制裁をめぐる補論:『復讐としてのウクライナ戦争』で書き足りなかったこと〈下〉
国際〈下〉においては、「公的制裁」についての補論を展開したい。ここではまず、拙著『復讐としてのウクライナ戦争』において詳述しなかった国連における制裁や国際法上の制裁について語るところからはじめよう。
国連憲章第41条に基づく制裁措置
国連の安全保障理事会は、国際連合憲章第7章に基づき、国際的な平和と安全を維持または回復するために行動を起こすことができる。
「非軍事的措置」として、安保理が決定できる措置を定めた第41条に基づく「制裁措置」(sanctions measures)は、武力行使を伴わない幅広い強制手段を包含している(この説明は安保理のサイト[https://www.un.org/securitycouncil/sanctions/information]にあるもので、安保理自体が「非軍事的措置」=「制裁措置」と位置づけていることがわかる)。
1966年以来、安保理は南ローデシア、南アフリカ、旧ユーゴスラビア、ハイチ、イラク、アンゴラ、ルワンダ、シエラレオネ、ソマリア、エリトリアの30件の制裁レジームを設立してきた。
国連の意思決定メカニズムを通じて、すなわち集団的に制裁が採択された事例であり、前述の南ローデシア(現在のジンバブエ)は、非軍事的な制限というメカニズムで初めて処罰された(イギリスから独立した白人政府が多数派の黒人に対して行った人種隔離と権利制限のために起こった1966年の事件を機に、国連はローデシアに対し、石油、武器、飛行機、車の購入を禁止し、さまざまな商品の販売も禁止、13年後、この制裁は国際的に管理された選挙で、同国の黒人たちが政権を握るという望ましい効果をもたらした)。
現在は、紛争の政治的解決支援、核不拡散、テロ対策に重点を置いた14の制裁レジームが存在する。ただし、解除について不明確であることから、2005年の世界サミット宣言で、国連総会は事務総長の支援を得て、制裁措置の発動と解除のために公正で明確な手続きを確保するよう安全保障理事会に要請したことを忘れてはならない。
他方で、国家が一方的に行う制裁措置もある。このような一方的措置について普遍的に受け入れられている定義は存在しない。国連人権理事会は「一方的制裁」または「一方的強制措置」について、「同時に、一方的な強制的措置は、特定の国際法体系の下での合法性にかかわらず、さまざまなかたちで人権に悪影響を与える可能性があることも示している」と明確に指摘している(https://documents-dds-ny.un.org/doc/UNDOC/GEN/G12/100/67/PDF/G1210067.pdf?OpenElement)。
にもかかわらず、このような措置を取るかどうかは、他国の行為が国際法に違反するという主観的な判断に基づき、国家が独自に行うものである。たとえば米国は2022年末現在、38の制裁プログラムを実施している(https://home.treasury.gov/policy-issues/financial-sanctions/sanctions-programs-and-country-information)。
イラク制裁への反省
国連による制裁を歴史的にみると、イラクへの国連制裁が転機となったことがわかる。1990年、イラクのサダム・フセイン大統領が、自国に対するクウェートの経済戦争を終わらせるために、隣国の領土に侵攻することを決意した後のことである。
1990年8月の国連決議661(https://digitallibrary.un.org/record/94221)は、厳密に医療目的の物資および人道的状況における食料品は除く貿易を禁止する措置をとった。包括的な制裁と軍事力の威嚇にもかかわらず、フセイン大統領は降伏しなかった。制裁が解除されたのは独裁者が倒された後の2003年である。
制裁の結果、イラクの経済は破壊された。1999年12月の国際赤十字委員会の報告書(https://www.icrc.org/en/doc/resources/documents/report/57jqap.htm)には、「1990年8月のイラクのクウェート侵攻後、国連が科した貿易制裁が9年間続いた今、市民を取り巻く状況はますます絶望的になっている。生活環境の悪化、インフレ、低賃金など、人々の日常生活は苦難の連続であり、食糧不足、医薬品や清潔な飲料水の不足は人々の生存を脅かしている」と記されている。
