第1回 竹下登内閣期(1987年11月~89年6月)~宇野内閣期(89年6月~89年8月)
政治1.「政治改革」論議のはじまり
平成の初期には「政治改革」論議が起こりました。この時期に「政治改革」が始まった直接的なきっかけはリクルート事件によるものでした。ですが、リクルート事件が起きた時点では、冷戦終結後の世界的な視野で日本の今後のあり方を議論すべき政治改革論議が必要だという認識は政界にも国民にもありませんでした。
冷戦の終結は、1989年12月のマルタ会談と考えられていますので、リクルート事件が起きた時期が少しだけ早かったことになります。
実質的な改革の担い手とは別に、形式的に初めて政治改革の必要性を口にしたのは当時の竹下登首相でした。
竹下は89年の年頭の内閣記者会との会見において政治改革元年への決意を述べます(読売89.1.1)。
竹下が最重要課題と位置付けた政治改革の特徴は、単なる政界浄化というスローガンにとどまるものではなく、法改正を伴う改革を視野に入れたことでした。竹下は賢人会議を翌2月に発足させることを決めます(読売89.1.7)。そして、賢人会議とは別に自民党内にも「政治改革委員会」も設置されることとなり、その陣容が決まります(読売89.1.13)。
この時期には既に、第8次選挙制度審議会の設置も決められていました。自民党内の政治改革委員会と政府の第8次選挙制度審議会は、この後、車の両輪の役割を果たしていくこととなります。
1973 年京都市生まれ。2000 年立命館大学大学院政策科学研究科修士課程修了。修士(政策科学)。2004 年財団法人(現・公益財団法人)松下政経塾卒塾(第22 期生)。その後、衆議院議員秘書、シンクタンク研究員等を経て、2008 年鹿児島大学講師に就任。現在鹿児島大学学術研究院総合科学域共同学系准教授。専門は政治学。著作に『「政治改革」の研究』(法律文化社、2018 年)、『立憲民主党を問う』(花伝社、2021 年)。