第9回 風化を許さず、国の責任を追及する 福島原発かながわ訴訟原告団長・村田弘さんへのインタヴュー
社会・経済・希望を打ち砕いた最高裁
――2022年6月17日の最高裁判決は国の責任を否定して、司法が国の原発政策にお墨付きを与えてしまった。
村田――国家賠償訴訟ですから、損害賠償の話になる。それはそうなのですが、本当に問われているのは、国家は国民を守るのかどうかなのです。守れない場合に、いったいどうするのか。最低限、補償をどうするのかという話です。その大本の議論が封じ込められる。国家賠償法の解釈の問題に矮小化される。
――損害賠償の請求原因を法的に組み立てるには、国家賠償法の解釈を通じる必要がありますが、条文は入口であって、そこに何を読み込むかは、事案の全体像を踏まえて、的確に行う必要があります。司法の独立性や「権威」がまさに問われます。
村田――最高裁が業界に「忖度」しているようでは、話になりません。司法の独立はどこへ行ったのでしょう。しみじみ感じました。業界も行政も司法も一体になって、何を守ろうとしているのかと疑問に思います。
――最高裁は、国の損害賠償責任を認めた3つの高裁判決を破棄しました。
村田――最高裁第2小法廷の4人の裁判官のうち3人の多数意見です。多数派意見は、①規制権限が行使されていれば被害は生じなかったという関係がなければ、国家賠償責任は生じない、②フクシマ原発事故前の津波対策は防潮堤などの設置が基本であった、③仮に国が東電に対して津波対策を命じていても、防潮堤設置になった蓋然性が高い、④現に起きた津波は想定以上に大きかったので、仮に防潮堤を設置していても事故は防げなかった、という筋立てです。
――予見可能性について検討していませんね。
村田――そうです。最大の争点の一つとされていた予見可能性について言及していません。国の責任を認めた3つの高裁判決は予見可能性について丁寧に検討しました。
――仮に対策を講じていたとしても事故は防げなかったという論理は、そこだけを見ると「形式上」は成立するかもしれませんが、事案の全体像を見失っています。これまで各地の裁判で積み上げてきた事実と論理を投げ捨てる結果になっています。
村田――そもそもなぜ規制権限を定めたのか、その大前提を見失って、すでに破綻したはずの「安全神話」に縋り付いています。1992年の伊方原発最高裁判決では「災害が万が一起こらないようにするため、科学的、専門的見地から十分な審査を行わせる」としていたのに、それさえも放棄してしまいました。結論も納得できませんが、それ以前に議論の土台を破壊してしまった。
――最高裁正門前に全国から駆け付けた各地の訴訟の原告や弁護団も、あっけにとられて言葉がなかったと言います。
村田――えひめ訴訟原告の渡部明歩さんは「私たちの努力が一瞬にして奪われてしまった」と表現しました。フクシマ原発事故ですべてを一瞬にして奪われました。それから10年以上の歳月をかけて人生を築き直し、立て直し、歩き始めた避難者の希望がふたたび一瞬にして奪われたのだと思います。
――ただ一人、三浦守判事が反対意見を書きました。
村田――三浦裁判官の反対意見は、①法が規制権限を定めたのは、原発事故被害の甚大さを踏まえ、最新の科学的、専門的知見に基づき、極めてまれな災害も防止するためである、②本件は生存権という基本的人権にかかわるもので、経済的利益を理由として必要な措置を講じないことは許されない、③「長期評価」の信頼性は担保されており、これに従って計算すれば敷地高を超える津波が襲来することは予見できた、④多重防護の対策を検討すべき状況にあり、防潮堤だけでなく、電源装置や建屋の水密化などの対策を講じていれば事故を回避できた可能性が高い、⑤国は法の解釈を誤り、保安院も具体的検討を怠り、規制権限行使に当たるべき機関が事実上存在していなかった、と指摘しました。
――三浦反対意見は、多数意見が安易に「安全神話」に乗っかっていることも指摘しています。
村田――多数意見の論理では、「対策なんてしても無駄だから」という論理につながりかねません。なぜ、この時点で最高裁第2小法廷が判決を出したのかも疑問があります。というのも、4つの高裁判決が出たと言っても、他にも次々と提訴されていて、判決が続く時期です。それが出そろってから最高裁の判断でも足りたはずです。
――第2小法廷の大谷直人長官の任期中に判決を出したかったのだろうという推測もあります。大谷長官は2022年6月22日に退官となりました。無理して第2小法廷判決を出すよりも、高裁判決が出そろってから最高裁大法廷に回付する途があったはずです。
村田――国の責任を認める高裁判決が多くなりすぎると困ると考えて、流れをせき止めるために急いだのではないかという推測もあります。だから、下級審の事実認定も、勝手に変更してしまった。重要論点を回避して、およそ説得力のない多数意見になってしまった。
――菅野博之裁判官の補足意見は最高裁の姿勢を見事に表明していました。
村田――菅野補足意見は、何としても国の法的責任を否定する、その目的のためなら何でもありです。前段では「原子力発電は、国を挙げて推進したものであるから、本件事故のような大規模な災害が生じた場合は、電力会社以上に国がその結果を引き受けるべきであり、本来は、国が、過失の有無等に関係なく、被害者の救済における最大の責任を担うべきだ」と言っています。
――だったら、すんなり国の責任を認めれば良い。
