【連載】モハンティ三智江の第3の眼

インドで帰国前PCR検査、結果に戦々恐々

モハンティ三智江

前号(94)は、日印対抗コロナ観戦記をお届けしたが、本筋の帰国記の続編に戻ろう。前々号(93)では、日本行きの航空券をゲットし、72時間前陰性証明も手配したが、いざ帰国が近づくと、息子への執着に悩まされたというところまで述べた。

日頃信奉する、ミカエル大天使さまの光の剣で愛着を断ち切ってもらい、かろうじて試練を潜り抜けた。プリー(Puri)、ホテル、ベンガル海への執着、愛執とともに。しかし、お試しはそれだけで終わらなかった。検査日が近づくにつれ、私は落ち着かなくなった。2022年3月10日のチケットは確かにこの手にしたのに、いっこうに日本が近づいてこない。

ネックとなっているのはいうまでもなく、陰性証明だ。もし、陽性だったら、と思うと怖くて、気持ちがどんどん沈み込んでいく。悪く考えるのはよそうと思っても、悪魔の囁きは絶えない。万が一陽性だったら、国内線チケット2人分がパーになる。日本円で1万5000円ほど。過去、キャンセルを何度か余儀なくされ、何万円と浪費したものだ。国際線はフリーで日付変更可能だが、国内線は、変更フリーサービスは終わっている。

ひとつには、鼻炎アレルギーがひどくなっていたこともあげられる。寒暖差からくるものだと思うのだが、鼻のムズムズ、グズグズ感、鼻水、くしゃみ、どうにも鼻の調子がよくない。加えて、喉のいがらっぽさ、熱や咳はないし、風邪の症状とは違うのだが、もしコロナだったらとの疑いが湧き上がってくる。

2021年9月にも出た症状で、あのときも季節の変わり目で、ネットで調べてどうも寒暖差アレルギーらしいと自己診断したのだが。喉の痒(かゆ)みはずっと以前からのもので、冷たい飲み物を通すと、刺激を受けていがらっぽくなる。ただのアレルギーだと思うそばから、疑念がそろそろともたげてくる。

検査日の1週間前から、ウェルビー(日本政府からインド全土の在留邦人の自宅無料検査を請け負った日系企業、93参照)のインド女性社員が電話でフォローアップしてくれ、3月8日当日の都合のいい時間を聞かれたので、最初は11時と答えたが、後でインド人は指定時刻に現れた試しがないと気づき、早い時間帯に指定し直した。結局、9時から11時の間というインドらしい幅を持たせた時間帯になった。

以後はWhatsAppでチャット、検査員はプリーの「E24ホスピタル」から回されることが判明したのが2日後だった。夫が2017年にウイルス性肺炎で入院した病院で馴染みがあったので、ほっとする。ただし、夫の主治医は私の肺炎を見逃すミスを犯したが。

どうも夫から感染したような気がして、3度も診てもらったのに、ただの風邪と誤診されたのだ。咳が止まらずどうにもおかしいので、結局ひと月後に日本にチェックに帰って、肺炎だったことが判明したのだった(既に自然治癒していたが、痕跡か残る)。

まぁ、しかし、検査するだけなので、問題ないだろうと思いつつも、昔、やはりインドで検査した結果が間違っていたことがあったなと思い出し、偽陽性が出たらどうしようと、不安は尽きなかった。

結局、前日まで悪い考えは去らず、ストレスが頂点に達した状態で、当日を迎えた。早く目が覚めてしまい、検査員の来訪を待ちわびた。ウェルビーからのチャットで、10時15分くらいに来訪とわかり、そわそわと待機、やっと到着した。

30代くらいの素人っぽい検査員の男性は、手に持っていた市販のパッケージを破ると、長い綿棒のようなものを取り出して私の鼻腔に差し込み、先を軽くくすぐるようにした後、もうひとつのパッケージを破って似たような器具を取りだし、喉の奥を拭った。喉が弱い私は、嘔吐しそうになって声をあげたが、すぐ終わった。ものの数分、10分とかからなかったと思う。

こんな素人じみた簡易検査でいいのだろうかと、拍子抜けするくらいだった。これが、現地ではポピュラーな検査法、鼻咽頭・咽頭拭いの混合検査だった。過去の日本の水際対策では認められていなかった検査法だ。最近、鼻腔拭いの簡易検査も認められたようで、私自身ただでさえ敏感な鼻に綿棒を突っ込まれてツンとくるのは嫌だなと思っていたが、現実の体験ではくすぐる程度に拭われたくらいで、思ったよりずっとイージーな検査だった。

