【連載】塩原俊彦の国際情勢を読む

天然ガス大国ロシアの長期戦略:ロシアの「キャンセル」は不可能だ〈下〉長期的展望

塩原俊彦

・「ブルー水素」と「アンモニア」に活路

長期的な戦略として有効性が見込まれる戦略がロシアに存在しないわけではない。それは、「ブルー水素」と「アンモニア」に活路を見いだそうという戦略である。これこそが「水素・アンモニア戦略」だ。この戦略を理解してもらうには、まず、水素製造にかかわる基本的な情報を知る必要がある。

2020年7月になって、欧州委員会は「水素戦略」

https://ec.europa.eu/commission/presscorner/api/files/attachment/865942/EU_Hydrogen_Strategy.pdf.pdf)を公表する。

①2024年までに、欧州連合(EU)域内に少なくとも6ギガワット(GW)の再生可能水素電気分解(電解)装置を設置し、最大100万トンの再生可能水素の生産を支援、②2025~2030年にかけて、水素は統合エネルギーシステムの本質的な部分となる必要があり、少なくとも40GWの再生可能水素電解装置と1000万トンの再生可能水素をEUで生産することが求められている、③2030年以降、再生可能水素はすべての脱炭素化の困難な部門に大規模に導入される――というのが工程表だ。

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この水素戦略をわかりやすく示したのが「欧州水素戦略の概略」である。そこに登場するのが「グリーン水素」である。これは、核発電所を除く、風、太陽、水、炭化水素を使用しない他のエネルギー源を利用した水の電気分解によって得られる水素を指している。

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ほかに、「ブルー水素」(2H₂O=>2H₂+O₂)と呼ばれるものがある。こちらは、天然ガスや石油(ガソリン、灯油、ナフサ)といった化石燃料を高温下で水蒸気と反応させる(CH₄+2H₂O=>4H₂+CO₂)ことで水素や二酸化炭素を含むガスが発生(水蒸気改質)し、圧力変動吸着分離法(PSA)で他の物質と分離し水素だけを取り出すことと、発生する二酸化炭素を「二酸化炭素回収・貯留」(CCS)技術を使って収集し、地中深くに貯留・圧入するか、あるいは、「二酸化炭素回収・利用・貯留」(CCUS)技術を使って二酸化炭素を古い油田に注入し油田に残った原油を圧力で押し出しつつ、二酸化炭素を地中に貯留するという組み合わせによって製造されるガスを意味している。

なお、核発電による電気を利用して製造される水素は「オレンジ水素」と呼ばれることがある。「二酸化炭素回収・貯留」(CCS)技術なしの場合、「グレー水素」と呼ばれている。

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国際再生可能エネルギー機関(IRENA)の公表している報告書”Global Renewables Outlook: Energy transformation 2050”

https://www.irena.org/-/media/Files/IRENA/Agency/Publication/2020/Apr/IRENA_Global_Renewables_Outlook_2020.pdf)によれば、今日、年間約120メガトン(Mt)(14EJ)の水素が生産されている。

しかし、そのほぼすべてが化石燃料から、あるいは化石燃料で発電された電気から作られており、カーボンフットプリントが高く、グリーン水素は1%未満である。ただ、グリーン水素は、再生可能な電力で電気分解して製造され、そのコストは急速に低下している。

グリーン水素は、今後数年のうちに、低コストの再生可能電力が利用できる地域では、ブルー水素(化石燃料とCCSを組み合わせて製造)とコスト競争力を持つようになると予想されている。さらに、水素は炭化水素やアンモニアに加工することができ、船舶や航空機の排出ガス削減に貢献することができる。

エネルギー転換シナリオでは、2050年までに年間160Mt (19EJ) のグリーン水素が生産されると予測されている。ただし、この量は、現在の世界のエネルギー需要の5%をカバーするに過ぎず、さらに2.5%はブルー水素で賄われる。

この量を生産するには、電解槽の大幅なスケールアップが必要であり、現在から2050年まで、年間50GWから60GWの新規容量の追加が必要である。

・メタンの熱分解による水素製造

いずれにしても、こうした抜本的な大変革が見込まれているため、ロシアの産出する天然ガスについても長期戦略に基づく変革が以前から検討されていた。

ロシアが注目するのは、メタンの熱分解による水素製造だ。酸素を利用せずに天然ガスから水素を得る方法(CH₄=>2 H₂+C)で、二酸化炭素の生成を排除し、その代わりに固体炭素(すす)が副産物となるが、気候的に中立であり、幅広い用途に利用できるという。

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この水素製造方法は消費エネルギーが少なくて済むという特徴がある。ロシア国営の総合エネルギー企業、ガスプロムのデータによると、水の電気分解では1立方メートルあたり2.5~8キロワット時の電力量が必要だが、メタンの熱分解では0.7~3.3キロワット時で済む。ドイツのBASFによると、その差はさらに大きく、3~4倍どころか10倍近くにもなるという(ロシア語の『エクスペルト』[https://expert.ru/expert/2021/04/kak-ne-ugodit-v-vodorodnuyu-lovushku/]による情報)。

