第5回 足利事件⑤:土、日だけ遺体発見現場近くの借家に住む男
メディア批評&事件検証足利事件の解決を目的に目撃者探しや殺害方法などについての捜査が進む一方で、栃木県警では科学的捜査も進められた。遺体の様子から、松田真実ちゃん(4)の肌着に犯人に結びつく試料が残されている可能性が高いとみた捜査本部は、すぐに同県警科捜研に検査を依頼した。
肌着は、遺体発見翌日の1990年5月14日に遺体発見現場から南へ40㍍ほど下流の浅瀬で、真実ちゃんが履いていた赤いスカートの中に包まれている状態で発見された。それは木綿製で、化学繊維と違い精液を繊維の深部にまで染みこませて吸収しやすい性質がある。陰毛も1本付着していた。
たっぷりと川の水を吸い込んだ肌着を科捜研の福島康敏技官はまず、ヒーターの温度を37度に設定し、2日間ほどかけて乾燥させたことになっている。泥で汚れた肌着の背面のかなりの広範囲に黄色の斑点があるのを見て取った。
精液の可能性があるが、司法解剖による死亡推定時刻が同年5月12日午後7時から8時前後とされることを考えると、約15時間は肌着が川の流れの中に浸かっていたことになる。浅瀬とはいえ、水深は10㎝ほどあるため、独自に運動性を発揮した精子が肌着から離脱して流出した可能性も考えられる。
精子はどのくらい肌着に残存しているのだろうか。福島技官はそれを確認するため、肌着の表と裏の全面に「SMテスト」と呼ばれる検査を試みた。「酸性フォスファターゼ」という試薬を精液に噴霧すれば、紫色の発色反応(陽性反応)を示す。その結果、表面の背部中央から裾部にかけて7ヵ所の斑痕部が紫色になった。精液の付着が確認できた瞬間だった。
斑痕部から顕微鏡で観察できる大きさは、普通わずか半径1㌢以内である。福島技官はそのうち2ヵ所を切り取り、それぞれ別のプレパラートに載せて顕微鏡で観察した。精子の頭部が少なくとも3個確認できた。
捜査本部が考えていた通り、肌着には犯人由来の可能性がある遺留試料の精子が残っていた。福島技官がその斑痕部をさらに検査したところ、ルイス式血液型は「分泌型」、ABO式血液型は「B型」であることが判明した。ここまでは良かった。
福島技官は同月末に警察庁の科警研に電話をかけ、向山明孝技官に米国・ユタ大学のハワード・ヒューズ医学研究所から笠井賢太郎技官が持ち帰って、導入したばかりのDNA型鑑定「MDT118」法を打診した。
DNAには、同じ塩基配列が何度も繰り返し現れる箇所が多数存在する。その反復回数を調べることがDNA型鑑定の手法であり、従来の血液型に比べてかなりの確率で個人を識別できるという。しかし、向山技官は、肌着が15時間近くも川に浸かっていたことを理由に挙げて、鑑定は不可能ではないか、と依頼を断った。
ただし、この真意は明らかではない。なぜなら、その後に科警研に試料が移されることになるからだ。驚くべきことにその間の1年3ヵ月もの間、この肌着はロッカー内に、しかも常温で保管されていた。大事な証拠試料の劣化を防ぐ対策などは何一つなされていなかったのだ。
栃木県警の捜査本部は、犯人像を①血液型がB型、②いわゆる「ロリコン」、③性的異常者、④土地勘がある成人男性と見ていた。
事件が発生した当日、渡良瀬運動公園内から主婦の一ノ瀬薫さん(仮名・当時33)と会社役員の石川幸太さん(仮名・当時56)の2人が女の子を連れた男を見ていたが、他には有力な目撃情報や証拠が得られず、捜査は難航した。
事件から半年ほど過ぎたころのことだ。捜査本部がこれまでの捜査から絞った犯人像に合致する人物が捜査線上に突如浮かびあがった。自転車で15分ほどのところに自宅があるにもかかわらず、土曜、日曜日だけ真実ちゃんの遺体が見つかった現場付近に家を借りている中年の男……。
事件発生から半年後の11月初旬だった。その借家付近を管轄する駐在所勤務の寺崎耕巡査部長が地区民に聞き込みをする中で、この男の存在を知った。それが、元幼稚園のバス運転手で、事件発生当時は無職、パチンコが好きな菅家利和さんだった。
独立言論フォーラム(ISF)副編集長(国内問題担当)。1956年、長崎県五島市生まれ。1978年朝日新聞社入社。西部本社報道センター次長、鹿児島総局長、東京本社特別報道部長代理などを経て2021年に退職。鹿児島総局長時代の「鹿児島県警による03年県議選公職選挙法違反『でっちあげ事件』をめぐるスクープと一連のキャンペーン」で鹿児島総局が2007年11月に石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞などを受賞。著書に『「違法」捜査 志布志事件「でっちあげ」の真実』(角川学芸出版)などがある。