【連載】塩原俊彦の国際情勢を読む

「裁かれるは善人のみ」というロシアの現実:ロシアの権力構造をめぐって

塩原俊彦

拙著『プーチン3.0』のなかで、「プーチンの権力構造」という節を設けた箇所がある。その出だしを引用してみよう。

「つぎに説明したいのは、プーチンの権力構造についてである。突飛かもしれないが、アンドレイ・ズヴャギンツェフ監督の「裁かれるは善人のみ」というロシア映画の話からはじめよう。

これは、「リヴァイアサン」(Leviathan)という原題を「裁かれるは善人のみ」と日本語訳した2014年のロシア映画である。その脚本はカンヌ国際映画祭脚本賞に輝いている。フィクションゆえに「現実」を逆によく照らし出しているようにみえるこの作品では、怪物リヴァイアサン、すなわち「可死の神」(deus mortalis, mortal God)が国家の魂の部分、主権国家ロシアを象徴している。

そのリヴァイアサンは大自然のもとで神の化身のように振る舞いながらちっぽけな人に襲い掛かりるのだ。それは、市長と警察、検察、裁判所などの「共謀ネットワーク」がロシアの隅々まで行き渡っていることを教えてくれる」。

 

この映画については、「ロシア北部、バレンツ海に面した小さな町を舞台に、そこで暮らす市井の人々と、権力を傘に土地の買収をもくろむ行政との対立を描いたヒューマンドラマ」という紹介がある。

普通に暮らしている善人が裁判にかけられて有罪になってゆくのである。その背後には、警察、検察、裁判官、陪審員らの「結託」がある。「神」たるウラジーミル・プーチン大統領の支配が田舎町にまで貫徹されているのだ。

これこそ、いまのロシアの支配構造そのものをもっともリアルに教えてくれている。

元ハバロフスク地方知事をめぐる判決

リアルな世界においても、「リヴァイアサン」が無実とおぼしき人物を有罪とする出来事があった。

Leviathan, or the Matter, Forme, & Power of a Comm – caption: ‘Leviathan’

 

2023年2月2日、モスクワ州リュベレツキー市裁判所の陪審員は、ハバロフスク地方のセルゲイ・フルガル元知事とその共犯者が2000年代前半に2件の殺人と1件の暗殺未遂で起訴された裁判で有罪の評決を下したのである。

同年2月8日の検察側の求刑後、2月10日、裁判所はフルガル元ハバロフスク地方知事に22年、共犯者とされるアレクサンドル・カレポフ氏に21年、アンドレイ・パレイ氏に17年、マラト・カディロフ氏に9年半の懲役をそれぞれ言い渡した。最高裁まで争われることになりそうだが、フルガル元ハバロフスク地方知事にとっては前途多難であることは間違いない。

ここでフルガル元ハバロフスク地方知事についてその生い立ちを説明しておこう。彼は、1990年代に地方の病院で医師として働いた後、商売を始め、最初は中国製品や木材の販売、後に非鉄・鉄のスクラップ販売に切り替えた。

2007年から2018年まで3期連続で、下院の自由民主党代議士の座につき、長くモスクワに住んでいた。2018年秋のハバロフスク地方首長選挙で、当時48歳のセルゲイ・フルガル氏は第2回投票で69.6%の得票率を獲得し、ハバロフスク地方知事に当選した。

2009年からハバロフスク地方を率いてきた与党・統一ロシアのヴャチェスラフ・シュポート氏との決選投票に勝利したことになる。これは、シュポート氏への反対票が自由民主党のフルガル氏に集まったためであるとみられていた。

Samara, Russia – May 1, 2019: Flag of Liberal Democratic Party of Russia (LDPR) against the blue sky

 

このフルガル氏は徐々にプーチン大統領にとって目障りな存在になってゆく。①予想に反して、彼は本当に人気のある知事であることが分かる。官僚のビジネスクラス搭乗を禁止し、政府所有のヨットを売りに出し、給料を140万ルーブルから40万ルーブルに減額したのだ、②現地ではプーチン大統領より高い評価を受けている、③2019年のハバロフスク市議会の選挙、地方議会の選挙、下院代議員の補欠選挙で、自由民主党に圧倒的勝利をもたらした(市議会の当選者は統一ロシア候補が一人もおらず、地方議会では36人の議員のうち2人が当選しただけであり、自由民主党の候補者であるイワン・ピリャエフが下院選で当選した)。

こうしてフルガル・ハバロフスク地方知事はクレムリンの排除対象となる。2019年3月にまず、2018年の知事選でフルガル・ハバロフスク地方知事を支援したヴィクトル・イシャエフ元ハバロフスク地方知事(1991~2009年)が収賄の容疑で逮捕・起訴された。

同年11月になって、内務省および連邦保安局の職員が、フルガル元ハバロフスク地方知事のビジネスパートナーであるニコライ・ミストリュコフ元ハバロフスク地方議会副議長、およびマラト・カディロフ氏、アンドレイ・パレイ氏、アレクサンドル・カレポフ氏を拘束・逮捕された。

2004年にハバロフスクでビジネスマンのエフゲニー・ゾリ氏を殺害し、2005年にアムールのビジネスマンのアレクサンドル・スモルスキー氏を殺害しようとし、同年にフルガル元ハバロフスク地方知事のビジネスパートナーのオレグ・ブラトフ氏を殺害したとして告発されるのである。

そして、2020年7月10日、フルガル元ハバロフスク地方知事は7月10日にモスクワで逮捕される。2004年から2005年にかけて、複数のビジネスマンに対する殺人および殺人未遂で起訴されたのだ。この逮捕と告発により、現地では抗議デモが広まる。

ハバロフスクで行われたフルガル元ハバロフスク地方知事の釈放を求める集会には、推定1万人から3万5,000人が集結した。結局、こうした抗議活動は抑え込まれ、2023年2月、彼に有罪判決が下されるに至ったのだ。

Photo of pinned Khabarovsk on a map of Asia. May be used as illustration for traveling theme.

