砂川事件とは何であったか ―その本質と全体像を見る―
安保・基地問題3.米大使と長官の密談で最高裁判決
そうした中で57年6月27日に砂川事件が起きた。支援の労働者と学生が基地に入ったとして逮捕された事件である。逮捕された者のうち労働運動や学生運動の指導的立場にあった7人が、米軍に対する犯罪に特別に重い刑を科す刑事特別法により起訴された。
これが歴史に残る大事件に発展したのは、第一審の東京地方裁判所が59年3月30日、米軍基地を憲法違反とする判決を下したからである。伊達秋雄裁判長の名前をとって「伊達判決」と呼ばれている。
砂川事件はさらに、最高裁判所を頂点とする日本の司法制度を揺るがし、さらに日米関係に影響する大事件に発展していった。
国際問題研究家の新原昭治氏は、米国立公文書館に保管されている国務省の秘密解禁文書により砂川事件にかかわる一連の重大な事実を明らかにした。
それによれば、伊達判決の翌日、マッカーサー駐日大使は藤山愛一郎外相を呼び出し、東京高裁を跳ばして最高裁に直接上告することを日本政府に要求した。さらに田中耕太郎最高裁長官(砂川事件大法廷裁判長)と密談して、翌年早々に予定されていた日米安保条約改定調印の日程にあわせて判決日を早めることを約束させていたことが明らかになった。
その後、筆者(末浪)は米国立公文書館で、マッカーサー大使が59年11月5日に、本国の国務長官にあてた極秘書簡を発見した。書簡によれば、この日、マッカーサーは田中長官と密談し、評議における15人の裁判官の発言内容を「評議の秘密」を犯して語らせたうえで、判決理由を別の内容に変えて一本化することを約束させていた。
その内容は「憲法九条が保持を禁止する戦力はわが国自体の戦力をさし、外国の戦力はここにいう戦力に該当しない」というものであった。
こうして同年12月16日の最高裁砂川判決は、大法廷裁判官による評議の内容とはまったく別の理屈を述べたのであった。
最高裁は、全裁判官が評議ではだれも表明しなかったこの理屈を、いったいどこからもってきたのか。
4.米国務省の見解が最高裁判決に
最高裁判決のもとになる理屈を考え出したのは、49年に国務省顧問になった国際法学者のハワードである。ハワードは、米国が冷戦体制に移行するための大量の論文を書いて国務長官に提出した。それらの論文を米国立公文書館で読んだ筆者(末浪)は、その中に憲法九条に関して国務長官に新たな理屈を提案した50年3月3日付報告書を発見した。
その理屈は「日本が保有しないという戦力とは、日本の戦力であって、米国との協定により保持される戦力ではない」というものであった(末浪『対米従属の正体』高文研2012年11月1日)。
1959年12月16日の最高裁判決と同じ理屈である。
ハワードがこれを国務長官に提出したのは、最高裁砂川判決の9年半前だが、ちょうど50年のこの日に、田中耕太郎は吉田内閣に任命されて最高裁長官に就任したのだった。日本を占領統治していた極東米軍司令部はその翌日、田中の最高裁長官就任を陸軍省情報参謀部に報告した。
最高裁長官就任から半月もたたない同年3月17日にマッカーサー占領軍総司令官を訪ねた田中耕太郎は、総司令官から訪米旅行を提案された。そして、米国では「憲法で武装を放棄した日本は、連合国の占領が終わったらどうなるか、攻撃されたらどうなるか」などと講演してまわった。(末浪『機密解禁文書にみる日米同盟』高文研、2015年11月1日)
最高裁砂川判決は、米国の陸軍省や国務省によって周到に準備されたものといっても過言ではない。
1939年 京都市生まれ。大阪外国語大学(現・大阪大学)卒業。著書:「対米従属の正体」「機密解禁文書にみる日米同盟」(以上、高文研)、「日米指揮権密約の研究」(創元社)など。共著:「検証・法治国家崩壊」(創元社)。米国立公文書館、ルーズベルト図書館、国家安全保障公文書館で日米関係を研究。現在、日本平和学会会員、日本平和委員会常任理事、非核の政府を求める会専門委員。日本中国友好協会参与。