メールマガジン第15号:「核共有」横田基地も選択肢に
ノーモア沖縄戦 命どぅ宝の会メルマガ琉球・沖縄通信前回に続き「南西諸島ミサイル要塞化」写真展について報告する。
展示内容は、①自衛隊地対艦・地対空ミサイル部隊の配備、②米陸軍と海兵隊のミサイル部隊、核搭載可能な中距離ミサイルの配備計画。その全体状況を写真とイラストで示している。さらに自衛隊ミサイルの射程延長(敵基地攻撃能力)、島嶼防衛用高速滑空弾、米陸軍の超高音速ミサイルの開発・配備計画なども紹介する。一言で言えば「自衛隊、米軍の最新鋭ミサイル南西諸島要塞化」を明らかにしている。
「メースB核ミサイルの解体撤去」コーナーもある。復帰前の沖縄には射程2400キロの中国・ソ連を射程に置く地対地核ミサイル基地があった。在沖米軍は1969年12月29日、「メースB解体撤去」をマスコミに公開した。その前月の69年11月20日に佐藤・ニクソン両首脳は「1972年沖縄返還、核抜き」を発表し、「メースB撤去」で「沖縄の核撤去」を大々的にPRした。
しかし両首脳は同時に「緊急事の沖縄核再持ち込み、核貯蔵施設の維持」を密約していた。佐藤、ニクソンの署名入り密約文書を展示し、「核抜き」がまやかしであったことを明らかにしている。
復帰前の沖縄には何発の核兵器があったか。展示する米国文書は「1967年―1287発」を図示する。米軍が韓国、グアム、フィリピン、台湾などアジアに配備した3000発余の核兵器の3分の1以上が沖縄に集中し、沖縄が米軍の核世界戦略の最重要拠点であったことを明らかにする。「台湾―56発」、米軍が中国との戦争を想定し、沖縄だけでなく台湾にも核兵器を配備していた事実に驚かされる。
前回のコラムで、うるま市勝連平敷屋のメースB核ミサイル基地周辺に、「ホーク」、「ナイキ・ハーキュリーズ地対空核ミサイル」が配備されていた地元住民の目撃証言を紹介した。米空軍の最大拠点の嘉手納基地、核を貯蔵する嘉手納弾薬庫周辺のうるま市平敷屋、読谷村、恩納村、金武町に「メースB核ミサイル基地」が配備され、同時に、敵ミサイルを防御する「ハーキュリーズ地対空核ミサイル」「ホークミサイル」も配備していた。
中・ソを標的とする「核攻撃基地」は当然、敵核ミサイルの標的となり、防御の「核地対空ミサイル」も必要だと米軍は考えていた。NHKドキュメンタリー「沖縄と核」のディレクター松岡哲平氏の同名の著書は、沖縄のメースB基地が敵ミサイルの核攻撃に耐え、核反撃能力を維持する頑強な構造であったことを明らかにしている。
それだけではない。米海兵隊文書によると、米軍はソ連との戦争で沖縄が奪われる事態を想定し、米軍自ら沖縄の米軍主要基地を核自爆攻撃する計画を立てていた。「基地が敵の手に落ちるくらいなら、海兵隊は核兵器で自らの基地を破壊する」(『核と基地』)。
1998年の地元紙の記事も展示され、参観者は「米軍は住民を虫けらとしか思っていなかった」と絶句する。筆者は「日本軍も住民が汗水流して造った飛行場を、米軍に奪われるよりは、と沖縄戦の直前に破壊した。軍隊の論理は一緒」と解説している。
「核ミサイル拠点沖縄」は過去の話だろうか。安倍元首相らの「核共有論」は米核兵器の持ち込みと運用を提起するが、日本のどの地域も「核持ち込み」に反対するだろう。米軍核の「再持ち込み」と「核貯蔵機能維持」が約束される地は沖縄以外にない。
安倍氏は口にしないが、心中で「沖縄」を名指していることだろう。日米中が戦うことになれば、「沖縄だけでなく本土も巻き込まれる」と指摘する軍事専門家もいる。首都防衛のために在日米軍中枢の横田基地も「核共有」基地としてはどうだろうか。
写真資料を提供する東アジア共同体研究所は沖縄、全国で「ミサイル要塞化」写真展を開催している。横田基地周辺でも開催を予定している。
新垣邦雄(ノーモア沖縄戦の会事務局、東アジア共同体研究所 琉球沖縄センター 前事務局長)
〇今週のピックアップ
発起人である三上智恵さんは日本記者クラブでの日本復帰50年に合わせた記者会見を行った。この中で「沖縄戦では軍隊は住民を守らなかったが、今では軍隊がいる方が安全という考えが『ウィルス』のように広がっている」と指摘した。
(「ノーモア沖縄戦 命どぅ宝の会 メールマガジン第15号」より転載)
〇ISF主催トーク茶話会(12月25日):望月衣塑子さんを囲んでの トーク茶話会のご案内
※ご支援のお願いのチラシ作成しました。ダウンロードはこちらまで。
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