「沖縄問題?」としてのPFAS
琉球・沖縄通信「沖縄問題」を初めて認識したのは中学2年生の頃だったと思う。新聞の「燃える井戸」という大きな見出しを覚えている。ネットで調べると「1967年10月 嘉手納基地から廃油流出、井戸水が燃え上がるほど汚染される」とある。記憶は正しいようだ。井戸水に火をつけると燃えるほどの大量の石油が基地から近隣の井戸に漏れていたことが問題になっていた。
当時は井戸から飲料すらしていたと思う。その後か、小林一茶の全国俳句大会で中学校の同級生が文部大臣賞か何か最高賞を受賞した。表彰された俳句「原潜の記事しきりなり島の秋」も、また、私に「沖縄問題」を認識させた一つだった。中学生なりに「沖縄問題」が米軍基地問題であることを認識した私は、「アメリカ人と仲良くなって問題を解決できるように英語を勉強しなきゃ」と殊勝にも思ったのだった。
あれから数十年、英語力は少々ついたものの、沖縄は相変わらず、様々な「沖縄問題」を抱え続けている。それは、ヘリが大学や住宅近くに墜落する事故であり、飛行中のヘリや米軍機から部品が保育園や小学校に落下する事故であり、20代の女性がジョギング中に米兵に暴行、殺害される事件であり、嘉手納だけでなく今や島中に響く米軍機の爆音被害であり、美しい大浦湾の海を土砂で埋め立て民意を無視して続けられる辺野古新基地建設であり、米軍基地内の爆発的感染による住民間のコロナ感染拡大であり、そして、米国でも問題となったPFOS、PFOA(以下、有機フッ素化合物PFAS)による土壌や川、水道水の汚染である。
それらの問題は全て米軍基地に絡む問題であり、繰り返される沖縄県や市町村の抗議や要請では一向に解決しないし、解決の見通しも立たない。
何故か?国会よりも上位の日米合同委員会、憲法より上位の日米地位協定のもと、米軍人は日本国民よりも上位にあるからである。基地無き平和を求め、平和憲法による基本的人権の保障を願って復帰した「祖国」日本は、米国(米軍)隷属国家であり続け、その度合いは強まる一方で、永続敗戦国家日本としての問題を相変わらず沖縄に負担させ続けているからである。
さらに、上記の沖縄のもろもろの問題は問題にもならぬとばかり、今や、米軍基地に加え南西諸島全てに自衛隊を配備し、米軍指揮下での対中戦争の戦場として沖縄を米国に差し出す現状だ。その前に行われたことは、基地に囲まれた沖縄県民の反戦行為を阻止するための、戦争準備法と言われる「土地規制法」の成立だった。
返還されたはずの那覇軍港では台湾有事を想定した米軍の訓練が始まり、連日朝10時集合で市民の抗議集会が開かれた。
米国旗を掲げた軍の物資輸送船が居座る港。轟音の中、兵士を乗せて飛び立つ巨大ヘリ。「No War!!」と書いたプラカードを持つ米兵が抗議する市民の配役を果たし、対峙する米兵が銃を突きつけ鎮圧する訓練までがフェンスの向こうで行われている。銃の前に立つ市民、それは明日の我が身、恐怖と怒りに震えた。
独立言論フォーラム・理事。沖縄県那覇市生まれ。2019年に名桜大学(語学教育専攻)を退官、専門は英語科教育。現在は非常勤講師の傍ら通訳・翻訳を副業とする。著書は「沖縄の怒り」(評論集)井上摩耶詩集「Small World」(英訳本)など。「沖縄から見えるもの」(詩集)で第33回「福田正夫賞」受賞。日本ペンクラブ会員。文芸誌「南瞑」会員。東アジア共同体琉球・沖縄研究会共同代表。