何はともあれPCRテストを終えてひと息、結果は19時に出ると言われたが、インドにしては迅速で驚いた。14時に州政府からの英文メッセージが届き、あなたのサンプルは州都のラボに回されたとの通報が入ったが、結果が出るまで隔離せよと陽性者扱いでちょっと落ち込んだ。が、とりあえずは、あっけないくらい簡単に検査が終わり、ほっとしていた。あとは、運を天に任せるしかない。

ウェルビーのインド人担当者にはチャットで、検査結果が19時に出ると検査員に言われたので、知らせてくれるよう頼んでおいた。日本フォーマットは明朝だが、今夜中に結果を確認しておきたい。でないと、夜も眠れない。

待ちわびた19時過ぎ、インドには珍しく、ほぼ時間通り英文証明書が送信されてきた。NA(陰性)の英字を見たとき、ほっとしたが、念のため息子にもチェックしてもらい、再確認、長い1日がやっと終わろうとしていた。

オディシャ州都ブバネシュワールのラボから送られてきた結果には、NA(ネガティブ)の文字が。2枚目には2人のドクター含む4者のサインがあった。

 

案ずるより産むが易し、頭でごちゃごちゃ考え複雑にしていたけど、現実は拍子抜けするほどシンプルだったなと感慨深く思い、明日の夜これで首都デリー(Delhi)に飛べると思うとほっと安堵、やっと日本が現実として近づいてきたと、興奮の名残りで結局はよく眠れなかった。

母国に帰国するのに最大の必須条件は72時間前陰性証明、しかも日本政府指定のフォーマットでなければならず、航空券を所持していても、物理的に日本がいっこうに近づいてこないアブノーマルさ、水戸黄門の印籠のような絶大な効果を発揮する証明書なしではパスできず、書類不備で搭乗拒否されることもあるのだ。

最後の最後までわからず、本当に帰れるのか半信半疑で、友人にも2人を除いては通知せず、親族には一切伏せていた。駄目だった場合のことを考えて、日本に着くまでは知らせない方がいいと判断したのだ。

ダメージを最小限に抑える自己防衛策だった。水面下で、帰国プランは秘密裏に進められたのである。当人が確信が持てない限り、大っぴらに喧伝できないもどかしさがあった。過去2度キャンセルを余儀なくされたことも、苦い体験としてわだかまっていたのである。

翌朝9時に、日本フォーマットの陰性証明(PDFファイル)が届いたが、クリニック名と医者のサインはグルガオン(ハリヤーナ州)のものになっていた。州都のラボから送られた英語の証明書には2ドクター含む4者のサインがあったが、あくまで外注、日本フォーマットは、大元の邦人御用達のメダンタクリニックが発注という方式で、署名は同クリニック専属の日本人女医(ウェルビーの医療顧問で、インドの医師ライセンス取得)によるものだった。

ウェルビーからファイル送信されてきた日本人医師のサインがある日本フォーマットの72時間前陰性証明。医療機関のスタンプ・アドレスも必須だ。

 

ファイルのままでも問題ないと言われていたが、一応2部印刷した後、必要書類の再チェック、誓約書も質問表も記入済み、MySOS、 COCOAのアプリもダウンロード済みだし、あとは荷造りに精出すだけだったが、私が発つとほぼ同時にバンガロール(Bangalore)に引っ越す予定でいた息子が、友人を呼んで大々的に荷造りを行っており、終わるまでは取り掛かれず、イライラさせられた。

もうこれ以上振り回されるのはごめんと、時間もないことだし、我慢せずにさっさとやれることはやったが、車に乗ってしまってから、化粧道具とイヤホンを忘れたことに気づいた。

外出は最小限のマスク着用だと、つい女性の身だしなみのお化粧も忘れ、すっぴんで過ごすのが日常化、元々インドでは自然態で化粧をせずに素顔でいることがほとんどなのだが。マスクに口紅がべたりとつくのも嫌だし、デリーでまゆずみとファンデーションだけ買おうと、気を取り直した。

 

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モハンティ三智江 モハンティ三智江

作家・エッセイスト、俳人。1987年インド移住、現地男性と結婚後ホテルオープン、文筆業の傍ら宿経営。著書には「お気をつけてよい旅を!」、「車の荒木鬼」、「インド人にはご用心!」、「涅槃ホテル」等。

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