[講演]広瀬隆(作家) 二酸化炭素地球温暖化説は根拠のまったくないデマである〈前編〉
社会・経済※本稿は、雑誌「季節」2022年春号からの転載記事である。
2022年1月27日、広瀬隆さんが「CO2によって地球が温暖化しているという説は、科学的にまったく根拠がないデマである」と題したネット公開講演を行った。
数年前に病床に伏した広瀬さんにとって、本講演はコロナ禍到来後、初の独演会だ。それをほとんど休憩を挟まず6時間、マシンガンのように展開した。
編集部では講演全容の文意・骨子をそのままに、しかしそれでは紙数が足りないため再構成。前編だけでも36ページの長編講演録を2回に分けて掲載する(取材・構成・文責=編集部)。
今日は二酸化炭素温暖化説が、完全に大嘘であることをピシッとお話ししたいと思います。二酸化炭素によって地球が温暖化している、人類はすぐに破滅するという説が大ウソであると12年前になりますが、『二酸化炭素温暖化説の崩壊』(2010年、集英社新書)に著し、また最近の事情を少し付け加えた形で『地球温暖化説はSF小説だった』(2020年、八月書館)というブックレットを出しました。
本日は、この問題をさらに多方面から説明した方がいいだろうとこの機会をいただきました。「地球温暖化で人類が滅びる」という話を皆さんはどこかで聞いたことがあるでしょう。この話を信じている人にむしろ聞いていただきたいと思っております。
・はじめに
このストーリーの発端から説明します。今から100年以上前の1908年、スウェーデンの物理学者アレニウスという人物が世界で初めて地球上の大気の温室効果を警告し、以来、地球温暖化破滅説を引き継いでいます。スウェーデンといえば、ノーベル賞を与えている国です。この地球温暖化を脅威とするホラ話は、そのスウェーデンを中心に創生されてきました。
温室効果(グリーンハウス・イフェクト)とは、太陽から地球に光が毎日注ぎます。それを地球が反射して赤外線として宇宙に出す。ところが、その熱の放出時に、CO2やメタンなどの温室効果ガス(グリーンハウス・ガス)が熱を大気中に閉じ込めてしまい地球全体が温室のように暖まる……という仮説です。
1988年、国連に「気候変動に関する政府間パネル(IPCC)」が設立されました。その初代議長に就任したのは、これまたスウェーデン人のベルト・ボリンでした。彼は当時「2020年には、地球の海水面が60メートルから120メートルも上昇してロンドンもニューヨークも水没する」と予言したのです。
それで2020年に、ロンドンもニューヨークも水没しましたか? そんなバカな話はないでしょ。要するにでたらめの予測で、全人間を恐怖に煽り立てただけです。そして、現在もスウェーデンの無知なグレタ・トゥンベリをマスコットに仕立て、相変わらずの温暖化脅威キャンペーンを今も続けている。
そのキャンペーンには、ノーベル賞選考委員会とその背後にいる軍需財閥が大きな影響力、宣伝力を発揮しています。また、IPCCは国連の組織です。国連の中にはIAEA(国際原子力機関)という原子力推進組織もあり、一緒に手を組んでこのキャンペーンに加担している。まずはこの点を頭に入れておいてください。
本日の最後に大事な話として再び紹介します。2021年の秋、ノーベル物理学賞に真鍋叔郎が選ばれました。彼もこうした詐欺の仲間ですが、その実情はあとで説明します。
人類が直面している真の問題は「地球温暖化」ではありません。本当に大変だと思うのは以下の問題で、このあと順次触れていきます。
●全世界で都市化が進むことから生じるヒートアイランド現象
●人口増加による食糧問題と二酸化炭素による植物の成長
●プラスチック・ゴミ問題と「低炭素社会」と呼ぶ異常さ
●公害問題の原因である化学物質汚染と原子力の放射能汚染を忘れさせようとしている点
●地球温暖化論者たちが「自然エネルギー」と連呼しながら自然破壊を進めていること
●電力消費量を激増させようとしていること
