旧統一教会とウクライナネオナチの結節点―1970年の『WACL大会』を始まりとした歴史的考察―
国際冷戦期に旧ナチスドイツを利用した米国
さらにステスコとOUNは、1943年2月にスターリングラードで敗れたナチスドイツが東部戦線での赤軍の攻勢に対処するため、非ロシア人を集めて同年11月に結成した「被支配国家委員会」という軍事組織に馳せ参じる。これにはルーマニアの「鉄衛団」やハンガリーの「矢十字団」といった、いくつかの枢軸国のファシスト団体も加わった。
1945年5月9日にベルリンでナチスドイツが赤軍に無条件降伏した後、共に協力者としてユダヤ人を虐殺したステスコは裁かれるどころか、「被支配国家委員会」を母体に1946年4月にミュンヘンで結成された「反ボルシェビキ民族ブロック」(ABN)の会長に就任する。①反ボルシェビキ、②ソ連邦の(ユダヤ人を除く)民族国家ごとの分割――を掲げたこの集団は、OUNが最大の部隊を構成した。
そしてこのABNを支援したのは、英国の諜報機関に加え、ナチスドイツの参謀将校でありながら敗北直後に旧ソ連の軍事情報を米軍に売り込んで身を逃れ、米軍の後押しで対ソ連諜報機関を設立したラインハルト・ゲーレンの「ゲーレン機関」であった。
ステスコとOUNはナチスドイツが滅んでも今度はその残党と手を組みながら、かつての「敵」であった米英の支援を受け、旧ソ連・共産主義に対する破壊工作を展開していった。
「(ABNの中心を占めた)ウクライナの民族主義勢力は、ウクライナの義勇兵で組織されたナチスドイツの武装親衛隊(SS)の師団や、OUNの武装組織、犯罪者、その他の様々な民兵の集合体だった。彼らは主にウクライナ西部の森林に籠り、集団農場や兵士を襲撃し、ソ連政府高官を暗殺するために活動した。……CIAは武装させただけでなく、スパイや戦闘部隊のチームも派遣した。戦闘は1950年代半ばまで続き、1960年までに最後の生き残りが(旧ソ連に)殺害・逮捕された」(注11)。
ABNは欧州各地で反ソ連デモや集会、反共キャンペーン等の活動も継続しながら、ウクライナでの破壊工作が失敗に終わると、今度はAPACLに接近して台湾からの資金援助を得ながらWACLを結成し、守備範囲を広げていく。
ちなみに70年代半ばに旧統一教会はWACLとの関係を弱めていくが、WACL自身は1980年代に全盛を極め、特にCIAと協力した中南米での反共・破壊工作は当時のレーガン政権から「自由戦士」として称賛された。
また、ステスコの盟友でOUNの幹部であり、ゲシュタポと組んでユダヤ人やポーランド人の「民族浄化」を実行した秘密警察のトップのミコラ・レベトも逮捕を免れ、1946年12月にミュンヘンで米陸軍対敵防諜部隊(CIC)に採用された。その後、レベトは1949年にニューヨークに移送され、設立されたCIAのフロント企業で旧ソ連の情報収集活動に従事した。
アメリカン大学の教授で歴史学者のクリストファー・シンプソンが1988年に刊行した『Blowback: U.S. Recruitment of Nazis and Its Effects on the Cold War; The Paperclip Conspiracy: The Hunt for the Nazi Scientists』は、1940年代から50年代にかけての戦後の米諜報機関と旧ナチス及びその同盟者との密接な関係を暴いた労作だが、そこには次のような一節がある。
「CIAや国務省、米軍の諜報機関はそれぞれ別個に、選ばれた元ナチスや協力者を米国に呼び寄せるという特別な目的のためにプログラムを立ち上げた。……政府はこれらの人々をプロパガンダや心理作戦の専門家として米国の研究所で働かせた。……こうして新たに徴用された人々の何百人、あるいは何千人はSSの退役軍人であり、何人かはナチスの秘密機関である血にまみれたSSの情報部SD(親衛隊保安局)の将校であった」。
WACL大会から52年後の今
また「司法省は1985年になってレベトがウクライナとポーランドにおける大量虐殺で果たした役割に関する調査を開始したが、CIAの妨害でもみ消された」(注12)とされる。
