五輪実施~コロナを正しく知り、正しく恐れる
社会・経済
1984年、米ロサンジェルスでの第23回夏季オリンピックは政治的には難しい世界情勢の中での開催だった。が、ビジネス上はそれまで赤字続きだったオリンピックをテレビ放映料などで黒字にして、「商業主義」への道を開いた。
また、個人的にはビジネス畑の筆者にとって、重厚長大産業から情報産業へという人生で忘れられない転機であった。
【第43回】 「1Q84」年:Appleの挑戦 – 浜地道雄の「異目異耳」
そして、いよいよ東京2020五輪。それは一年延期となり、侃々諤々の論議を残しながら、とまれ、実施の方向に動いている(7月23日開会式~8月8日閉会式 ⇒ パラリンピックへ)。
その混乱の根はコロナパニックである。
突然の発生以来、筆者は一年半、「コロナを正しく恐れよう」と主張し、この社会を揺るがすパニックを憂いてきた。
社会、経済、就中「教育システム」の混乱は憂慮に堪えない。
筆者には、五輪誘致の経緯(2013年9月ブエノスアイレスでのIOC 総会で決定)はじめ、その可否を論じる十分な知見はない。が、現下「コロナ・パニック」を以て、口を極めてその実施を非難する向きもあり、ひとつ基本的なことを考えようと提案したい。
偶々、鈴木寛教授のブログで「Web 論座」を知った「コロナ時代の無常観、そして正義と幸福」6月13日:
通読して驚いた。
これこそ、ビジネス一筋の門外漢である筆者(浜地)が一年半苦悩しながらも「コロナを正しく恐れよう」と主張してきた要点二点なのだ:
1) F.ナイトの不確実性論に添って、エビデンス(コロナ死者、重症が奇跡的に少ない)を検証
2) 人は寿命がくれば天に召されるという死生観Triage(例:福祉国家スエーデン)
そして、失礼を顧みず著者一ノ瀬正樹氏にアポを申し入れた。 早速返事があり、初対面ながら一時間「密」に話しあい、大いに学び、感動した。
その著書のタイトルの通り:いのちとリスクの哲学 ~病災害の世界をしなやかに生き抜くために!!(正しく知り、正しく恐れる=まえがきより)
いのちとリスクの哲学—病災害の世界をしなやかに生き抜くために— | MYU Group
p63 p290 Triage: 「いのちは切ない」「死はいつもそばにあり、結局は死から免れない」からこそ、「いのちは大切」なのである。
p233 F.ナイトが提起した「リスク」と「不確実性」についての標準的区別についての不明瞭さ或いは混乱が見受けられる。
そして、p265 我々の生きている世界で「リスク・ゼロ」はない。多様なリスクを視野に入れて、一定の防疫活動を取りつつも、経済活動を維持していく。
そう、分かり易い例は交通事故だ。そのリスクを恐れてStay HomeやLock Downでは日常社会生活は成り立たない。
そこで、市民は「保険」に加入し、不測の事態に備える。F.ナイトの「不確実性論」のとおり、証左・エビデンス、即ち確率統計に基づき行うのがアクチュアリー数理業務だ。そこから障害保険をはじめ、各種保険ビジネスが成り立っている。
否、ビジネスそのものが「リスクへの挑戦」なのだ。
さあ、五輪開会式を前に、もう一度「コロナを正しく知り、正しく恐れよう」-。この世に「リスク・ゼロ」はないのだ。
注:
- 一ノ瀬氏の書はそのキッカケからして、福島原発についての記述が主流だが、筆者(浜地)の能力からして、本稿ではそこへの言及はしていない。
- 筆者が関係するEF Education Firstは五輪の公式パートナー(語学トレーニング)だが、本稿は個人の見解である。
※この記事は、「浜地道雄の『異目異耳』」(2021年6月23日)からの転載です。
原文は、コチラ→https://hamajimichio.hatenablog.com/entry/2021/06/23/122952
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国際ビジネスコンサルタント。1965年、慶応義塾大学経済学部卒業。同年、ニチメン(現・双日)入社。石油部員としてテヘラン、リヤド駐在。1988年、帝国データバンクに転職。同社米国社長としてNYCに赴任、2002年ビジネスコンサルタントとして独立。現在、(一財)グローバル人材開発顧問。「月刊グルーバル経営」誌にGlobal Business English Fileを長期連載中。