第2回 いまだに続く保護者同伴の児童下校
メディア批評&事件検証実は児童の登下校の見守り体制の見直し求める声が上がったことがある。栃木県警が今市事件の容疑者を逮捕したと発表した14年のときだ。この発表によって地域には少し安心感も広がっていたし、ひまわり隊の高齢化と朝の登校を見守るボランティアの年々減少傾向が問題化していたころでもあった。時代の変化も加速し、共働き世帯も当たり前になってきていた。そんな状況の中で、ボランティア活動に負担を感じる保護者も少なからずいたのだ。
そこで大沢小は、その年の年末に今後の登下校体制について保護者を対象にアンケートをとった。180人がアンケートに応じ、登校時の見守り活動について「現状維持」が165人(92%)を占めた。下校時の車での送迎についても141人(78%)が継続を望んだ。保護者の多くは、負担軽減より、子どもの安全を重視したのだ。それでも同小によると、アンケートの自由回答欄には「新1年生の親御さんが(登下校について)どう思っているか知りたい。私たち在学生の親は既に今の生活が当たり前になっているのが、普通の考えからすれば、ずれがあると思う。やっぱり大変だし、今のやり方が子どものために本当になるんでしょうか」などと、親たちの声があったのも事実だ。
事件発生当初、ひまわり隊は今の倍以上の699人がいたのが、21年11月には248人に激減した。集団登校を見守る住民ボランティアも268人いたが18年には69人になり、今ではさらに減ったという。「子どもたちを絶対に1人にはしない。同じ悲劇は繰り返さない」。こんな保護者の思いで始まった同小の児童の集団登校は、午前7時20分前後までに保護者らが計30カ所の集合場所に連れて行き、登校を行っている。保護者も当番制で引率する。登校ルートには、ひまわり隊の人たちが約20㍍間隔で立つ。1列に並んで登校してくる子どもたちに「おはよう」と声をかけてハイタッチをするのは、事件発生時から通学路に立つた金田咲子さん(82)をはじめ福田利秋さん(72)ら仲良し4人組のお年寄りたちだ。
当初、隊員たちは、児童の名前が分からずに困った。事件直後から不審者に声をかけられないようにと、登校中の児童の胸から名札が外されたからだ。名札を付けるのは校内にいる時間(とき)だけで、下校時に教室の所定の場所に置いて帰る。このため通学路に立つボランティアたちは児童とコミュニケーションをとるのにも名前がわからない。そこで考案したのが手と手で触れあうハイタッチだ。徐々に互いが声を掛け合い、今では隊員たちが顔を見れば児童の体調まで分かるほど距離が縮まった。
一方で、通学路に立つ金田さんらお年寄りたちが年々気づいたことがある。子どもたちが登校しない夏休みや新型コロナウイルス感染拡大の影響で長期にわたり学校が休校になったときにお年寄りたちがこぞって体調を崩した。実は、子どもたちと会えなかったからだ。金田さんは「子どもたちの笑顔を見られなくて、寂しかった。自分たちも子どもたちに支えられていたんだと気づかされた」と話した。
ひまわり隊の人たちの心が折れそうになった事件も起きた。17年3月に千葉県松戸市の小3女児が殺害され、逮捕されたのが登下校の見回り活動にも関わった小学校の保護者会長だったことだ。8年前にひまわり隊に参加した福田夫(ふくだふみ)さん(80)はテレビでそれを知った夜、眠れなかったという。「せっかく生きがいを見つけて頑張っているのに、なんてことをしてくれたんだろう……」。翌朝、福田さんは通学路に立つのが怖かった。いつも児童とするハイタッチ。子どもたちが拒んだらどうしようと気持ちか沈んだ。集団登校する子どもたちにおずおずと震える手を伸ばした瞬間だった。児童がぎゅっと握りしめるや、最高の笑顔で「おばあちゃん、いつもありがとう」。子どもたちの声が体に響き、涙が止まらなかった。
こんな社会を守るべき検察、警察が、証拠を隠ぺいしてまでして事件解決を図ろうと無実の人を陥れた行為が地元に与える影響は計り知れない。まさに市民を傷つけた犯罪といわざるを得ない。
(つづく)
連載「データの隠ぺい、映像に魂を奪われた法廷の人々」(毎週月曜、金曜日掲載)
独立言論フォーラム(ISF)副編集長(国内問題担当)。1956年、長崎県五島市生まれ。1978年朝日新聞社入社。西部本社報道センター次長、鹿児島総局長、東京本社特別報道部長代理などを経て2021年に退職。鹿児島総局長時代の「鹿児島県警による03年県議選公職選挙法違反『でっちあげ事件』をめぐるスクープと一連のキャンペーン」で鹿児島総局が2007年11月に石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞などを受賞。著書に『「違法」捜査 志布志事件「でっちあげ」の真実』(角川学芸出版)などがある。