レベトはそうした米国の「プログラム」の一環であったが、すべては戦後、米国がナチスドイツに代わって旧ソ連と戦うのを最大の目標にしたことから派生している。そのため、「旧ナチスのネットワークは、その人材ややり方、使命と共に、NATOの構造に組み込まれ、組織の骨格を形成した」(注13)のであって、ABNはそれを証明する典型的な例だ。
重要なのは米国がウクライナのナチス協力者を温存・利用したのみならず、そのおぞましいレイシズムをそっくり受け継ぎ、冷戦終結後に勃興したウクライナのネオナチ勢力とも緊密に連携したという事実に他ならない(注14)。
反ユダヤ主義と並び、ステスコやレベト、OSUに共通するのは、彼らが「ムスコビト」という蔑称を使うロシア人が「モンゴル人とフン族の子孫である野蛮な非ヨーロッパ民族」であって、北欧の人種の直系である「純粋ウクライナ人」にとっての「民族の敵」であるというレイシズムであり、それは2014年2月のクーデターで国家の暴力装置に入り込んだネオナチのイデオロギーに今日も脈々と生きている。
そうしたレイシズムによる異様なロシア人(あるいはウクライナのロシア系住民)への憎悪が、2014年2月のクーデター以降の東部ドンバスにおけるロシア系住民の虐殺を招き、さらにドンバスでの紛争を終息させるためロシア系住民の自治を盛り込んだ2015年2月の「ミンスク合意2」の履行を不可能にさせたのは疑いない(注15)。
その結果、米国が従来から構想していたウクライナを使ってのロシアとの「代理戦争」が可能となった。米国はウクライナのナチスドイツ協力者に対ソ連、その系譜にあるネオナチに対ロシアにおける利用価値をそれぞれ見出したのは疑いない。
1970年9月20日の日本武道館でのWACL大会で、ウクライナのナチス協力者を中軸としたABNは、旧統一教会が加わった戦犯・黒幕人脈と合流した。それは、米国の冷戦戦略の「道具」として共に利用されなければ実現しなかった「出会い」であった。そしてこの「出会い」は、50年以上前の歴史のエピソードで終わってはいない。
繰り返すようにウクライナのナチスドイツ協力者を利用した米国の冷戦戦略は今日のウクライナでの戦争と不可分であり、日本でも似た状況が起きている。
戦犯を釈放した米国は、岸や笹川、児玉らが「フィクサー」や黒幕として隠然たる力を有するのを許したことにより、自身が制定に関与したはずの日本国憲法が常に破壊の危険に直面し続けるという、戦後の歪んだ政治状況をもたらした。
そして旧統一教会はその勢力の中で反共と改憲の前衛としての役割が与えられ、近年では最も密着した庇護者で岸の孫の安倍元首相が暗殺されたのを契機に、人々の予想を超えた影響力を自民党に対して及ぼしていた事実が明らかになっている。
それは、米国が「台湾有事」を口実に米軍と自衛隊を一体化させつつ、日本を正面に立ててロシアの次に狙っている中国との戦争に向かわせようと計画している巨大な動きの中で、戦犯・黒幕勢力に加わった旧統一教会が、現在も無視できない何らかの役割を担っていることを暗示していよう。
言い換えれば米国の支配戦略の中で、国際的反共運動の中核を担ったウクライナのナチスドイツ協力者の系譜であるネオナチは現在の戦争に、そして戦後の戦犯・黒幕人脈につながる旧統一教会はこれからの戦争に、それぞれ役割を見出しているのかも知れない。
(注1)「先生のみことば 復帰と祝福」『成約の鐘』№13(1969年2月15日)。
(注2)「我らが願うその国へ行かん(下)」『成約週報』№133(1967年11月29日)。
(注3)旧統一教会は韓国で誕生してから「異端宗教」として白眼視され、軍事政権になって「勝共運動」を開始し、反共の理論的役割を担うことによってのみ市民権を得た。その内部動向については、成澤『統一教会の策謀:文鮮明と勝共連合』(八月書館。1990年刊)を参照。
(注4)『INSIDE THE LEAGUE』は現在、ネットでも読める。(URL:https://ia802907.us.archive.org/31/items/inside-the-league-wacl/inside%20the%20league%20WACL.pdf)。
(注5)『世界思想』1976年新春号。