一説には、400万人のイラク人が難民となった(https://archive.globalpolicy.org/humanitarian-issues-in-iraq/consequences-of-the-war-and-occupation-of-iraq/35722.html)。
このため、1998年9月まで国連のイラク人道調整官であったデニス・ハリデイ氏は、イラクの経済制裁に反対するために辞職した。2000年2月には、ハリデイ氏の後任だったハンス・フォン・スポネック人道調整官も制裁が民間人に与える影響に抗議して辞任、その24時間後、イラクの国連世界食糧計画の責任者であるドイツのユッタ・パーガート氏がその職を辞した(https://www.theguardian.com/world/2000/feb/16/iraq.unitednations)。
こうして、2000年9月8日に採択された「国連ミレニアム宣言」(https://www.ohchr.org/en/instruments-mechanisms/instruments/united-nations-millennium-declaration)に、「国際連合の経済制裁が罪のない人々に及ぼす悪影響を最小限に抑え、そのような制裁体制を定期的に見直し、第三者に対する制裁の悪影響を排除すること」という記述が盛り込まれた。
この結果、平和を強要する表向きの人道的努力が、悲惨な人道的結果を招きかねないことを反省し、それまでの「住民の苦しみが政府への圧力につながる」という暗黙の原則が修正される。通常、被害を受けるのは一般市民であり、制裁の引き金となった政治的エリートではない。国連は、包括的な制裁政策から徐々に距離を置き、ターゲットを絞った方策に限定しようと舵を切ったように見える。
冷戦下の機能不全
国際連盟は、1921 年(対ユーゴスラビア)、1925 年(対ギリシャ)、1932-1935 年(対パラグアイ・ ボリビア、チャコ戦争の解決)、そしてもっとも有名でもっとも失敗した 1935-1936 年のイタリア のエチオピア侵攻に際してイギリスと共同で実施した集団制裁(collective sanctions)の 4 例を実施している。
後者の場合、他のヨーロッパ諸国が連盟の制限に従わなかったため、制裁は失敗した(Lance Davis & Stanley Engerman, “History Lessons: Sanctions: Neither War nor Peace,” Journal of Economic Perspectives, 2003, https://pubs.aeaweb.org/doi/pdf/10.1257/089533003765888502)。
これに対して、1945年以降、ソ連と米国の地政学的対立の硬軸が形成された後、人類は、東欧圏であれ西欧圏であれ、あるいは第一世界の国々であれ、「自分たちの」チームのだれかを罰したいときに、制裁に合意することができなかった。
1945年以降、国連が行った制裁のリストに、周辺国やアフリカ諸国が主に含まれているのは、米ソ冷戦の結果であったと言える。それは、ソ連圏だけの一方的な権益保持のためだけではなく、パナマでもベトナムでも朝鮮戦争でも、数々の事件に関与してきた米国の権益保持のためでもあったことをしっかりと銘記しておくべきだろう。
ソ連崩壊後、いわば米国の一極支配が進むなかで、ロシアや中国の安保理での抵抗のなかで、国連による制裁が発動されなくても、米国による、あるいは米国主導による数多くの制裁が一方的に実施されるようになる。
ロシアに関してみると、2022年12月現在、「米国から1245件以上、G7各国から1000件以上の規制がかけられている」(https://expert.ru/expert/2022/51/gonka-ogranicheniy-yest-li-predel-sanktsiyam/)。この半年間だけでも、ロシアに対して、過去40年間にイランに科された制裁を累積で上回る制限が設けられたという。
国際法上の位置づけ
ロシアに対する多くの一方的な制裁は、協調して行われ、同じ商品群やサービスカテゴリーを対象とすることが多い。こうした一方的な制裁は、個人や団体に対する制裁、物品の輸出入禁止、サービス提供の禁止や制限、輸入関税の引き上げ、輸送制限などに分けられる。
このような一方的な制裁が正当であるかどうかについては、さまざまな見解がある。現代の国際法では、主権それ自体は、軍事介入であれ経済制限であれ、恣意的な武力行使の十分な根拠とはなりえないという見方がある。
