【特集】砂川闘争の過去と現在

砂川闘争と私

福岡愛子

1950年生まれの私が、55年に始まった砂川闘争について関心を寄せるようになったのは、21世紀に入ってからだった。60年代の学生運動について聞き取りをした際、運動経験の始まりは砂川だったと語る人が何人かいた。その後NHKのBSで、米軍基地拡張に反対し勝利した闘いとして映像化された番組を見た。亀井文夫監督のドキュメンタリー映画『流血の記録 砂川』の印象も強烈だった。

その砂川に足を運ぶことになったのは、メールマガジン「オルタ」の発行人で今は亡き加藤宣幸さんから、砂川平和ひろばの福島京子さんを紹介されたからだ。そして2015年に、一緒に沖縄の辺野古や高江を訪問する仲となった。おかげで、砂川闘争は当初から沖縄との連帯を重視していたこと、また農地を守るための実力行使だけでなく、その後のねばり強い裁判闘争があったことなども知ることができた。福島さんの父、反対同盟副行動隊長だった宮岡政雄さんの『砂川闘争の記録』は、くり返し読んだ。

15年の秋には「砂川闘争60周年記念集会」が企画されて、私も準備や運営に関わった。かつての活動家や裁判闘争を支えた弁護士などの年配者から、米国レイクランド大学日本校の若い学生まで、多彩な人たちが砂川の大地に集まった。同校で歴史学を教えるアダム・トンプキンスさんと出会い、「日本の大衆的な歴史叙述には、抗議運動やアクティヴィズムの物語が乏しい」という指摘に刺激を受けた。17年のフィールドワークでは、デニス・バンクスというネイティヴ・アメリカンにとっての砂川闘争についても語ってもらった。

Tachikawa skyline illuminated at dusk. Shooting Location: Tokyo Tachikawa

 

デニス・バンクスは、横田基地に駐留する空軍兵士として砂川にも動員されていたという。彼は、基地内に入る者がいたら「撃ち殺していい」と言われて警備にあたっていた。目の前で日本の警察が、非武装で抵抗する人々に暴力をふるうのを見て、彼は自分が間違った側に立っていることを悟った。何世紀にもわたって理不尽に土地を奪われてきたアメリカ先住民の歴史を、砂川の人々の経験に重ねることができたのだ。アメリカに帰国した彼は、1968年に仲間とともにアメリカン・インディアン・ムーヴメントを創始し、人種差別や政府の不当性と対決する運動を展開した。かつての自分とは全く異なる立場で日本を再訪し、日本の運動と新たな関係を築きつつあったが、惜しくも2017年に亡くなったのだった。

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福岡愛子 福岡愛子

社会学者・翻訳家

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