(注6)旧統一教会が戦犯・黒幕勢力と接近した結果、公安警察とのコネクションができた形跡がある。旧統一教会が韓国の本部から送られた『新しい共産主義批判』の原本を翻訳して刊行した後の1968年に、「3月2日(土) 警視庁公安三課に『新しい共産主義批判』20冊贈呈。100冊はほしいとのこと。3月4日(月)、警察と国会議員に『新しい共産主義批判』20冊贈呈。3月5日(火)、一色公子姉警視庁に行き、『新しい共産主義批判』100部贈呈」(「週間の目」『成約週報』№164 1967年11月29日)という動きがあった。
(注7)November 1,2002「Moonies Are Target Too Big To Be Missed」(URL:https://larouchepub.com/other/2002/2942moonie_targt.html).
(注8)『Legacy of Ashes: The History of the CIA』(2007)。なお米国国立公文書館(NARA)の個人ファイルの機密解除に関し、特に岸信介についてはほとんど未公開の扱いになっている。
(注9)June 13, 2022「How monsters who beat Jews to death in 1944 became America’s favorite “Freedom Fighters” in 1945—with a little help from their friends at CIA (Part 2)」(URL:https://mronline.org/2022/06/13/how-monsters-who-beat-jews-to-death-in-1944-became-americas-favorite-freedom-fighters-in-1945/).
(注10)(注4)と同。
(注11)(注9)と同。
(注12)7 février, 2014「Les puissances occidentales fomentent un coup d’Etat néo-nazi en Ukraine」(URL:https://solidariteetprogres.fr/nos-actions-20/analyses/ukraine-coup-etat-neonazi-10875.html).
(注13)November 2008「THE GUNS OF AUGUST: Nazis, NATO and the Color Revolutions」(URL:https://www.invissin.ru/topics/ukrain_en/the_guns_of_august/).
(注14)米国がウクライナのネオナチのレイシズムを利用した事実については、成澤 2022.10.25「改めて検証するウクライナ問題の本質:XVIII NATOの秘密作戦Stay-behindの影(その6)」(URL:https://isfweb.org/post-9949/)を参照。
(注15)2014年2月のウクライナクーデターにおける米国とネオナチの結託については、成澤 2022.09.27「改めて検証するウクライナ問題の本質:XVI NATOの秘密作戦Stay-behind の影(その4)」(URL:https://isfweb.org/post-8590/)を参照。
〇ISF主催公開シンポジウム(11月25日開催)『ウクライナ危機と世界秩序の転換 ~情報操作と二重基準を越えて』の受付申込
※ウクライナ問題関連の注目サイトのご紹介です。
https://isfweb.org/recommended/page-4879/
※ご支援のお願いのチラシ作成しました。ダウンロードはこちらまで。
1953年7月生まれ。中央大学大学院法学研究科修士課程修了。政党機紙記者を経て、パリでジャーナリスト活動。帰国後、経済誌の副編集長等を歴任。著書に『統一協会の犯罪』(八月書館)、『ミッテランとロカール』(社会新報ブックレット)、『9・11の謎』(金曜日)、『オバマの危険』(同)など。共著に『見えざる日本の支配者フリーメーソン』(徳間書店)、『終わらない占領』(法律文化社)、『日本会議と神社本庁』(同)など多数。