この考え方によれば、一方的な制裁は、国家の安全保障に対する脅威がある場合、または他国の不正行為に対抗するための措置としてのみ正当とみなされることになる。
ただし、拙著『復讐としてのウクライナ戦争』で論じたように、現代の「グローバルな国際法」のもとでは、「米国の正義が世界の正義であるかのような介入主義がはびこり、それが「普遍的な「正義」」であるかのようにふるまっている」(207頁)にすぎない。
他方、1965年12月21日、国連総会で採択された「国家の内政への介入の不可およびその独立と主権の保護に関する宣言」があることを思い出す必要がある。
そのなかには、「いかなる国も、他国に対し、その主権的権利の行使の従属を得、またはいかなる種類の利益をも確保するために、経済的、政治的またはその他の手段を用いて強制してはならず、また、その使用を奨励してはならない。 また、いかなる国も、他国の体制を暴力的に打倒することを目的とする破壊的、テロ的または武装的活動を組織し、援助し、煽動し、または容認し、または他国の内乱に干渉してはならない」と規定されている。
しかし、米国は自国の管轄区域内の対象への「一次制裁」以外に、対象国との貿易を継続する第三国の行為者、すなわち域外行為者に対して「二次制裁」を科すことが増加している。
これは、当該する第三国の国家主権の侵害にあたるとみることができる。一方的な経済制裁は世界貿易機関(WTO)の自由貿易体制に違反するという議論も可能だ。
米国による二次制裁(secondary sanctions)
米国政府による域外適用の歴史をみると、1789年、米国は、外国人不法行為法(Alien Tort Statute, ATS)を採択し、米国内で行われたのではない米国法または国際法の違反に対する外国人の訴訟を、米国の裁判所が審理する権利を与えたことが知られている(Agathe Demarais, Backfire: How Sanctions Reshape the World against U.S. Interests, Columbia University Press, 2022を参照)。
18世紀から19世紀にかけて、この法律は国際海域での海賊行為を主な対象としていた。20世紀には、米国は、反トラスト法、銀行法、労働規制に関する他の域外適用法も発出している。しかし、米国の域外適用法は、ほとんどの場合、一部の専門弁護士だけが関心を持つマイナーな現象であった。
1980年代初め、状況は一変する。パラグアイで拘留中に拷問を受け死亡した青年の父親が、息子を拷問した一人であるパラグアイ人警察官が米国にいるとの情報を得たのだ。その警察官は、米国の移民規則に反して、観光ビザで9カ月間ニューヨークに住んでいた。そこで父親は、米国ビザのオーバーステイで警察官を米司法当局に逮捕させた。
警察官がブルックリン海軍基地でパラグアイへの送還を待っている間、父親はATSで警察官を訴えた。米国連邦裁判所は、この犯罪が米国から8000キロ離れた場所で行われ、米国人が関与していないにもかかわらず、ATSが関連し、連邦裁判所がこの訴訟を管轄するとして、この請求を支持した。
パラグアイの家族は1040万ドルを獲得可能となった(ただし、この警察官は米国内に資産を持っていなかったため、金銭を回収することはできなかった)。それ以来、世界のどこかで人権侵害を受けた外国人が、ATSを利用して加害者を訴え、米国で賠償金を手に入れるようになっている。
たが、制裁について域外適用する例はなかった。紹介したアガーテ・ドゥマレ氏は、「1990年代半ばまで、米国の制裁プログラムは治外法権的ではなかった」(70頁)と書いている。
当時、米国の制裁措置のほとんどは、キューバなど国全体、あるいは特定の個人や企業に向けられており、制裁を受けた個人や企業は、財務省外国資産管理局(OFAC)が管理する「特別指定国民およびブロック指定人物」(SDN)リストに加えられ、米ドルの使用や米国内でのビジネス、米国人とのビジネスが禁じられることになっていた。
制裁を遵守するためには、米国企業は単に禁輸国と取引していないこと、海外のビジネスパートナーがSDNリストに載っていないことを確認するだけでよかった。一方、非米国企業は、ワシントンの封鎖やSDNリストについて心配する必要はなかった。理論的には、米国域外の法人は制裁規則を含む米国の法律を尊重しないことになっていたからである。
