【連載】鹿児島基地問題レポート(野呂正和)

第1回 南西シフトの波に曝される鹿児島県内の自衛隊基地

野呂正和

・はじめに

「仮想敵国は中国」「台湾有事」を根拠に、鹿児島・沖縄に及ぶ南西諸島の軍事基地化、辺野古・馬毛島の巨大基地建設が推し進められている。そう簡単に「有事」は発生しないばかりか、「有事」への軍事対応によって国民の生命と財産を守り切れないのは明らかである。

2015年の有事法制、2022年のウクライナ侵攻に乗じて危機感を煽り、敵基地攻撃に至っては専守防衛をかなぐり捨て、軍事費を2倍に増額することで近隣諸国に脅威をもたらしている。憲法の平和主義、外交による戦争回避の努力が全くといってなされていない政府の姿勢こそ国民が問わなければならない問題である。

・太平洋戦争中の鹿児島・沖縄

1945年4月1日から沖縄本島に上陸した米軍は「鉄の暴風」ともいわれる沖縄戦を展開した。米軍は55万人、艦船1500隻、対する日本軍は7.5万人、350隻。追い詰められた日本軍は「ガマ」に避難する住民や子どもたちも殺戮し、集団自決を強要した。

男子中学生を鉄血勤皇隊に、女子高生をひめゆり学徒隊などに動員し、多くが命を落とした。6月23日の組織的戦闘が終わるまでに、沖縄県民の4人に一人が亡くなり、日米合わせて約20万人が犠牲となった。

鹿児島は沖縄戦に対する重要な特攻作戦の基地になった。特攻機が鹿屋・串良・国分・出水・知覧・万世・喜界・徳之島などから出撃した。1931年に海軍飛行場が建設された喜界島は燃料補給の前線基地でもあった。さらに奄美大島には人間魚雷の基地も準備された。沖縄戦は本土防衛ための「捨て石作戦」であり、本土決戦の時間稼ぎとされた。

空爆は鹿児島県内でも行われた。1944年秋の徳之島や奄美大島に始まり、B-29による大規模な爆撃で1945年6月17日の鹿児島市はほとんど焼け野原になり、3000人が犠牲になった。

沖縄の後、鹿児島に攻めてくるであろう米軍の「オリンピック作戦」に備えて、大隅半島の志布志湾や薩摩半島の吹上浜では、住民が戦車対策の壕を掘ったり、竹槍訓練などを行った。

 

・鹿児島県内の自衛隊基地

太平洋戦争時、特攻基地の他に県内には多数の空軍基地(岩川、牧之原、志布志、串良、笠之原、垂水、指宿、種子島)があった。

それらの基地は、戦後に自衛隊基地となっている。鹿屋は海上自衛隊基地になった。国分や薩摩川内市は陸上自衛隊が配備され、さらに薩摩川内には2022年に電子部隊も配備された。県境のえびのや牧之原などには自衛隊演習場があり、霧島演習場では数回にわたって日米合同訓練や日米仏合同訓練も行われている。

①鹿屋基地

2005年、海上自衛隊鹿屋基地では米軍のP3CとKC130給油機12機の移転計画が表出した。それに伴って、米軍は家族を含めて1000人が移駐することも明らかになった。鹿屋市では市民の反対運動も起こり、山下榮市長も防衛省に抗議した。

鹿屋市は、国に対して具体的な説明を求めてきたが、国は「地元への説明なく再編を決めることはない」というばかりで、具体的な話はなかった。鹿屋市は基地問題を市民と共有しようと基地に関する情報を市報に連載すると同時に、市主催の学習会も実施した。その内容をパンフレットにして市民に配布した。さらには2006年2月26日、8,000人の市民集会を開くなど米軍反対の旗を揚げた経緯がある。

当時の山下市長は「どうして反対か。鹿屋基地を見てください。約6万人が住む市街地のど真ん中にある基地です。学校、病院、保育園、幼稚園が基地の周辺です。背後は日本有数の畜産地帯。和牛、養豚、養鶏など南の食料基地です。今でも鹿屋基地の騒音被害は限界です。米軍がきたら騒音、治安、環境が脅かされます。

この空中給油機12機だけとは思わないでください。表面に出ていませんが、自衛隊のすべての給油機、米軍の輸送機、P3Cも基地を活用することも入っています。宮崎県の新田原、福岡の築城にはファントムの訓練機が入るといわれています。将来を危惧します。

国は地域の理解なしに進めないといってきましたが、地元に何の説明もなく頭越しにやってきたではありませんか。米軍、軍属などが仮に事件、事故を起こしても、日本の警察は逮捕・拘束できるでしょうか。難しいと思います。

米軍が移駐してきたら、無法地帯になります。20年、30年、50年先を見て対応していかなければいけません。街づくりに米軍はいらない。米軍の移駐に反対する市民運動を大きなうねりにして日米両政府に訴えていきましょう」と集会で訴えた。

当時の山下市長は、「米軍が鹿屋を展開するのはこれに限る」という趣旨の国と覚書を交わしていた。オスプレイが参加したこともあったが、今は音沙汰ない。米軍が鹿屋基地を利用できる地ならしではなかったか。その証拠に、無人機「MQ-9」が2022年11月から1年間展開している。

ALAMOGORDO, NEW MEXICO / USA – January 24, 2019: A United States Air Force MQ-9 Reaper flying near Holloman Air Force Base.

 

②喜界島の「象のオリ」

1962年に旧軍の飛行場のあった喜界島に自衛隊の通信基地を設置した。1985年に防衛省(当時は防衛庁)は、地平線を越えての超長距離探知を目的としたOTHレーダーと「象のオリ」計画を発表した。1986年に町議会は「喜界島OTHレ-ダ-(超地平線)基地の建設反対に関する意見書」を内閣総理大臣と防衛庁長官に提出している。同年にさらに「象のオリ」についても反対決議をあげたが、川嶺地区が水道施設整備を条件に受け入れを決定し、これを受けて町議会も賛成へと変貌してしまう。

Duga, a Soviet over-the-horizon (OTH) radar system as part of the Sovietic anti-ballistic missile early-warning network, Chernobyl

 

③甑島のガメラレーダー

航空機と弾道ミサイルに対処する高さ34mのレーダーで、直径約12mの覆いの下にLバンドのレーダーがあり、航空機に対処する警戒面となっている。

④沖永良部島

1962年、米軍から引き継いだ航空自衛隊が沖縄返還の1972年まで共同運用していた。航空自衛隊那覇基地の分屯基地としての任務を持っている。第55警戒隊約100人を展開し、レーダー2基で領空侵犯や弾道ミサイルの警戒監視に当たる。2012年、最新鋭の固定式3次元管制レーダー「FPS-7」を整備している。

 

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野呂正和 野呂正和

1951年4月15日生まれ、71歳。鹿児島県末吉町出身。鹿児島大学教育学部音楽科卒業。県立高校6校で音楽を担当した。2009年から高等学校教職組合執行委員長。2014年6月から3年間鹿児島県護憲平和フォーラム事務局長。2013年と2017年衆議院議員選挙に立候補したが、落選。九州比例次点。2019年県議会議員選挙では15票差で落選。音楽活動では、主宰するMA-SA-KAの会では、独自に編曲した曲を中心にした奏会を6回実施してきている。

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