。
人が亡くなった時の弔意は、故人に弔意を表すのが適切だと考える人が個人としてやればいいことであって、何十億円もの国費を使って国民全体になかば弔意を強制するようなことはすべきでないと、私は信じます。
しかし、いま、元首相の葬儀を「国葬」として行う閣議決定がなされたことをめぐって国論が二分される事態が起こっています。1926(昭和2)年に定められた「国葬令」は現行日本国憲法が施行された1947年に失効していますので、「国葬」に関する法的根拠はありません。内閣の「裁量の範囲」だということなのでしょう。
7月9日付の英フィナンシャル・タイムズ紙(FT)が、社説で、「安倍晋三は日本を再び世界の舞台に押し上げ、長期政権の首相は経済と外交において並外れたレガシーを残した」と称賛していますが、同紙の社説は(1)安倍は長年の経済、外交の停滞から日本を国際舞台に引き戻した、(2)そのレガシーは政策にあり、安倍の名前は常に「アベノミクス」との関連で記憶されるだろう、などと述べるとともに、(3)ナショナリスト的な、時には修正主義的な歴史の理解は特に韓国との間で問題となったとも述べるなど、「国葬にする理由」とは関係ないことを述べています。
だいたい、「アベノミクス」を「記憶されるべきもの」のように言っていますが、「アベノミス」とも言われるようにプラスの評価が定まっている訳ではありません。国会答弁での安倍元首相の虚偽答弁は恥ずべきもので、「首相大臣がこれだけウソを重ねていれば国会審議が成り立つはずもない」と評される程の「希代のウソつき」でした。
安倍前首相後援会が主催した「桜を見る会」前夜祭をめぐる問題で、衆院調査局は2020年12月21日、安倍首相が2019年11月~20年3月の間、国会で計118回の虚偽答弁をしていたことを明らかにしました。
安倍首相の虚偽答弁が原因で財務省決裁文書が改ざんされ、それが原因で近畿財務局の元職員赤木俊夫さんは自殺に追い込まれました。妻の雅子さんが国と理財局長だった佐川宣寿元国税庁長官に損害賠償を求めた大阪地裁の訴訟で、国は請求を受け入れましたが、これは問題が裁判で深堀されて真相が暴き出されるのを恐れたためでしょう。
それでもこういう元首相を「国葬」ですか?私の理解をはるかに超えています。
戦後の「国葬」の唯一の例は吉田茂ですが、吉田茂は「国葬」を正当化するような立派な仕事をしたのでしょうか?私には、1952年4月28日に発効したサンフランシスコ平和条約と同じ日に発効した日米安全保障条約(安保条約)の生みの親こそ吉田茂に相違ありません。
あの日、池田湧人が署名会場に随行しようとした時、吉田は「これはいろいろ問題を含む条約だから、君たちの経歴に傷がつかないように私一人で行く」と言ったと伝えられるように、吉田自身、この条約が日本の将来に影を落とすことをそれなりに理解していたのでしょう。
実際、日米安保条約のおかげで日本はいまだにアメリカの従属国となり、アメリカの核兵器によって唯一の実戦被爆国となったにもかかわらず核兵器禁止条約に賛成も出来ず、ウクライナ戦争では「中立」をこそ選ぶべきだったのに対ロ制裁に加わってロシアから非友好国に分類されて、北方領土問題を含む平和条約交渉にも暗い影を落としました。
沖縄で起こる数多くの米軍基地犯罪の根幹はまさにこの日米安保条約をもとにした日米地位協定の極めて不平等な取り決めにありますが、60年代、70年代には安保闘争もあったものの、宗主国アメリカの属国としての日本のあり方を運命づけてしまった路線敷設人・吉田茂は、それでも「国葬」でした。そんなものを前例にしてはたまったものではありません。
祝意や弔意など、個人の価値判断に属する意思表示のあり方を巨額の国費を使って半ば国民に強制することは、法的根拠もない政策判断の誤りだと確信します。
(「平和友の会会報連載『世相裏表』2022年9月号」より転載)
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1940年、東京生まれ。1944~49年、福島県で疎開生活。東大工学部原子力工学科第1期生。工学博士。東京大学医学部助手、東京医科大学客員助教授を経て、1986年、立命館大学経済学部教授、88年国際関係学部教授。1995年、同大学国際平和ミュージアム館長。2008年より、立命館大学国際平和ミュージアム・終身名誉館長。現在、立命館大学名誉教授。専門は放射線防護学、平和学。2011年、定年とともに、「安斎科学・平和事務所」(Anzai Science & Peace Office, ASAP)を立ち上げ、以来、2022年4月までに福島原発事故について99回の調査・相談・学習活動。International Network of Museums for Peace(平和のための博物館国相ネットワーク)のジェネラル・コ^ディ ネータを務めた後、現在は、名誉ジェネラル・コーディネータ。日本の「平和のための博物館市民ネットワーク」代表。日本平和学会・理事。ノーモアヒロシマ・ナガサキ記憶遺産を継承する会・副代表。2021年3月11日、福島県双葉郡浪江町の古刹・宝鏡寺境内に第30世住職・早川篤雄氏と連名で「原発悔恨・伝言の碑」を建立するとともに、隣接して、平和博物館「ヒロシマ・ナガサキ・ビキニ・フクシマ伝言館」を開設。マジックを趣味とし、東大時代は奇術愛好会第3代会長。「国境なき手品師団」(Magicians without Borders)名誉会員。Japan Skeptics(超自然現象を科学的・批判的に究明する会)会長を務め、現在名誉会員。NHK『だます心だまされる心」(全8回)、『日曜美術館』(だまし絵)、日本テレビ『世界一受けたい授業』などに出演。2003年、ベトナム政府より「文化情報事業功労者記章」受章。2011年、「第22回久保医療文化賞」、韓国ノグンリ国際平和財団「第4回人権賞」、2013年、日本平和学会「第4回平和賞」、2021年、ウィーン・ユネスコ・クラブ「地球市民賞」などを受賞。著書は『人はなぜ騙されるのか』(朝日新聞)、『だます心だまされる心』(岩波書店)、『からだのなかの放射能』(合同出版)、『語りつごうヒロシマ・ナガサキ』(新日本出版、全5巻)など100数十点あるが、最近著に『核なき時代を生きる君たちへ━核不拡散条約50年と核兵器禁止条約』(2021年3月1日)、『私の反原発人生と「福島プロジェクト」の足跡』(2021年3月11日)、『戦争と科学者─知的探求心と非人道性の葛藤』(2022年4月1日、いずれも、かもがわ出版)など。