しかし、1996年2月、キューバ空軍が、フロリダに拠点を置くキューバ反体制派グループの飛行機2機を撃墜する事件が起きる。その報復として、米国はヘルム=バートン法を採択し、米国企業がキューバとビジネスを行うことを禁じていた米国の貿易禁輸をすべての国際企業にまで拡大したのである。
ヘルム=バートン法は、制裁の域外適用に向けた米国の最初の一歩となる。当然ながら、欧州各国政府は、同法は自国の主権を侵害するものだと非難した。欧州連合(EU)は、WTOに提訴する。
その後、激しい交渉が続いたが、結局、米国のビル・クリントン大統領は、ヘルム=バートン法の非米国企業に適用される規定を放棄し、引き下がった。しかし、「米国の域外制裁の考え方は生まれた」(Demarais, 2022, 71頁)のである。ともかくも、制裁について域外適用が開始された意義は大きい。
14年後に、域外制裁の考え方は復活する。2010年、米国議会は新たな対イラン制裁を採択した。今回の制裁は、米国の制裁を尊重しない外国企業をSDNリストに追加して脅す「二次制裁」(secondary sanctions)という概念を導入している点が斬新であった。
SDNリストと同様に、二次制裁を受けた企業は米ドルへのアクセスを失い、米国市場から退出しなければならない。さらに、その幹部は個別に罰則を受ける可能性があることになる。米国の主張は「周到」となった。
二次制裁は、非米国企業を対象とするのではなく、外国企業に米国市場と制裁対象国の市場のどちらかを選択させるように迫ったのである。しかし、この選択は公平なものではない。
なぜならドルへのアクセスを失い、世界最大の経済大国との取引を停止してもかまわないというグローバル企業はほとんど存在しないからである。その結果、ほとんどすべての国際企業は、自らが制裁の標的になることを恐れて、米国の制裁を遵守せざるをえなくなる。
二次制裁は、米国の制裁の範囲を、国境を越えて拡大し、実際には誰もが米国のルールに従わなければならないルールとして世界を統制するまでになるのである。
2017年8月2日、米国のドナルド・トランプ大統領(当時)は、ロシア、イラン、北朝鮮に対する新たな制裁措置に署名し、法制化した。議会が主導したこの3カ国への制裁プログラムの大半は、二次制裁を科す可能性を含んでいた。
微妙な言い回しなのは、二次制裁の本質にかかわっているからである。米国は、どのような基準で二次制裁を行うかをあえて曖昧にし、不確実性を高めて二次制裁の抑止力を高めようとしていたのである。
米国の政策立案者は、二次制裁の威力がその抑止力にあることを十分承知しており、だからこそ、二次制裁を受ける可能性のある取引に国際企業が参入するのを躊躇させたり、断念させたりする抑止力を働かせる目的で二次制裁の脅威をできるだけちらつかせようとしていたのだ。
ノルドストリーム2をめぐる暗闘
そこで、ロシア産ガスをドイツに輸送するためにバルト海海底に敷設されたガスパイプライン(PL)、「ノルドストリーム2」をめぐって、米国政府が二次制裁をちらつかせながら、どのようにこの敷設を妨害してきたかについて説明してみよう。
ノルドストリーム1(NS-1)とノルドストリーム2(NS-2)が2022年9月26日に爆破される事件が起きた(下図参照)。その犯人はまだ判明していないが、NS-2建設をめぐる米国側の妨害工作を知れば、このPLがいかに米国側にとって「眼障り」であったかがよくわかるだろう。
NS-2をめぐる説明の前に、ガスPL敷設に絡んで、米国が行った「汚い手口」を紹介しておきたい。それは、1981年、オタワG7サミットで当時のロナルド・レーガン大統領が、シベリアから欧州へのPL建設向けに日本のコマツ(小松製作所)がソ連に設備を売却するのを阻止するよう、鈴木善幸首相に要請したことに関係している。
レーガン大統領は、このガスPLが米国の国家安全保障上の脅威であり、クレムリンがガス輸出代金をソ連軍の戦力強化に使うだろうと主張した。コマツの契約は8500万ドルにのぼったが、鈴木首相はレーガンの要求に応え、契約を保留するようコマツに要求した。
だが、その10日後、米商務省は、コマツが中止を求められた契約について、米企業キャタピラーに輸出許可を与える。爾来、米国政府は同盟国を犠牲にして、自国の経済的利益を高めるために安全保障という言葉を使いたがっているとの認識が広がった。
ただし、この事実はいつの間にか忘れ去られてしまう。とくに、米国政府を批判的にみる姿勢に欠ける日本のマスメディアは、日本国民に米国政府の「悪辣さ」を十分に伝えていないと書いておきたいと思う。