 

事件の概要

どうやらクレムリンは2020年4月以降、予審委員会のトップ、アレクサンドル・バストゥルィキン氏の指示で、当時同委員会のNo.2だったイーゴリ・クラスノフ氏(現検事総長)が2004年から2005年にかけてハバロフスク州とアムール州で起きた特に重大な犯罪について、さまざまな口実で捜査を中断した地方捜査官の決定について調べたらしい。

その後、事件は予審委員会特別重要事件捜査本部に移され、バストゥルィキン氏のもとで過去の犯罪の解決を専門とするユリー・ブルトヴォイ司法省少将が引き継いだとされる。

Ensemble of Moscow Kremlin view across Moskva river at a sunny winter morning

 

前述したように、ミストリュコフ元ハバロフスク地方議会副議長、カディロフ氏、カレポフ氏はゾリ氏とブラトフ氏の殺害やスモルスキー氏の殺人未遂などの罪で逮捕・起訴された。

ナタリア・ミストリュコフ氏の妻は、自由民主党のウラジーミル・ジリノフスキー党首への陳情で、夫に対して、罪を認めさせ、他の人について証言させるよう絶えず圧力をかけられたと述べたとされている。つまり、ミストリュコフ元ハバロフスク地方議会副議長を脅して、これらの殺人事件にフルガル元ハバロフスク地方知事が関与していたと証言させようとしていたと推測される。

フルガル元ハバロフスク地方知事の追い落としに拍車をかけたのは、サハリンに架ける橋の鉄製構造物を安価に供給できるアムールスターリ工場の経営権をめぐる争いであった。

2017年、フルガル元ハバロフスク地方知事のアムールスターリの持ち株50%が、歴史的にプーチン大統領の盟友、ローテンベルグ家とつながりのあるパヴェル・バルスキー氏という人物に渡る(バルスキー氏はローテンベルグ家の銀行の元役員で、ローテンベルグ氏が最高評議員を務める全国柔道退役軍人組合の代表者である)。

残りの50%は、フルガル氏(知事就任後は妻)とパートナーのミストリュコフ元ハバロフスク地方議会副議長が折半していた。

フルガル氏がハバロフスク地方選挙に勝利した後、バルスキー氏から「株を手放せ」という申し出があったとされる。両者の間で価格が折り合わず、2019年11月、ミストリュコフ元ハバロフスク地方議会副議長は収監されてしまう。彼はフルガル元ハバロフスク地方知事に不利な証言をし、その株をバルスキー氏に売却した。

捜査当局は、2004年10月28日にゾリ、2005年1月31日にブラトフ氏がそれぞれ殺害された事件は、パレイ氏が実行したと主張した。 2004年6月28日にカディロフ氏がスモルスキー氏に手榴弾を投げた(奇跡的に生還した)。

法執行機関は、殺人の理由は、金属スクラップ市場で活躍していた当時のビジネスマン、フルガル元ハバロフスク地方知事、スモルスキー氏、ゾリ氏との間のビジネス上の衝突であるとした。

ブラトフ氏については、彼はある殺人の状況を知っていたので、危険な証人として処分される必要があったという。ミストリュコフ元ハバロフスク地方議会副議長は有罪を認め、捜査協力に関する公判前協定を締結し、彼の事件は別の捜査に移され、後に特別命令によって裁かれことになった。

 

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塩原俊彦 塩原俊彦

1956年生まれ。一橋大学大学院経済学研究科修士課程修了。学術博士。評論家。 著書:(2023年9~10月に社会評論社から『知られざる地政学』(上下巻)を刊行する) 【ウクライナ】 『ウクライナ戦争をどうみるか』(花伝社、2023)、『復讐としてのウクライナ戦争』(社会評論社、2022)『ウクライナ3.0』(同、2022)、『ウクライナ2.0』(同、2015)、『ウクライナ・ゲート』(同、2014) 【ロシア】 『プーチン3.0』(社会評論社、2022)、『プーチン露大統領とその仲間たち』(同、2016)、『プーチン2.0』(東洋書店、2012)、『「軍事大国」ロシアの虚実』(岩波書店、2009)、『ネオ KGB 帝国:ロシアの闇に迫る』(東洋書店、2008)、『ロシア経済の真実』(東洋経済新報社、2005)、『現代ロシアの経済構造』(慶應義塾大学出版会、2004)、『ロシアの軍需産業』(岩波新書、2003)などがある。 【エネルギー】 『核なき世界論』(東洋書店、2010)、『パイプラインの政治経済学』(法政大学出版局、2007)などがある。 【権力】 『なぜ「官僚」は腐敗するのか』(潮出版社、2018)、『官僚の世界史:腐敗の構造』(社会評論社、2016)、『民意と政治の断絶はなぜ起きた:官僚支配の民主主義』(ポプラ社、2016)、Anti-Corruption Policies(Maruzen Planet、2013)などがある。 【サイバー空間】 『サイバー空間における覇権争奪:個人・国家・産業・法規制のゆくえ』(社会評論社、2019)がある。

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