そして今、太陽の活動が小さくなっていて、温暖化どころか寒冷化が始まろうとしています。北極のシロクマが絶滅すると騒がれていますが、これはIPCCがカルト集団と化して叫んでいるでたらめです。なぜこんなばかげたことをやっているのか? それで利益を得ている人間が地球上にたくさんいるからです。
・地球の平均気温と炭酸ガスには関係がない
まず、地球の平均気温と炭酸ガスには、何の関係もありません。これは中学生でもわかる話です。先ほど説明した温室効果ガス効果は地球の気温にどれほど影響するのか、科学で証明する前に実際何が起こっているかを見ていきます。
[図表1]は地球の平均気温のグラフで、1945年を起点に2019年までの気温の推移が示されています。19年以降はある集団が気温を捏造している疑いがあるので、そこまでにしました。出典は日本の気象庁のサイト(https://www.data.jma.go.jp/cpdinfo/temp/list/an_wld.html)の数値です。このグラフを疑うのであれば、気象庁のサイトで調べてください。
地球温暖化説が騒ぎ始めたのは1998年です。この年は猛烈に暑かった。ところがその翌年の1999年から2013年の15年間は、地球の気温はずっと下がって、98年を超えることはなかったことがグラフからわかります。
一方、大気中の二酸化炭素の濃度はどうかというと、その間濃度は増えています。[図表2](http://ds.data.jma.go.jp/ghg/kanshi/obs/co2_yearave.html)のグラフをご覧ください。おかしいと思いませんか。気温が下がった時もCO2は増え続けている。
IPCCの自称専門家を中心に2000年以後の100年間どうなるかを予測したのが[図表3]のグラフです。ところが2000年から気温が下降するという予測は一つもありません。
この予測では、先ほど触れた真鍋叔郎たちが提唱した「気候モデル」という式が使われています。ところが、はずれているじゃないですか。その予測でいまだに騒いでるのがIPCCなのです。
では、98年から13年の15年間とはどんな時代だったのか? 当時は、ブラジル、ロシア、インド、中国の新興4カ国を「BRICs」と呼び、大気汚染物質とCO2を大量に排出していた時でした。つまり、大気中のCO2は高まったのに地球の気温は下がり続けている。この点ひとつとっただけでも、地球は温暖化しないと断言できることが中学生でもおわかりになれると思います。
地球上で大量に温室効果ガスのCO2が排出された15年間、地球規模での寒冷化が起こっていた。その事実を前にすれば、最高級のスーパーコンピューターを駆使して作り上げた「CO2による地球温暖化」モデルは、科学の検証に堪えない与太話だったことがご理解できるでしょう。
・原油生産は激増したのに寒冷化した60、70年代
しかも、それだけではありません。[図表4]に示しましたが、1963年から1977年までの15年間は猛烈な寒冷期でした。私は3日前に79歳になりまして、この時代を生きていたけれど、寒かったという記憶は実はあまりないんです。ところが調べてみると、1960年代から70年代にかけて、全世界がすさまじい寒さに襲われていたんです。
ところで、石油をたくさん燃やすとCO2がどんどん出てきます。その原油の生産量の推移を[図表5]にまとめました。1859年が2000バレル、95年が1億バレル、そして20世紀に入ると1950年ぐらいから原油の生産量が激増していることがわります。
50年代から原油の生産量が大量に増え、CO2の排出量が急速に増えたはずなのに、60年代から大規模な寒冷化が世界的に起こったという事実をよく覚えておいてください。
IPCCは「1700年代半ばの産業革命から大量のCO2が排出された」と主張していますが、それはまったくのウソだったことがおわかりになったと思います。