米国政府は安全保障を理由にして、2011年11月に欧州向けガス供給が開始されたNS-1を建設する際にも、あるいは、NS-1に沿ってNS-2を建設する際にも、その建設の妨害工作を繰り返した。
どちらのPLもバルト海海底に敷設されるものであり、米国の安全保障とは直接的関係をまったく持たないにもかかわらず、米国政府は、欧州諸国がロシアのエネルギー資源への依存を高めることでロシアが欧州での影響力を強めることを懸念していた。
米ソ冷戦下であれば、この懸念もうなずけなくはないが、ソ連崩壊後になっても、米国内にはソ連の後継国、ロシアを忌み嫌う勢力が一定の力を持っていたと考えられる。
2018年9月、NS-2の建設主体である、スイスに拠点を置くNord Stream 2 AGはフィンランド側からの海底部分のガスPL敷設を開始する。NS-2の輸送能力は2本合計年550億㎥で、海洋部分の建設費は95億ユーロ(当時のレートで約110億ドル)と見積もられていた。
PL建設費の50%はガスプロムが出すが、残りは2017年にパートナー契約を結んだオーストリアのOMV、フランスのEngie(旧GdF)、英蘭のShell、ドイツのWintershallとUniper(旧E.Onで、2016年1月から、在来型発電やエネルギー取引ビジネスはUniperに統合)が融資する。
その総額は47.5億ユーロ。建設完了は2019年末を目指していた。このプロジェクトは巨大なものであり、約150社の欧州企業が何らかの形で関与していた。
ところが、建設に至るまでに、米国側による妨害工作があった。そもそもNS-2の建設がガスプロムと欧州のパートナー5社によって発表されたのは2015年のことだ。
その直後から、鋼管の供給者を選定する入札の発行など、準備作業が開始されたが、米国議会は前述した2017年の3カ国への制裁パッケージにより、ロシアのエネルギープロジェクトに資金提供や支援を行った国際企業に二次制裁を科すと脅したのである。
脅しのターゲットとなったのは、NS-2に融資した欧州のエネルギー企業だ。過去に融資した事実があれば遡及的に二次制裁の対象となるのかどうかさえはっきりしないまま、建設開始後の2018年12月、米下院は、NS-2を「ヨーロッパのエネルギー安全保障および米国の利益に逆行する暴挙」であるとして、欧州の諸政府に同プロジェクトを拒絶するよう求める議決を行った。
これを受けて、同月12日、欧州議会は、同プロジェクトが「ヨーロッパのエネルギー安全保障に対する脅威となる政治的プロジェクト」であるとして、その建設拒否を求める決議を採択した。NS-2をめぐって、欧米がこれほどまでに対立していた事実は記憶に留めておくべきであると思う。
反対派にも一理ある。NS-2が完成すれば、ウクライナ経由での欧州向けガスPLに依存する必要がなくなり、ウクライナ経由でのロシアからの対欧州輸出減はウクライナが得てきた通行料の減少を意味するから、それはウクライナ経済の打撃となってしまう。
年間20億ドルもの減収となるとの見方まであった。このため、欧州諸国としては、ウクライナ復興のためにもガスプロムによるウクライナ経由での欧州向けガスPL利用を継続させることが重要であり、それにはNS-2建設そのものを取りやめることが望ましいという議論が成り立つ。
他方で米国には、国内で採掘されるシェールガスの急増から、これをLNG化して欧州に安定的に輸出するためにロシアによる対欧州ガス輸出に対抗したいという目論見があった。NS-2ができると、ますます多くのガスが欧州に供給されることになるから、それは米国産LNGの対欧州輸出にとって不利になる。だからこそ、是が非でもNS-2建設を停止に追い込みたかったということになる。
二次制裁で脅しまくった米国
結局どうなったかというと、2019年12月、米議会はNS-2プロジェクトのために海底にパイプを敷設する企業に二次制裁を科すと脅す法案を採択し、NS-2に制裁を科したのである。2年間の無駄な試みの後、議会はついにNS-2の完成を脅かすことに成功したのだ。
最後通告は功を奏し、議会の採決の数時間後、PLを構成する20万本のパイプを敷設するために高度に専門化した大型船を提供していたスイス・オランダ企業のオールシーズが慌ててプロジェクトから撤退した。
オールシーズの撤退にもかかわらず、ガスプロムにはPL敷設のプランBがあった。3年前、PLの準備作業が行われていた頃、ガスプロムは敷設船「アカデミック・チェルスキー号」を購入していたのだ。すでに必要な海底敷設は残り200キロを切っていた。さらに、ガスプロムは追加のパイプ敷設船「フォーチュナ」も雇った。