村田――ところが、「国家賠償法は、その行為が当時の法令、水準、状況等に照らし、平たく言えば、やってはいけないことを行い(やらなければならないことを怠り)、その結果、損害が生じた場合に賠償させるものである」と言い出す。
――まさに「やってはいけないこと」を行ったことが明らかになったのに、「当時の法令、水準、状況等に照らし」と「奇怪な法治主義」を介在させる。
村田――「本件地震、津波があまりにも大きなものであったため、長期評価を前提にした行動をしたとしても、事故を回避することができたと判断するには無理が大きすぎるからである」と逆転します。
――事故を回避できないなら原発をやめるべきだと考えるはずなのに、「事故を回避することができたと判断するには無理がある」として責任を否定する。
村田――この理屈を使えば、国は何をやっても責任を問われない。事故を起こすなら、できるだけ巨大事故にしようという話になりかねません。
――原発関連訴訟では、裁判所はもともと国の責任を認めない姿勢が顕著でした。しかし、フクシマ原発事故以後、「安全神話」が崩壊して、裁判所も事実に即して判断し、被害救済の試みを始めました。にもかかわらず、いまだに「安全神話」にしがみついて、東電の責任は認めても国の責任を否定するために、理由にならない理由を持ち出す傾向が見られます。
村田――結論ありきのため、論理がずさんというか、こじつけと言うしかない。論理の問題というよりも、裁判官の倫理が問われる問題だと思います。
・13兆円の損害賠償命令
――株主訴訟では、2022年7月13日、東京地裁が元会長ら4人に合わせて13兆3000億円余りの賠償を命じる判決を言い渡しました。
村田――原発事故をめぐって旧経営陣の民事上の責任を認めた司法判断は初めてです。勝俣恒久元会長、清水正孝元社長、武黒一郎元副社長、それに武藤栄元副社長の4人に合わせて13兆円の賠償を命じました。賠償額は国内の裁判では過去最高だそうです。
――13兆円は驚愕でした。実際に支払われることを想定していないから、これほどの巨額の賠償を命じることができたのでしょう。
村田――あまりに巨額なため、金額ばかりが注目されていますが、裁判経過と結論のつながりが重要です。というのも、裁判官たちが現場に行っているのです。丸一日かけて原発を見ています。建屋の1階の水密室も見ました。現場を訪問して、実感を持って判断した。事故の原因も、被害の程度も、単に書類の上で判断するのではなく、現場の感覚を踏まえて判断したと言えます。
――被告の主張が現実離れしていることを、きちんと見抜けたということですね。心証の形成過程が重要です。
村田――判決は、国の地震調査研究推進本部が2002年に公表した「長期評価」の信頼性について「推進本部の目的や役割、メンバー構成などから一定のオーソライズがされた相応の科学的信頼性がある知見だった」として「旧経営陣に津波対策を義務づけるものだった」と指摘しました。
そのうえで「旧経営陣はいずれも重大な事故が生じる可能性を認識しており、事故が生じないための最低限の津波対策を速やかに実施するよう指示すべき義務があったのに怠った。浸水対策をとっていれば重大な事態を避けられた可能性が十分ある」として、4人の賠償責任を認めました。
私たちにとって当然の判決ですが、結論が良かったという以上に、心証をどうやって形成するのか。どういう手順で裁判を進めて、どのように評価したのかを見ると、裁判所が現実に向き合う姿勢をきちんと示したことが分かれ目だったのだろうと思います。
――福島原発かながわ訴訟でも、裁判官に現場を見てもらう意味は大きい。
村田――私たちは裁判所に「現場を見てほしい」とずっと要請してきました。写真や映像でたくさん見ているので、見たつもりになっているかもしれないけど、原発事故の現場を自分の目でしっかり見てほしい。東電側は「もう事故から時間が経過して様子が変わっているから、見る必要はない」という趣旨のことを言っています。
――最後に、いま感じていることを一言お願いします。
村田――原発事故から12年、当事者として現実の裁判に関わって約10年。「権力側は圧倒的に強い」としみじみ感じています。しかし、弱い側にも意地があります。何万人もの命と健康を奪い、何十万人もの生活と歴史を破壊し、自然を数百年のもわたって汚染し続ける核被害を、「なかったこと」にはさせない、という意地です。
広島・長崎の原爆に匹敵する核災害をもたらした国家責任を、うやむやにさせるわけにはいきません。被害を体に刻んだ民衆の意地が、「圧倒的に強い壁」に穴を穿つ時が必ず来る、と信じています。人間と共存できない核との決別の時です。
〇ISF主催公開シンポジウムのお知らせ(2023年1月28日):(旧)統一教会と日本政治の闇を問う〜自民党は統一教会との関係を断ち切れるのか
〇ISF主催トーク茶話会(2023年1月29日):菱山南帆子さんを囲んでのトーク茶話会のご案内
※ご支援のお願いのチラシ作成しました。ダウンロードはこちらまで。
(一社)独立言論フォーラム・理事。東京造形大学名誉教授、日本民主法律家協会理事、救援連絡センター運営委員。著書『メディアと市民』『旅する平和学』(以上彩流社)『軍隊のない国家』(日本評論社)非国民シリーズ『非国民がやってきた!』『国民を殺す国家』『パロディのパロディ――井上ひさし再入門』(以上耕文社)『ヘイト・スピーチ法研究要綱』『憲法9条再入門』(以上三一書房)『500冊の死刑』(インパクト出版会)等。