第二次世界大戦後の1950年代から、先進国で石油火力発電が普及していきます。それが原油生産増の原因です。そこから、現在のような大量のCO2排出が始まっています。それまでは石炭火力と水力発電で電気を作っていました。
そして、1900年代までのCO2排出は現在の100分の1以下ですから、パリ協定で産業革命を持ち出すこと自体が基本的な間違いを犯していることになります。では、1960年代からどんな寒さが襲ったのか、記録を調べてみましょう。
「1960年代から北極を中心に、地球寒冷化の時代に入った。特に1963年1月は記録的な大寒波が西ヨーロッパを襲い、小氷期以来の異常気象と呼ばれました。ロンドンでは平年気温より5.3度も低く、1975年以来の168年ぶりの寒さだった」(日下実男『大氷河期 日本人は生き残れるか』朝日ソノラマ、1976年)。
「大陸の寒さは、イギリスよりはるかに厳しく、1963年1月の平均気温は、フランスのパリで-2.7℃、ドイツのハンブルクで-6℃、ソ連のモスクワで-15.9℃と軒並み例年より6度低く、ポーランドのワルシャワでは10度近く低くなり、数万年に一度の低温となった」(同上)。
当時、テムズ川、ライン川、ドナウ川など欧州の有名河川のほとんどが凍結し、フランスのダンケルクからベルギーまでの海岸では氷が100メートル沖合まで張りつめました。
日本でも北陸から山陰にかけて豪雪があり、1963年は昭和38年なので「三八豪雪」と呼ばれる歴史的記録となりました。九州でも福岡の降雪日が1カ月に27日と観測史上初めての大記録となった。佐賀でも23日間降雪、鹿児島でも30センチ以上の積雪を記録。九州全体が雪国となった。こんなことを皆さん知らなかったでしょ。
そして1971年12月末、西ヨーロッパは25年ぶりの激しい暴風雪に襲われました。これは私の記憶にもあるんです。この年の3、4月、たまたま当時のソ連からイスラエルに私は旅行していたんですけど、すごかった。イスラエルでは雨続きで「砂漠地帯に100年ぶりの豪雨だ」と地元紙が報じていました。インドでは猛烈な寒波で凍死者が140人に達しました。
日本では1973年12月~74年2月にかけて東北地方で「三八豪雪」を上回る観測史上最大の豪雪でした。74年7月には西日本で集中豪雨があり、北日本では特に夏が短かった。さらに75年の秋は、北海道で寒冷魚の鮭が大群であちこちに押し寄せ、遡上する鮭で川が溢れてしまった。鮭は南限を突破して、神奈川県相模川にまで現れています。
翌76年夏は、100年ぶりの寒さとなり、「異常冷夏」と呼ばれています。史上初めて真夏の岩手県で氷が張り、農家の栽培していた野菜が全滅です。これが寒冷化の非常に恐ろしい出来事で、この問題はあとでまた採り上げます。
1950年代から原油の生産量が増えて、CO2の排出量が猛烈に増えたはずなのに、このように全世界的に大規模な寒冷化が十数年にわたって起きています。調べてみたらずいぶん大変なことが起こっていたことがわかってきましたが、実は私の記憶もおぼろでした。
そのため、こうした史実をよくよく踏まえているはずの斎藤幸平(大阪市大准教授)に、「あなたの主張する二酸化炭素温暖化説は間違っています。それについて異論があるなら正しく反論しなさい。反論できないなら、あなたの主張が過ちだったと訂正しなさい」と二度にわたってメールと郵送で資料を送っています。
ところが彼は反論もしない。読者からの批判にきちんと反論できないんじゃ、普通は著書を引っ込めるものでしょ。ところが彼は、批判には頬かむりしたまま根拠のないCO2批判の主張を繰り返しています。それで大学で教えているんですから、学生が可哀想ですよ。
もう一人、平田仁子(気候ネットワーク理事、クライメート・インテグレート代表理事)という「石炭いじめ」をやっている人物がいます。実は今日は公正を期すため、その斎藤幸平と平田仁子に公開討論会での議論を求めたんです。ところが2人とも、逃げ回ってばかりでした。
株式会社鹿砦社が発行する季刊誌。「死滅したジャーナリズムを越えて、の旗を掲げ愚直に巨悪とタブーに挑む」を標榜する。