こうして2020年夏以降、パイプ敷設が大いに進展するかにみえた。だが、2020年8月、著名な反政府指導者、アレクセイ・ナヴァーリヌイ氏が神経ガスを浴び、重体に陥る。この毒殺未遂事件はロシア政府の犯行ではないかという疑惑が浮上し、NS-2反対派はドイツに報復としてPLを捨てるよう呼びかけるようになる。
それでも、当時のアンゲラ・メルケル首相は米国の圧力に屈しなかった。これに対して、2020年10月、トランプ政権はこれまでの制裁の範囲をさらに拡大する指針を発表した。2020年末、「フォーチュナ」がドイツとデンマークの部分で作業を再開したことに対して、外国資産管理局(OFAC)は同船に制裁を科したが、無駄だった。すでにNS-2はほぼ完成段階にあったからである。
2021年初頭、米国は、このプロジェクトに携わる保険会社や認証会社を対象に新たな制裁措置を導入する。認証に必要な専門知識を持つのは欧米企業だけであり、米国の制裁に逆らうことはリスクとして許されなかったのだ。
PLの建設は完成されそうであったが、米国の制裁で操業できそうもない状況となった。だが、2021年1月のジョー・バイデン大統領の誕生で、潮目は変わった。
米独の対立したままでは、両国が協力して対ロシア問題に対処できないとして、米国側が折れたのである。バイデン政権は就任から4カ月後、国務省の報告書で「措置を放棄することが米国の国益にかなう」とし、NS-2への罰則を解除した。
その結果、NS-2の建設は2021年9月に完了したのである(NS-2稼働の最終判断はドイツ政府に委ねられたが、ウクライナ戦争勃発で稼働時期が見通せなくなった後、2022年9月に爆破事件が起きたことになる。なお、ここまでの説明から、爆破の犯人が米国政府である可能性を排除することはできないと指摘しておきたい。
関心のある方は、「パイプラインの漏洩後、バイデン大統領がノルドストリームを「終わらせる」と発言した動画が再浮上」というNewsweekの記事[https://www.newsweek.com/video-biden-saying-end-nord-stream-resurfaces-after-pipeline-leak-1747005]にアクセスしてほしい。
2022年2月7日、バイデン大統領は記者会見で、「もしロシアが侵攻すれば、つまり戦車や軍隊が再びウクライナの国境を越えれば、もはやノルドストリーム 2は存在しなくなる」と述べたうえで、「我々はそれに終止符を打つだろう」と語っていた)。このときの妥協こそ、ウクライナ戦争において、米独が比較的足並みをそろえて対応している背景にあるのかもしれない。
1956年生まれ。一橋大学大学院経済学研究科修士課程修了。学術博士。評論家。 著書:(2024年6月に社会評論社から『帝国主義アメリカの野望:リベラルデモクラシーの仮面を剥ぐ』を刊行) 【ウクライナ】 『ウクライナ戦争をどうみるか』(花伝社、2023)、『復讐としてのウクライナ戦争』(社会評論社、2022)『ウクライナ3.0』(同、2022)、『ウクライナ2.0』(同、2015)、『ウクライナ・ゲート』(同、2014) 【ロシア】 『プーチン3.0』(社会評論社、2022)、『プーチン露大統領とその仲間たち』(同、2016)、『プーチン2.0』(東洋書店、2012)、『「軍事大国」ロシアの虚実』(岩波書店、2009)、『ネオ KGB 帝国:ロシアの闇に迫る』(東洋書店、2008)、『ロシア経済の真実』(東洋経済新報社、2005)、『現代ロシアの経済構造』(慶應義塾大学出版会、2004)、『ロシアの軍需産業』(岩波新書、2003)などがある。 【エネルギー】 『核なき世界論』(東洋書店、2010)、『パイプラインの政治経済学』(法政大学出版局、2007)などがある。 【権力】 『なぜ「官僚」は腐敗するのか』(潮出版社、2018)、『官僚の世界史:腐敗の構造』(社会評論社、2016)、『民意と政治の断絶はなぜ起きた:官僚支配の民主主義』(ポプラ社、2016)、Anti-Corruption Policies(Maruzen Planet、2013)などがある。 【サイバー空間】 『サイバー空間における覇権争奪:個人・国家・産業・法規制のゆくえ』(社会評論社、2019)がある。 【地政学】 『知られざる地政学』〈上下巻〉(社会評論社、2023)がある。