ロシア政府は2020年6月9日付の政令により、「2035年までのエネルギー戦略」(https://minenergo.gov.ru/system/download-pdf/1026/119047)を承認した。

このなかで、「天然ガスから水素およびメタン・水素混合物を製造することは、天然ガス利用の多様化と効率向上のための有望な方法である」と明記されている。さらに、「ロシア連邦は水素製造のはなはだしい潜在力をもっている」と指摘している。そのうえで、電気分解やメタン熱分解による国内での水素製造が計画され、2024年までに20万トン、2035年までに200万トンの水素輸出が計画されていた。

ただ、この計画を実現するには、ガスプロムが運営している幹線ガスパイプラインを水素輸送用に置き換える必要性が生まれる。これは、既存のガスパイプライン網を破壊することを意味し、国家財政の大黒柱であるガスプロムの収益に大打撃を与えかねない。

このため、いまでは天然ガス輸出を維持し、消費地であるEU域内で熱分解して水素を製造するという選択肢のほうがロシアの利益になるとの見方が生まれている。そうであるとすれば、ノルドストリームやノルドストリーム2が破壊されても、致命的な打撃ではないと「強がる」ことも可能となる。

2020年10月12日付政令で、「2024年までの水素エネルギー開発に関する行動計画(ロードマップ)」が承認された。水素エネルギーをさまざまな分野で利用することがカーボンニュートラルを実現するための重要な手段と位置づけられている。

実は、ソ連時代、世界初の水素エンジン搭載機(トゥポレフ155型機)を誕生させた経験があるだけに、ロシアが「水素元年」以降、急浮上する可能性がないわけではない。

2020年9月には、ロシアの無人航空機の開発者が世界で初めて水素燃料電池を無人機に搭載し、飛行試験の準備が整ったとの記事(https://expert.ru/expert/2020/37/vodorod-vzletaet-vertikalno/)がロシア語雑誌『エクスペルト』に掲載された。

・「ブルー水素・アンモニア戦略」にとっての4つの障害

ここで、「ブルー水素・アンモニア戦略」にとって、現状では4つの障害があるという話をしなければならない。

①低排出(ブルー)ガス水素の世界市場が存在しない現状、②ロシアから世界市場に輸出される水素は、既存の主要ガスパイプラインを利用できないため未解決の問題がある、③ロシアにとっての非友好的な国の消費者がロシア産の水素を拒否する可能性があるため、水素問題への関心が低下している、④温室効果ガス排出の観点から「ブルー」水素を「グリーン」電解水素のレベルにまで引き上げる、二酸化炭素を高い割合で回収するメタン分解技術の利用可能性に疑問がある――というのがそれである。

だが、これらの障害は決して克服できないわけではない。まず、ブルー水素やグリーン水素の消費量は2050年まで、そしてそれ以降も、順調に伸びていくと考えられる。国際エネルギー機関(IEA)は、2021年に100万トン未満だった非公害水素の消費量を、2030年には1600万〜2400万トンと予測している。

コンサルティング会社のマッキンゼー社は、2030年までの期間の水素プロジェクトのプールのコストを2400億ドルと推定しており、そのうち220億ドル相当のプロジェクトがすでに最終的な投資決定をくだしているとしている。

発表された投資額と決定された投資額のギャップは、欧州やアジアのエネルギー危機によって説明される。このギャップは、米国が2022年8月の水素経済刺激法案(IRA)の実施を開始することで、急速に縮まりはじめるだろう。

 

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塩原俊彦 塩原俊彦

1956年生まれ。一橋大学大学院経済学研究科修士課程修了。学術博士。評論家。 著書:(2023年9~10月に社会評論社から『知られざる地政学』(上下巻)を刊行する) 【ウクライナ】 『ウクライナ戦争をどうみるか』(花伝社、2023)、『復讐としてのウクライナ戦争』(社会評論社、2022)『ウクライナ3.0』(同、2022)、『ウクライナ2.0』(同、2015)、『ウクライナ・ゲート』(同、2014) 【ロシア】 『プーチン3.0』(社会評論社、2022)、『プーチン露大統領とその仲間たち』(同、2016)、『プーチン2.0』(東洋書店、2012)、『「軍事大国」ロシアの虚実』(岩波書店、2009)、『ネオ KGB 帝国:ロシアの闇に迫る』(東洋書店、2008)、『ロシア経済の真実』(東洋経済新報社、2005)、『現代ロシアの経済構造』(慶應義塾大学出版会、2004)、『ロシアの軍需産業』(岩波新書、2003)などがある。 【エネルギー】 『核なき世界論』(東洋書店、2010)、『パイプラインの政治経済学』(法政大学出版局、2007)などがある。 【権力】 『なぜ「官僚」は腐敗するのか』(潮出版社、2018)、『官僚の世界史:腐敗の構造』(社会評論社、2016)、『民意と政治の断絶はなぜ起きた:官僚支配の民主主義』(ポプラ社、2016)、Anti-Corruption Policies(Maruzen Planet、2013)などがある。 【サイバー空間】 『サイバー空間における覇権争奪:個人・国家・産業・法規制のゆくえ』(社会評論社、2019)がある。

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