【連載】鑑定漂流ーDNA型鑑定独占は冤罪の罠ー(梶山天)

第9回 科学の絶賛報道がDNA型鑑定機器導入費復活を後押し

梶山天

1991年12月2日午前1時17分のことだった。松田真実ちゃん(4)の殺害を認めた元幼稚園バス運転手の菅家利和さん(当時45)の司法警察員面前調書(供述調書)をもとに裁判所に令状請求を行い、逮捕状が執行された。

足利事件の被害者の松田真実ちゃん

 

栃木県警の捜査本部は、菅家さん逮捕から15分後に緊急記者会見を足利署で開いた。森下昭雄刑事部長が50人以上を超える報道陣を前に菅家さんの逮捕を発表し、「容疑者を逮捕できたのは、警察の組織捜査と科学捜査、足利市民の協力の結晶です」と胸を張った。

松田真実ちゃんを殺害したとして逮捕された菅家利和さん

 

同県警は、前日(同年12月1日)の午前中から菅家さんを任意といえども、令状もなく無理やり足利署に連行して行った取り調べは、タイムリミットを午後10時としていた。その5分前頃から急に菅家さんが犯行を認める供述を始めたことから山本博一県警本部長と森下刑事部長が相談して時間を延長。10時をもって一旦、菅家さんを帰らせてから逮捕に向けた勝負へ挑むことにした。

逮捕から直ぐの記者会見とあって、会場に集まった記者たちに配られた発表資料は、印刷されたものではなく、手書きだった。この逮捕がいかにドタバタ劇だったか、象徴するような記者会見だった。

ここで梶山が着目したのは、手書きの発表の内容に対する報道の取材姿勢である。菅家さん逮捕に至るプロセスの中で、警察庁の科学警察研究所(科警研)のDNA型鑑定について、捜査本部の理解不足を認識できる記者は全くいなかったように思える。

というのも、その発表文の中に「科学警察研究所においてDNA型鑑定をしたところ、被害者に付着した一部と合致するなど」とある。この「一部と合致する」という意味は、どのように捉えたらいいのだろうか。普通なら「(DNA)型が一致した」とするはずだ。

ところがそうではなかった。この怪しげな「一部と合致」は、言葉の魔術で、不一致とも受け止められかねない。しかも肝心な鑑定の精度については、誰一人質問した記者がいなかったのではないだろうか? 発表内容が記者の頭の中で理解できていないことの証左と言える。

驚くべきことに、新聞やテレビの報道は、何の根拠も示さずに、ただただ科学の力を絶賛する内容であった。そうした報道が勝手にDNA型鑑定神話を作りあげた瞬間でもあったのだ。

Genetic engineering concept. Medical science. Scientific Laboratory.

 

本来ならば、鑑定結果に間違いがないのか、その確認が警察機関だけでいいのかとか。確認機関が他にないなら、どうするのかとか、そういう基本的なことがどうなっているのかなども報道記者は記者会見で質問するはずだ。

なぜなら欧米では、そのDNA型鑑定が捜査の主流になっていて、いろんな問題を抱えながら克服してきた歴史があるからだ。そうした背景を勉強をせずに捜査当局の発表通りにニュースを流すから菅家さんという1人の人生を奪うことになってしまったのだ。

つい数年前まで国内のDNA型鑑定の主流だったSTR (Short Tandem Repeat : 縦列型反復配列)型鑑定は、人の持つ特異なアデニン(A)、チミン(T)、シトシン(C)、グアニン(G)という4塩基を基本単位とする単純な繰り返しによって、個体間の差異を調べる検査方法である。

15部位と男女の区別をするアメロゲニン検査を合わせて計16部位を検査する。1部位でも本人と違っていれば、本人ではない。それが一般常識である。しかし、足利事件で科警研が行ったDNA型鑑定「MCT118型」は第一染色体中に存在する1部位のみを鑑定する手法だ。

たったの1部位だけの鑑定なのだ。その1部位が一致したので菅家さんは犯人としているが、果たしてそう言えるのか? 絶対値が違うのだ。いかに科警研の知識もあやふやで、しかも実際には誤った鑑定法だったことが後に証明されることになる。

記者たちが報じた内容はまさにとんでもないニュースだった。間違いなかったことは、菅家さんが逮捕されたことだ。未だに警察庁の科警研と全国の科捜研の鑑定が世界標準とは異なるもので、自分たちの捜査に都合のいい鑑定を現在も続けている。

日本の警察におけるDNA型鑑定の実態は、足利事件から止まったままといっても過言ではないのだ。だから冤罪が急増する原因の根本はそこにあるのだ。それを見て見ぬふりをしているのが今の政府だ。おそらくそんな現実も知らないし、興味もないのだ。

ただ、菅家さん逮捕時の報道側の立場から言えば、当時はDNA型鑑定の黎明期で、足利事件は警察庁の科警研が秘かに鑑定を行っていた。菅家さん逮捕まで警察庁担当以外の記者が知り得るはずもなく、取材もすることもままならない。

国内の大学の法医学教室も研究段階で、詳しくDNA型鑑定について説明してくれる人いたかどうかも不明だ。こうした状況が報道記者の知識不足につながったと考えられる。

だからと言って発表されたものを確認もせずただ垂れ流しするのが報道の使命なのだろうか。それは違う。裏付けのない報道は、国の予算や裁判にも大きく影響するし、冤罪を助長する。

 

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梶山天 梶山天

独立言論フォーラム(ISF)副編集長(国内問題担当)。1956年、長崎県五島市生まれ。1978年朝日新聞社入社。西部本社報道センター次長、鹿児島総局長、東京本社特別報道部長代理などを経て2021年に退職。鹿児島総局長時代の「鹿児島県警による03年県議選公職選挙法違反『でっちあげ事件』をめぐるスクープと一連のキャンペーン」で鹿児島総局が2007年11月に石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞などを受賞。著書に『「違法」捜査 志布志事件「でっちあげ」の真実』(角川学芸出版)などがある。

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